素木しづ論――〈健康な不具者〉というパラドクス

目次

はじめに

 私たちは日常、流行のダイエット法や健康法を話題にし、健康診断の結果を話せば、現在お医者さんにかかっている誰かのことを話す。まったくもって完璧に〈健康な人〉なぞおらず、みな大なり小なり問題や不安を抱えているのだと知りながら、私たちは知らぬ間に、健康へ健康へと駆り立てられてしまう。〈健康/不健康〉の二者は、現代においてもますます複雑に絡まり、容易には解けないようにみえる。〈健康志向〉や〈健康的な肉体〉が絶対視されているからかもしれない。しかし、一見現代的な現象かとも思われる〈健康〉という概念が、実は明治大正期に作られたものだと知ったら、どうだろうか。 

 明治大正期は、日本人の身体観そのものが、〈近代人〉的なそれへと変化していく時代であった。国を挙げての〈文明化〉のため、〈文明=近代的行為の規範〉の考えのもと、従来の生活様式や習慣さえ条例により規律化され、〈文明/野蛮〉に分けられた。コレラなどの伝染病の蔓延と共に、西洋医学による〈衛生観念〉の普及があり、人々に広く受容された。特に一九〇〇~一九二〇年代は、〈衛生〉が〈健康〉と結びつき、女性の〈身体〉に対する意識も大きく変化したという。学校や地域での啓蒙、女性向雑誌などによる医学的・科学的知識が伝搬し、新たな〈身体観〉が作られ、その基準のもとに女性が自分の体を診断し、自己管理することとなる。成田龍一氏によると、「一九〇〇年前後の時期の衛生はうちみるところ、四つの側面を持つ。第一は、女性に身体への自覚と配慮を促し、第二には身体の標準・標準的な身体を生み出し、第三にはそれが同時に、差別と排除を引き起こすことである。そして、さらに第四には女性に役割分担を強要し、固定化する側面を有す」とある。川村邦光氏も『女学世界』の「美容問答欄」に「肉体美」という言葉が登場し、「容貌だけでなく、容姿、つまり身体全体の美を、美人の要件とし、「肉体美」「健康美」と名付けられ」「〝衛生〟〝健康〟という名のもとに、女の身体全体を有用なものとして意味づけ、積極的に〝美的標準〟の達成をめざした自己管理・自己操作への誘惑」となった点を指摘している。〈肉体美〉〈健康美〉に関して、「かつての日本人体型とされる要素が〈病的〉とされ」「理想とする体型は古代のギリシヤ人、ミロのビーナス像」「国家衛生の指針が美の領域に入りこんできた」との小野芳朗氏の指摘もある。女性の〈身体〉が浮上し、国家衛生の観念が〈肉体美〉〈健康美〉といった〈美の領域〉まで支配しはじめ、女性を管理し、差別と排除も生み出した時代だったといえよう。

 こうしたなか、一九一〇年代、早くも〈健康/不健康〉〈十全な肉体/不完全な肉体〉の救いがたい難問に直面し、〈病〉〈障害〉の当事者として作品を書いた女性作家が現れた。十代のころ肺病を患い、結核性関節炎で右足を切断した作家・素木しづである。素木は右足を切断することでかえって命を長引かせ、一時より健康を取り戻す。当時流行しつつあった〈結核=美しい死〉というコードから抜け、むしろ右足を失うことで、〈不具〉という生きづらい〈生〉を、引きつづき生きねばらなかった人だ。生きづらい〈生〉を生き続ける、〈障害〉を抱えて生きることが、素木しづ作品の主題である。自己の体験を題材にした多くの私小説により、彼女が当事者として〈障害〉の現実を厳しく提出した意義は大きい。明治大正期の〈障害〉を描いた文学作品といえば、福澤諭吉『かたわ娘』(一八七二)、尾崎紅葉『心の闇』(一八九二)、広津柳浪『変眼伝』(一八九五・二~三)、泉鏡花の作品に多く描かれた〈盲目もの〉(『黒猫』(一八九五)、『歌行燈』(一九一〇)等)などがある。〈障害者〉像はいずれも、差別観の強い描写と偏見が色濃くでた人物造形だ。〈障害者〉を一個の人間として描くというより、時代の差別観や偏見が反映された人物造形と、不遇な身の上が一つの題材となり、ドラマティックな犯罪や怪奇譚、悲劇となる。また、当時〈病〉〈障害〉を当事者の視点から表現した作品では、『仰臥漫録』(一九〇一)『病床六尺』(一九〇二)などの正岡子規の随筆や、中江兆民『一年有半』などの病床記があげられる。が、〈障害〉をテーマの中心に据え、〈障害者〉の置かれた現状と差別の構造を、当事者の視点から告発した小説作品は、素木作品によって初めて生まれたともいえるだろう。

