沼田真里*
New manuscript; Mori Moutengai”Utenokyo”
Mari NUMATA*
Mori Mōtengai (real name: Kotaro Mori, 1864-1934) is a local politician in Ehime prefecture, and although he was a blind person, he made many achievements. When he was the mayor of Yodo Village, he made the village the best model in Japan. This paper transcribes a recently discovered text of his. The content of his writing is based on the Buddhist scripture“Uten King Sutra,”and it can be assumed that it is an adapted work.
はじめに
森盲天外(本名・森恒太郎、1864~1934)は愛媛県の地方政治家であり、20代で失明した中途視覚障碍者でありながら数々の功績を残した人物である。盲天外は自伝『一粒米』、評伝『義農作兵衛』をはじめ、俳句雑誌「ばせう影」の発行など文学的な活動も残している。これらの創作活動の再評価の必要性と、障碍当事者文学としての価値については、拙稿『新出資料・森盲天外の「盲人の読書難」について』(1)でも述べた。
本稿では、松山市余土公民館に保管されていた森盲天外の未発表原稿のうちの一編「優填王経」を紹介する。余土公民館の郷土資料目録に掲載された盲天外の草稿のなかでも、今回取り上げる未発表原稿は「明治四十一年八月」と記載があり執筆時期が判明している。今回、翻刻により9400文字という比較的長文であることも判明した。紙幅の関係もあり、今回はまずは前半部分の翻刻を紹介する。
「優填王経」本文
◆翻刻するにあたり、歴史的仮名遣いはそのままとし、旧字体は新字体に直した。口述筆記者による崩し字やカタカナによる当て字、誤字などは、意味内容として適当と考えられる表記へとあらためた。原稿の保存状態により解読不可能な箇所や欠字に関しては、□とした。また長文が続く箇所では、内容をふまえながら適宜改行した。赤字で削除の指示がある箇所は、〔 〕で残すこととした。
明治四十一年八月
優填王経:森盲天外稿
優填王:森 盲天外第一 婿を求む
是の如く聞く。或時仏は拘深国といふに御座ったが、此の国に摩回提といふ一ツの富人があったが、夫れに一人の娘がある。其娘の容顔美しく世の尋常に越へて居るので、父母は此の娘の美容を誇って居た。是の如きは天下双びないとして其名を無比と名付けたのである。此の無比が既に妙齢に達したので、最早善い配偶を求めなければならぬ。父母共に心を尽して、善い婿を得んものと、密かに求めて居た」拘深国の王優塡王と云ふが、其妃を得んものと御宇多年求めて得ないに、猶も国内隈なく捜して居た。彼の摩回提の娘無比といふが深閨に在って、人をも未だ知らなかったが、其妙齢に至ると共に、天性の美容は、自ら捨て難いと見えて、世の評番娘となったを優填王捜り得て、是を迎へ座に侍らさんと、使者を馳せて摩回提の家に到り、此の由を伝へしむることゝした。依って使者は直に王命を奉じて、彼の家に行った。摩回提夫妻は王使とは何事かと慇懃に之を迎へた。使者は夫妻に向って日王命を奉じて参ったは、娘無比の美容を伝承し給ひて、之を妃と為さんとの御思召である。速に之を致されたい。又其上は摩回提足下は、御思召に依って多くの土地を与へ、位官に任じ、権門の光彩を添へ給ふとの事である。速に此の命を奉ぜられてよからう。と謂った。摩回提は、其意外なるに驚いた。仮令王命といっても、かゝる事は必ず服従せなければならぬ事でもなからう、夫れも彼の優填王が無比の美容に比する丈けの美容を備へて居ればよいが、あの王の容色では無比の婿にするに足らぬと心に思ったが、まさかそうとも答へ兼て王命と承れば、之れに応すべき筈でございますが、無比の配偶に就ては、仔細の存する事でありますから、此の事計りは御免を願ひます。使者は王命の事なれば、返す言葉もなからうと思ったに、意外の答に驚いた。猶も自分が使者となって、其功を奏さなくては面目無い事と、両三度応答を重ねたが、敢て応する様子なければ、如何ともする事が出来ず、引取って其由を復命した。優填王は此の不成功に失望したれど、猶ほ其思を断つことが出来なかった。