 本稿では、当時の女性の〈身体〉観の変化をふまえて、素木作品のヒロイン像や〈障害〉〈病〉の表象を分析し、新たな読みと評価を探りたい。社会の中で〈病〉〈障害〉が作られていく構造や、〈健康/不健康〉〈健常者/障害者〉の二項対立、さらには〈女性〉であることと、〈障害〉〈病〉を持つことにまつわる複雑なアイデンティティークライシスなど、素木作品から読みとれる問題は幅広い。〈障害〉〈病〉の当事者を描いた素木作品を読み直すことは、現代にまで続く〝健康神話〟や〈近代的身体〉を考えなおす端緒にも繋がるだろう。

一『松葉杖をつく女』
――行き場のない「健康な不具者」

病院
――〈隔離〉という名の「温室」

 『松葉杖をつく女』(「新小説」一九一三・一二)は、結核性関節炎となり治療の為に、右足を切断した少女・水枝が主人公だ。作品の舞台はおおまかに「病院」と「家」、招魂社や街頭といった「世の中」の、三つだ。本稿では、三つの舞台に即して水枝の心理を分析し、当時の〈障害〉を持つ女性がおかれていた状況と、作品のテーマを考察する。

 まず冒頭で、結核性関節炎で右足を切断した水枝が、「病院」から退院する時点で、既に水枝の葛藤は始まっている。小説は、「病」・「病院」=〈異常〉の側から、「世間」「家」・「健康」=〈正常〉の側へ投げ出された水枝が、それを受け入れるために葛藤する物語となっているのだ。はじめ、水枝は病院を「楽園」とすらいう。

 楽園の様な、温室の様な病院では、不具と云ふ自覚をも忘れさせる程、何の苦しみも恥しさをも齎らさなかつたのである。同じ人間――然うだ。水枝は同じ人間と思つて居た。

 〈病院〉は、〈病〉〈障害〉を持つ者の為の施設だ。〈患者〉として職務上ではあるものの「愛」を注がれ、〈病者〉や〈障害者〉に対する差別はなく、〈病〉や〈障害〉を持っていても「同じ人間」となる。〈病〉〈障害〉を持つ違和感を強く感じずに済む「温室」「楽園」なのだ。しかし、患者はあくまで過渡期の人である。病院は〈不健康〉〈異常〉を収容・隔離する場であり、その滞在の目的は治療する――〈健康〉〈正常〉へ戻す――こと。一時的な場所にすぎない。水枝は退院せねばならなくなった時、自分の置かれた〈不具者〉としての生を激しく拒絶する。「私は病人ぢゃないんだ! 片輪なんだ!」「健康な不具者!」という言葉は、行き場のない水枝の状況そのものといえる。「障害」は治らない、慢性または不治の〈病〉〈障害〉を抱えた者といえる。「健康な不具者」は〈障害〉を平常として生活せねばならず、退院すれば、〈患者〉として労わられる側から、〈障害〉を抱えながら健常者と同様に生活することを求められる。「世間」に出れば、〈人並み〉を求められ、同時に〈不具者〉として差別されるという二重差別が待つ。故に、水枝は未練を断ち切れず、退院後二度も「病院」を訪れる。「此処は自分の住みかである、此処は自分の居るべき所だ」と思い、「自分は帰らなければならないと考へて途方に暮れた。帰ると云ふことなど思わず、悠長に赤い傷の包帯などをして貰つてる患者が羨ましい」とすらいう。そして、「楽園」であった病院への固執と、〈不具〉への抵抗感が、「病は尊いものである。美しいものである、優しいものである」といった、〈病の美化〉の感覚すら生むのだ。しかし二度目に病院を訪れた時、水枝の「美化」も客観化される。「病院」という〈悲しく美しい病の物語〉からの卒業が訪れるのだ。

 鈴木さんに温かみを求め様として、窓際で話したが、鈴木さんは病人にこそ温める人情はあれ、水枝には只弱く静かに、物足りない。(略)自分には世の中がある。(略)病院に来るべき身ぢやない。水枝はダリヤの如き熱烈な熱と力を求める様にあせつた。そして鈴木さんの弱い瞳に、病室の夕ぐれ、青い瞳のうるんだ少女と、枕邊の薬瓶に細長いコスモスをさした白衣の人との対話を、幼き日読んだ物語の様に漸く思出して帰つた。そして、自分がたゞ一つ行く処のやうな気のして居た病院を失つたと考へた時は、たゞやたらに大勢の人が歩く道、日光の輝く戸外が恋しかつた。

 「自分には世の中がある」と思い、「ダリヤの如き熱烈な熱と力を求める様に」あせる水枝。常に同化していた「病院」や「看護婦」たちを対象化しえた瞬間、そこで過ごした日々は「幼き日読んだ物語」となる。そしてこの「病院」からの卒業と、「家」への反発により、やがて戸外――「世の中」「世間」――へと希望の光を見出そうとするのだ。「病院」という名の「温室」に執着し、〈病〉〈死〉のロマンティシズムに浸るのではなく、〈病〉と〈障害〉の現実を見据え、自力で何かを見出そうとする水枝の強い意志が感じられる。


――〈保護〉という名の管理と抑圧

 退院後の「家」とはどんなものであったか。足を失ったショックも冷めぬまま、家族と接する中で水枝の心は複雑に揺れ続ける。というのも、「家」における家族の視線は、家族独特の同情と憐憫に満ち、水枝を〈憐れな「不具」の娘〉として扱う姿勢が強いからだ。「不具」の娘を嫁にもらう家などない、水枝は一生独身で家に暮らす――というのが、家族の暗黙の了解だ。この家族の視線こそが、徐々に水枝の生活や生き方を管理し、「世間」よりもより具体的に、水枝に「不具者」らしい生き方を方向付け、暗黙理に抑圧していくこととなる。

 例えば、髪結いの場面では、「島田なんて大嫌ひ。一生私はこんな銀杏返しに結つて居ようと思ふの。(母に対して――引用者注)じみなのが宜いんですよ。私は一生大人しく家に暮すんだから」と、水枝は家族の意志を先読みし、自ら一生を家で暮らす意思表示をする。兄に髪型の話をする場面でも、「娘が縁談の決心を漸く言ひきつて、何とも言へない恥しさと淋しさに身がしまる様な気がした。(略)とうとう島田のことは言ひ出す事が出来なかつた」とある。一九〇〇年~一九二〇年代は、「健康美」「肉体美」が女性向雑誌に広くうたわれ始め、女性の「衛生」「健康」と〈身体の美醜〉、女性の生理や生殖能力なども遺伝や血統の問題とからめて当然のように語られはじめた。なおかつ当時、結核は遺伝性の病ともいわれていた 。結核を患った経験があり、かつ結核性関節炎で右足を切断した女性がどのように扱われるかは、想像に難くない。女性が結婚することが当然とされた当時、〈不具=結婚できない〉となれば、「女性」として否定されたも同然といえる。〈良妻賢母〉思想のもと、〈結婚〉と〈生殖〉と〈女性性〉が結びつけられた時代に、〈病〉〈障害〉を持つ〈女性〉が陥った、複雑なアイデンティティークライシスである。作中、この〈女性性〉の問題が特に顕著になるのが、水枝の豊かな黒髪にまつわる描写だ。ある日、母は水枝に「お前、そのまゝ尼になつたらどうだい/どこか大きな尼寺にでも入つて――髪を洗つた時、そのまゝそり落として」という。弟は、リボンを髪に掛けたいという水枝に対し、「大人しく掛けるつたつて、リボンなんて掛けるのは可笑しいよ。お前はなにも掛けずさうして居た方が一番いゝんだよ」と、禁止してしまう。そしてあとに続く、水枝の心理を描写した地の文は、〈障害〉を持つことで〈女性性〉まで剥奪された女性の悲しみを痛切に語っている。

 『だつて、よし子様や光子様はいつも簪やなにか挿して居るぢやないの。みいちゃんなんか、何んにも掛けた事がない――十四の年から――。』(略)只リボンも掛けられない自身の身を哀れんだ。飾ると云ふ事は女の一生を通じての本能であらう。愛するものゝ為に飾る事がなくとも、只それ自身の為にもするのである。もし一切に飾る事をしなかつたなら、女は自分があまりに哀れに下げすまれて、生きて居ることが出来ないかも知れない。

 〈不具〉に加え〈結婚できない〉ことで、家族からも「不具者」らしく「地味」に生きるよう強要され、「女」として装うことも禁止される。「世間」の〈不具者〉観を内在化し、〈障害者〉を家内で暗黙理に管理・抑圧してしまうのが、「家」や「家族」なのだ。