無比は、王使を受けて益々其評番が高くなり、国の内外に喧伝せらるゝ様になった。只拘深国の優填王より聘せられた計りでなく、近接の諸国王より奉禄を厚ふして、之を迎へんと求めらるゝ事が急であったが、摩回提は斯く求むるもの多きに、愈々得意となって娘の美容を誇って居た。我が娘は天質佳麗で世に類無い。之に配偶する婿は、無比の美容に匹敵する丈けのものでなくてはならぬ。仮令国王といへど、其美容無比に比するに足らなければ、彼を遣る事は出来ぬ。優填王を始め諸国王皆無比の容色に比すべきでないなどと云って、何れも皆謝絶したのであった。求婚の要求が中々多くして又其壓迫が烈しい。摩回提はどうかして早く善い婿を得たい。婿を得て事定まれば、求婚の壓迫を受くる事もなからう。何れかに善い婿は無いかと日夜之を求めて居た。或時摩回提は釈迦牟尼仏の説法道場に行いた。仏を見奉って大に讃嘆した。其威儀端正で、風姿温容であって三十二相、八十種好具備して居ないものはない。之を仰ぎ見ては天下双び無きを思った。馳せて家に帰り其妻に向ひ今日我は善い婿を得た。多年求めて空しからぬ婿だ。我が娘の容顔に比して優るとも劣らない丈けの婿だ。今後幾年を費して求めても、之れ以上のものは求められまい。之と定めよう。と。頗る得意であった。妻は夫摩回提の斯く嬉んで善い婿だと、賞賛するに和して夫の意に任せた。摩回提は斯くと決心して、娘無比に其由を語り、一日も早く結婚の慶を得たいと、其準備に着手した。殆んど家を挙げて其美を尽し、其容を飾らんと金衣玉裳を世に求めて財を惜まなかった。
第二 婚を強ゆ
無比は天性の美容を飾るに、瓔珞錦繍を以てして其歩むに従っては、珠玉光を放ち、殆んど国を輝すと云ふの有様であった。父母は之を伴ふて、愈々今日を吉日と釈迦牟尼仏の所に行くべく家を出でた。途上人集って其無比見ざる無きも、人皆眩惑せられ為めに其眼を蔽ふ計りであった。摩回提の妻行く〳〵途上に、釈迦牟尼仏の足跡なるものを見た。之を見て大に驚き、其心に畏懼の念を発した。是に於て、我が夫摩回提に向って此の足跡は釈迦牟尼仏であらうか。果してそうであれば、能く之を御覧なさい。此の足跡は紋あり之は凡人にあらぬ相である。凡そ足跡の相に依って其人を知る事が出来る。婬欲多き人は踵を曳摺って居る。心に恚る人は指先を爪立てゝ行く。痴愚の人は足を投げ地を蹴って行くので、其足跡を見ると速ぐ判る。此の足跡は天人の相である。足跡平かに紋を残して居るのである。屹度此の人は常人でない。必ず心清浄であって、婬欲など無いであらう。仮令我が娘を連れて行っても、娶って貰ふことが出来ぬではなからうか。折角連れて行いて恥をかく事であらう。
と、云ったら摩回提はなに、如何な人でも無比の様な天性美容の女を嫁に遣ふといふに、嬉んで娶らないものがあらうか、此の大礼に不吉な事を云ふものだ。と云へは、妻は決してそうでないと云って否んだ。すると、摩回提は眼を恚し、顔を赤くして大に怒り其妻を叱咤した。実に愚な奴だ。寄り処も無い事を理由として、折角思立った事の腰を折る奴だ。汝心に快く思はぬなら汝独り帰るがよい。我は行いて必ず成功して見せる。といった。夫に叱咤せられても、妻は堅く取って動かない。行いて恥を受くるよりは我独り立帰る方が宜いと云って、夫に別れ家に帰った。摩回提は呟きなから、なに立派に三々九度の契をして見せると、意気込んで無比を伴ひ行いた。往く〳〵釈迦牟尼仏の居ます精舎の樹林が見出して来た。凡鐘の音が殷々と聞ゆる。摩回提は娘を伴ふて見ゆる樹林、其聞ゆる凡鐘の近よると嬉んで足を進めたが、何となく妻に己れが勇気の腰を折られたので、幾何か不快の念があったかなれど、其不快分子は、我が娘の容色佳麗を誇る一念に制へられて後れを取らないで、とう〳〵精舎に到った。釈迦牟尼仏に謁見を求めて、其前に行いた。先づ仏足を項礼して無比と共にかしこまって居る。仏は摩回提の来るは何か意あるものと見て取られた。殊に娘を伴ふて紅色を飾り、珠玉を輝して、粉黛の状を見られては、既に其意を察せられたが、仏は何知らぬ顔をして、金口を開き、美妙の音聲を以て汝等二人何を求めて、此所に来たのであるか。
と、問はるゝと、摩回提は漸くに口を開いて我が娘無比は今茲に仏の前にあって、瞥見せらるゝ様に容姿世の尋常に越へて、世の中の評番又盛なのでござる。諸国王より封禄を厚ふして之を聘せらるゝも之に応じなかった。諸国王の其容色が無比の美容に比すべきでないからである。今仏の前に伴ひ来ったは、永く之を其御傍に侍らせ給ひ、掃除の用をさせて戴きたいと思ってゞある。
と云った。仏は之を聞き終って、彼れ摩回提が其娘の天性美容なるに執着して、之を誇るゝのと知くれ更に摩回提に向って汝は娘無比の美を誇る様である。娘の美なりと云ふは、さて何れの処が美なのであるか仔細に之を謂へと。摩回提答へて云ふた。御覧下さる様に、頭の先より足の指先に至るまで、一つとして善からぬと云ふ処は無い。髪は長く黒く、眼すゞやかに、鼻高く、皮膚細かにして又雪の如く其色白く之を美の極めとするのである。と云ふと、仏之を聞き給ひて大に苦笑せられた。