 しかし、「身を考へろ」という家族の忠告に従っていた水枝も、やがて反発していく。もはや「病院」という「楽園」を失った今、「家」にしか居場所がないというものの、水枝の求めるような明るい未来が家内にないことにも気付いたからだ。そして、何事も「廃人あつかひ」する家族の視線を撥ねつけ、「私がしようと思つて出来ないことはない」と主張することで、新たな生を求めていく。

 近頃水枝はすべての事が出来ると考へ出した。『みいちゃんには出来ないだらう。』などと廃人あつかひされる事が腹立しかつた。/『お前の身を考へて見て、お前に出来ることなら何とでもお言いなさい。』(略)『私がしようと思つて出来ないことはありません。今迄はしようと思はなかつたから、出来ませんでしたけど』身を考へろと言はれるのが、一番憎らしく悲しかつた。

 こうして、「家」「家族」に反発し、自己の意志で物事を判断し決定することで、さらに「病院」でも「家」でもない世界へ、自己の希望を探し求め始める。

○世の中
――〈身体〉的な違和と、新たな可能性の場

 「病院」でも「家」でもなく、自己の希望を探し求める場とはいえ、「世の中」は単純に心地よい場所だったわけではない。水枝が最初に感じたのは、「世の中」に対する全身の違和感だった。「夕暮れのどよめきは大波の様に――また戦場の様に人々は物狂はしく右往左往に走つて居る。其中に青い灯を見せて、電車が猛獣の様な叫び声を上げて轟然として行き過ぎる」という風に、電車通りの殺人的な喧噪が非人間的な空間として描写される。この場面での、水枝独特の鋭敏な身体感覚については、「近代に構築されたともいうべき身体感覚と身体観へも揺さぶりをかけ」「馴致された身体では感じることができない、機械化しスピードを増した近代社会への違和の感覚」 とする、岡野幸江氏の的確な指摘がある。まさに「温室」である「病院」から、「機械化しスピードを増した近代社会」へ投げ出され、生命としても疎外されつつある状況といえる。

 また「世の中」は、好奇の目にさらされる場でもある。道を歩けば、「人の眼はすべて水枝の頭の先から足の下まで追うて歩」き、「多数の子供の黒い小さな瞳がハツと一時に切断面に集まつたと思ふと、ピク/\と痙攣して転びさうにな」る。失望に打ちのめされた水枝は、「私はもう来ない」と言って家に帰る。このように、〈障害者〉には動きにくい不慣れな環境が水枝を戸惑わせ、外出の度にまとわりつく人々の視線が、〈世間〉に対する恐怖を植え付ける。「世の中」の環境そのものと、人々の視線が、水枝に無力感と失望を植えつけていくのだ。

 しかし「世の中」は、新たな可能性を見出す魅力も秘めている。初めて叔母の家に外出した際、水枝は「初めて自分が道を歩いたと云ふことが、なんだか或気にかゝる打ち明けなければならない事件の様に考へられて、何か自分の心の中に輝きがある様な気がして」と、ずっと病院と家以外の場所へ行かなかった自分が、他人の家を訪問し、帰宅したということに素直に感動し、「輝き」を見出す。退院後、水枝が日々の生活の中で「輝き」を見出すのは、たいてい戸外である。戸外でする初めての経験の一つ一つが、水枝に新たな自信と希望をもたらすのだ。さらに注目すべきは、戸外で「世の中」を眺めることが、次第に水枝独自の感覚や世界観を作り上げていく点である。例えば水枝が電車通りを歩けば、「幾多の星の様な光り物が投げられて居る様な」「恐ろしい破壊の音」の中、通りを歩く人々は「機械の様に歩く人間の様」となる。近代化された都市空間をせわしなく動く人間が「機械の様」とされ、当然のように自由に歩く人たちへの疑問が「人はねえ、なぜ自由にあゝ放逸に歩いているんでせう」「皆人は何処にでも来て道も木も空も世界も自分一人の所有の様に自由に歩いて」と、なる。世間の人が無意識にしている〈ただ歩く〉という行為にすら、そこに潜む「放埓」を、水枝は感知する。「放埓」という表現は、「歩ける」ことが当然と思いこみ、その真の価値に気付かずに「自由」を享受している者たちへの鋭い批評である。このように、水枝は〈障害〉を持つからこそ見える独自の視点で、「世の中」の当然とされる景色を異化するのだ。ただ〈不具者〉として世間の人々から〈見られる〉だけでなく、「世の中」の人々を〈見つめる〉姿勢――これこそが素木作品の提出する多義性であり、現代にも通じる斬新さである。そして、さらに読者を引きつけるのは、「水枝に対しては世の中の道の木の空のある一部分より与えられない」としながら、「けれども些かな所からでも世間のことが、すべて見たかつた」と、大胆にも願いつづける、水枝のあくなき希求心だろう。結末で、彼女は作家になることを決意する。独自の視点と感覚で〈世界〉をみつめ、書くことで世に訴え、自らの力で人生を切り拓く今後が予感される。

 前述したように、当時文人や著名人の病床記などは発表されていたものの、〈障害〉の当時者である女性が、自らをモデルに〈障害〉を持つ女性をヒロインに据え、自分の意志で生き自己表現をしようとする小説を発表したことは、稀有だったと思われる。また小説という構造を使い、〈障害者〉の置かれた状況と、心理的葛藤や内面世界を、これほどまで現実的に描いた作品も稀有だったと思われる。その意味でも、素木しづの作品は、日本近代文学史の上でも革新的な作品だったといえるだろう。

二 『三十三の死』
――〈死〉からの逆照射、
もしくは〝宙づり〟の〈身体〉

 『松葉杖をつく女』の女主人公が、希望の「輝き」を求め飛び出した「世の中」。『三十三の死』(一九一四・五、「新小説」)は、その「世の中」とさらに直面し、〈健常者/不具者〉の二項対立の世界から突き抜け、生きづらい〈生〉を生きつづける為に、〈観念〉により自己の地点を獲得しようとした物語だ。

 従来『三十三の死』は「三十三に死のう」という独特の〈死の観念〉から評価されてきた 。「観念的」とされる素木の作品世界だが、本稿で指摘したいのは、〈死の側〉からの「世の中」への強い逆照射という働きだ。〈死の側〉に立ち、「世の中」を自分の眼で一つ一つ意味付けることで、〈健常者/不具者〉の二項対立の世界から抜け、別の視点から世界を構築する。それが〈三十三の死〉の観念であり、〝宙づり〟ともいえる「お葉」の特異な位置となっている。

 作品はまず、冒頭で〈三十三の死〉を心に決め、希望とするお葉の宣言から始まり、お葉が〈死の側〉にあることが位置づけられる。以降は、お葉の視点を媒介に、主に道行く人々の視線や反応の描写がつづく。彼らは〈生の側〉――世間の秩序の中にあって生活を営む〈健常者/不具者〉の世界――の人々である。本稿では、作中の〈健常者/不具者〉の描写をとりあげ、特に〈不具者〉の描写から彼らに付加されたイメージを探りつつ、お葉が生んだ〈三十三の死〉の働きを分析する。

○健常者
――「世間」を凝縮した〈視線〉

 健常者は、主に街の人々の〈視線〉として描かれ、好奇の目、偏見の目がほとんどだ。たとえば、母に連れられた子供は、お葉の姿に最初は驚くが、やがて「安心したやうに、改めてお葉に対して驚異の瞳を輝かしたのであつた」と好奇心で眼をみはる。道で遊んでいた女の子たちは、子守が「可哀想だわね」とひそかに言って眉をひそめれば、小さな子が不意に「あたし、憎らしいわよ」と声高く叫び、「子供等は皆囲むやうにして見守つた」。〈子供は世間の縮図〉とよく言われるが、子供は大人たちの世界の常識をよく吸収しており、社会の〈周縁〉の存在だからこそ、大人より残酷なのかもしれない。子供は無邪気とも残酷ともいえる好奇の視線を、遠慮なくぶつけてくる。お葉はそんな子供たちを責めるでもなく、ただ〈三十三の死〉を胸に微笑んでみせるのだ。

 また特に印象的なのが、お葉が道で松葉杖をつく少女と行き違う場面だ。

 往来の真中をお葉と同じ松葉杖に身をよせて来た少女を見たからであつた。(略)往来の人はすべて袖を引き合つて少女を見た。お葉は心の中に一心になって、その少女と自分が見比べられることを避け様とした。人々がもしあの少女を見たならば、踵を返して自分を見出さないで欲しい。もし又前から自分を見てゐたならば、踵を返してあの少女に目をとめないで欲しいと祈つた。しかし人間の眼は自在に動く。彼の少女を捕へた好奇の瞳は、やがて軒下を憚つて歩くお葉の乱れた銀杏返しから、足元に到つたのである。そして裾にからまつて見えかくれする足は玩具のやうに進んだ少女と等しくあることを見出して、瞳を見張つた。