第三 婦人の美を難ず
摩回提、汝は娘無比の美容を誇って居るが、是は形骸の美に執着して居る訳で、婦人の美なる点は其形骸のみに存じては居ない。形骸は今日在って明日なく、無常の境を出づる事が出来ぬ。されば今日の紅顔は明日の白骨たるを思はなければなるまい。生老病死の苦は共に免れ難い処だ。生れては既に老い既に病み既に死すと云ふのであるから、此の頼みなき無常の形骸に執着して居ては安心の出来るものでない。殊に汝が美とし誇る処のものを仔細に考へて見るがよい。何れの処に美あるのであるか。眼といひ鼻といひ此等の九竅は常に悪臭汚き液を出して絶へない。則ち眼は眼糞、鼻は鼻汁、口は唾液と各々醜汚の極めではないか。美人も醜婦も、少しも此の点に変らない。又皮膚濃かに色白しとするも、其皮は只穢臭を包み隠して居るものに過ぎない。皮膚の薄き一枚を剥ぐならば、其下より血肉腥く内臓湧き出でて、腸胃膀胱は最も不潔なる糞尿を出すではないか。此の臭き汚きものを包み隠して居るが皮膚である。醜穢を充てる入物を捕へて美とする、賞賛するなどは、其真想を知らないのであらう。猶も仔細に是を思ふがよい。頭髪漆の如く黒くして長きを美とするも、馬の鬣、羊の毛夫れと少しも異る処はあるまい。馬や羊の毛ならば之を以て織物となしたり。筆ともなしたりして、人生の重宝ともなるであらうが、婦人の髪の如き、さてどうするものであらうか。此の点より云へば彼の髪は、馬の鬣、羊の毛夫れにだも及ばないではなからうか。又皮膚も同じ、虎の皮豹の皮と変らないのみならず、虎や豹の皮ならば、之を珍として貴ばるゝも、美人の皮膚、何の比すべきであらうか。又骨に至っても同じことで、牛馬の骨に変らない。牛馬の骨は之を採りて猶ほ器物にも用ゐられ、矢鏃、槍の穂先となって居るが、美人の骨は少しもかゝる用とて為すものでない。只夫れ形骸のみを以て物に比較して云ふ時は、斯の如きものであって、珍ともするに足らなければ、美とするにも足らない。況んや九竅常に悪臭汚液を絶たず、皮膚又汚穢を包むものたるに於ておやではないか。婦人の美斯の如く哀れなものである。若し形骸以上の美を認めなければ、婦人の美も美として価値あるものでない。汝の謂ふが如き美は、我れの取らない処である。否却て之を不潔とし、汚穢とする処である。
斯く仏説き給ひて喝破一番せられたれば、摩回提は色を失ひ、身慄ひて只黙々としてうつむいて居た。仏は是を見給ひて汝摩回提、汝の請を入るゝ事は出来ぬ。速に無比を連れ帰れ。篤々去れよ。と叱責せられた。摩回提は之を聞いて心にまだ悟らない様子で、仏に向ひ御思召に従って連れ帰りませうが、連れ帰りて後如何にしたならば宜うございませうは黙して何事をも答へ給はなかった。
(続く)
おわりに
本稿では、余土公民館所蔵の森盲天外未発表原稿のうち、最も長文である「優填王経」の前半部分のみ翻刻し紹介した。前半部でもすでに分かるように、この原稿は仏教の経典を元にした説話である。釈迦牟尼仏が滞在していた拘深国を舞台に、摩回提夫妻とその娘で絶世の美女・無比、拘深国の王・優填王が登場する。本文の内容から、おそらく原典は大蔵経の寶積部・涅槃部第12巻に収録されている「仏説優填王経」と推察される。前稿で翻刻した「盲人の読書難」の中で、盲天外本人も大蔵経を所有している旨や、それを盲人が読書する場合の苦労を語っているので(2)、盲天外が大蔵経の知識を有していたことは確かである。まだ調査中ではあるが、現段階でわかるだけでも『大正新脩大蔵経』12巻の「仏説優填王経」とほぼ同様の表現、筋立てになっており、おそらくこちらを原典として、一部盲天外が描写や表現を増やして語り下ろした、説話の口語訳と推察される。
次回、後半部分を翻刻すると同時に、「仏説優填王経」と比較し、数ある説話の中から「優填王経」を選んだ理由や、盲天外の意図を検討したい。
脚注
(1)「新出資料・森盲天外の「盲人の読書難」について」(『新居浜工業高等専門学校紀要』58巻、新居浜工業高等専門、2022年1月)
(2)同上
参考文献
[1] 『一粒米 付俳句俳論・天心園』愛媛文学叢書刊行会編、青葉図書〈愛媛文学叢書 2〉、1990年6月、復刻増補版。
[2] 一粒米の会編「講演・講和 資料 第1集」一粒米の会、2021年
- 本論では、かっこ付きの〈障害〉を除き、表記を「障碍」に統一した。表記問題をふまえ、「障碍」の表記も一般的に認識が広まったという見解からである。従来から「障害者文学」として言及されてきた研究分野でもあり、過去の論文ではその例に従って「障害者・障害者文学」と表記している。

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