 この場面では、お葉を凝視してつまづく人や、松葉杖の少女を袖引き合って見る往来の人、松葉杖の少女とお葉とを見くらべた娘と男などが登場する。「松葉杖に身をよせる少女」は、もう一人のお葉ともいえる。お葉は「世間」の人々が少女を眺めまわすさまを、身を引き裂かれる思いで見つめ、その視線が自らにも注がれるのを極度に恐れる。やがて人々の好奇の視線が、容赦なくお葉にも注がれた時、お葉は、「私は本当に死ぬんだもの、三十三には死ぬんだもの」と「心のうちに嬉しく叫」ぶのだ。〈三十三の死〉とは、右のような「世間」の人の視線に出会う度、お葉が持ち出す観念なのである。人々の視線に出会う度、お葉は〈三十三の死〉を胸に「微笑んで」みせたり、「私は本当に死ぬんだもの、三十三には死ぬんだもの」と心の中で云い返すことで、〈見られる〉側から抜け、〈不具者〉として対象化される視線から逃れるのだ。〈三十三の死〉の観念とは、差別的視線に対する無言の抵抗であり、お葉に唯一残された〈観念〉による自己防衛といえる。

○不具者
――「世間」で、〈障害〉のために虐げられてある存在

 作中、実にさまざまな〈不具者〉が登場する。大変興味深いのが、自分と同じような境遇にあるだろう「世の中」の〈不具者〉をたえまなく拾う、お葉の視線だ。「瞳をとじて笛を吹いていく人」という盲目の流しの芸人に始まり 、「両足のない乞丐」 、「よごれた包帯を巻きつけた白木の松葉杖」の「廃兵」 、「跛の年老いた俥夫」などだ。いずれも下層階級か労働者階級、無職ともみえる、貧しくうらぶれた者のような描写となっている。「よごれた包帯を巻きつけた白木の松葉杖」の「廃兵」は、日清・日露戦争での負傷兵と思われ、当時の〈障害〉を持つ〈男性〉のおかれた立場のメタファーともとれる。また道で出会った少女たちの父親 の〈障害〉の理由には、「淫蕩」があげられ、〈障害〉への偏った先入観や潜在的な差別も感じられる。加えて、人物描写として気になるのが「汚れ」だ。前項でも引用した、往来で会った「松葉杖に身をよせてきた少女」は階級的な貧しさを付加されていないが、そのリボンは「汚れ」、廃兵の包帯も「汚れ」ている。ここにも〈病〉や〈不潔〉〈不衛生〉と〈貧困〉とが、〈野蛮〉として〈貧民〉に集約され差別化された時代性が感じられ、彼等の「汚れ」も一種の記号といえる。一方で、汚れを嫌い、きれいな服装にこだわるお葉は、彼らと対照的だ。お葉は松葉杖が「新しく黒く艶やかに塗られている」ことに拘り、「自分のすべてを習慣と経験とによつてよごしたくない。古くしたくない」とする。そこには、身なりによって、他の〈不具者〉同様更に差別されることを忌む心理と、〈障害〉に慣れることなく痛み続ける存在でありたい想いがある。

 以上のように、お葉の〈不具者〉への眼差しは、むしろ世間の人と同じ視線で、彼らを差別すらしている。それも、「世の中」に生きる〈不具者〉と呼ばれる者たちが決して恵まれてはおらず、「哀れ」で「奪略」され「虐げられてある」存在だからこそ、〈障害〉を持つ女性として、〈不具者〉という立場や生き方をそのまま受け入れられなかったからではないか。そんな心理が特に読みとれるが、「跛の老いた俥夫」との場面だ。道でよく会う俥夫が「同じ不具者の哀れみを乞ふやうな同情を強ひるやうに、笑顔を見せるやうになつた」とあり、〈不具者〉の自己憐憫・相互憐憫ともいえる仕草に対し、お葉は「哀れ」と思いつつ、拒絶する。これも〈同類相憐れむ〉ではないが、〈不具者〉が〈不具〉に慣らされた状態を感じさせ、〈障害者〉の差別的状況に対する〈諦め〉の態度にも感じられるからかもしれない。「自分は不具者の中のみにいたはられて、睦ましく暮らさなけりやならないといふのは堪へられない」とすら思うことも含め、お葉は〈障害者〉が「世間」で〈不具者〉として生きることに拒否感を持ち、自分と彼らを差異化しようとするのだ。前述の、道で出会った少女たちの父親 が、妻子を抱えながら〈不具〉を生きることに対しても、「彼は自分一人を殺すことができない。彼が死を思立つ時、父親より分けられた魂を持つた物淋しき多くの子供や、彼と融合して生きて行く女は彼の如く足を失ひ手を失ふ嘆きを見るのである」とし、〈三十三の死〉を持つお葉との差異を意識する。松葉杖の少女に対しても、「あの少女はまだ死なんて云ふことを考へる事が出来ないに違ひない」と、〈死〉を持たないため「無意義に虐げられてある」とする。お葉は彼らに同情しつつも、〈三十三の死〉を持つことで〈自己決定〉の自由を手にし、彼らと違う自分を意識し、差異化する。

 〈障害〉の現実を厳しく告発しながら、他の〈障害者〉に向けたこれらの態度や視線が、結果的に大変差別的でもあるという側面を、主人公のお葉も、また筆者である素木しづ自身も気づいていない点に、「三十三の死」の限界がある。お葉の視線には、当事者であるが故に、知らぬ間に内在化してしまった世間の〈視線〉でもって、誰よりも〈障害〉に対して差別的になってしまった〈障害者〉の二重の苦悩があるようにも思える。

 〈健常者〉の世界の中で、「世間」に合わせて哀れに悲しく生きる〈不具者〉への拒絶と、そんな「世の中」への抵抗。この二つが、〈三十三の死〉の観念を支えている。〈観念〉により〈死の側〉に立つことで、「世の中」の〈健常者〉も〈障害者〉も俯瞰する。そして彼らを、自分の彼岸にある〈生の側〉――「世の中」に適応して日常生活を営み、不確定な死まで「僥倖の幸福」に生き続けもの――として対象化し、〈健常者/不具者〉の二項対立の世界から離脱するのだ。〈三十三の死〉は、〈健常者〉が作る世界と、その中で生きる〈不具者〉のどちらにもなりえず、またなりたくないお葉独特の強い意志の表れであり、〈観念〉による戦略的な武装ともいえるだろう。

○〝宙づり〟の〈身体〉
――〈十全な肉体/欠落した肉体〉の狭間で

 お葉の眼が映し出した「世の中」は、人が〈健常者/不具者〉のいずれかとして生きるしかないものだった。そんな「世の中」を俯瞰するための武器となったのが、〈三十三の死〉の観念であった。が、本当に彼女は脱しきれたのかという疑問も残る。というのも、彼女の観念性があふれる一方、未だその〈身体〉は捨て置かれているようにもみえるからだ。そこで注目したいのが入浴場面である。入浴場面に関しては、女性の〈身体〉と〈女性性〉にまつわる北田幸恵氏の鋭い指摘がある 。北田氏の論を参考に、本論では入浴場面でのお葉の〈肉体〉の描写について再検討したい。〈三十三の死〉という〈死の側〉に立ちながらも、〈観念〉では覆えない現実が、お葉の〈肉体〉に表出されているからだ。

 入浴場面では、お葉の〈肉体〉を通して、若く健康な娘の側面が「美しさ」、〈障害〉を補いながら生きようとする肉体の側面が「畸形」と描写されていく。例えば、まず「肉体」の「美しさ」は、「ゆたかな肉」「くぼみは盛り上げられ」「肩はまるく両腕はながながとのび」「花のやうな乳房」「長い睫毛」といったように、女性の若々しい〈肉体美〉〈健康美〉として描かれる。一方、左脚は「あまりに緊張きつた一脚の足の肉」「精一ぱいの力で張りきつて」「少しのゆるみもなく延びてゐる」「支へることを知つたこの足の醜さ」となり、右脚は「日蔭の草のやうに、育たない短き肉塊の右足」は、「赤子のやうに、いぢらしく慄へ」「温かい血しほがゆるやかに流れてゐた」、「だんだん畸形にかはる自分の肉体」「浅ましく」と続く。両脚の描写はいずれも「畸形」と「醜さ」に集約されてしまう。ここに見られる、お葉の〈肉体〉に対する〈美醜〉の感覚も、女性の美しさとして〈肉体美〉〈健康美〉が盛んに言われ出し、〈病〉や〈障害〉、〈不健康〉〈不衛性〉が〈醜さ〉として排除され差別されつつあった時代感覚を如実に反映している。当時において〈障害〉と〈健康〉が混在する〈肉体〉を提出する意義は大きく、革新的であった。が、それを提出するのが限界で、一歩進めて、〈畸形〉それ自体をもう一つの美として〈美しい〉とする表現を持てなかった。やはり時代の概念に捉われ、〈肉体美〉は美しく、〈欠落〉は「醜い」「畸形」と書かざるを得なかった、ともいえる。つまり入浴場面では、〈障害者〉自身の表現によって自らの〈身体〉を取り戻すまでに至らず、まだお葉の〈身体〉は時代の概念に奪略されたままなのである。知らぬ間に内在化されていた〈近代的身体観〉で自らの身体をみつめ裁断してしまう、女性の〈身体〉にまつわる普遍的な問題が、そこには根深くある。お葉の〈肉体〉にこそ、〈健常者/不具者〉〈健康/不健康〉〈十全な肉体/欠落した肉体〉〈美/醜〉の間に引き裂かれ、そのどちらにもなりきれず、どちらにもなりたくない、お葉の〝宙づり〟の状態が象徴されているのだ。

おわりに

 素木しづは、生きづらい〈生〉をどのように生きるか、〈障害〉を抱えながらどのように生きるのかを格闘しながら書いた作家だった。『松葉杖の女』も『三十三の死』も表現はさまざまながら、作品を書くという行為自体が、生きづらい〈生〉を自らきり拓くための道だったのではないか。素木作品の女主人公にとって、歩きづらい環境や忙しない都市空間など、〈障害〉を持つことで実際的な不自由はあるものの、果敢に挑戦する彼女たちには大した問題ではない。水枝が「世の中」で「輝き」をみつけたように。彼女たちの〈生きづらさ〉の多くが他人から、世間や社会、また家族から与えられたものだった。そして気がつけば、なにより他人や世間の眼を内在化し、自分を裁断しようとする自分自身との葛藤から生まれる〈生きづらさ〉だったのではないか。だからこそ、お葉は必死に自分以外の〈健常者/不具者〉をみつめ、彼らとは違う地点に〈三十三の死〉の観念で到達しようとした。が、自己の肉体を見つめたとき、内在化されていた〈美醜〉の感覚を前に引き裂かれてしまう。〈健康〉という呪縛が、いかに人間を生きづらくしているのか。お葉の〝宙づり〟の身体を前に、現代の私たちも、もう一度〈健康〉と〈身体〉について考え直すべきなのではないだろうか。

  1. 「衛生環境の変化のなかの女性と女性観」(『日本女性生活史4 近代』、一九九〇、東京大学出版会)
  2. 『オトメの身体 女の近代とセクシュアリティ』一九九四・五、紀伊国屋書店
  3. 『〈清潔〉の近代 「衛生唱歌」から「抗菌グッズ」へ』一九九七・三、講談社
  4. 素木作品にも〈病〉=〈死〉というロマンティシズム、若く美しいまま死ぬ〈夭折〉への憧れがみられる。一般的に〈衛生〉や〈健康美〉が伝搬しつつある中、広津柳浪『残菊』(一八八九)や徳冨蘆花『不如帰』(一八九九)など、〈病のロマン化〉といえる文学作品も生まれた。福田眞人『結核の文化史』(一九九五・一〇、名古屋大学出版)によると、一八九六年の樋口一葉の死も、新聞や雑誌では〈天才〉と〈肺病〉、〈夭折〉という言葉でもって報道されていたという。衛生的で健康な〈身体〉が定着していく中、〈結核〉は特殊で運命的な悲劇として物語化されていったといえるかもしれない
  5. 福澤諭吉『血統論』(一八八四)に記述がある。疾病や身体能力を、遺伝や血統と関係づけ問題視し、人間の身心の能力には祖先の遺伝による差があり、結婚の際に相手の血統を調べる必要があるとした。
  6. 「囚われた身体を放つ――素木しづ「松葉杖をつく女」から「三十三の死」へ」(『女たちの記憶 〈近代〉の解体と女性文学』所収、二〇〇八・四、双文社出版)
  7. 山田昭夫氏は、「観念操作」による「自己決定」が「至難を思わせる運命の絶対的肯定を可能にし」「窮すれば通ずる逃げ道の発見ともいえるが、しづに逆境意識からの脱出をもたらした」(「素木しづ白描―文学と生涯―」(『素木しづ作品集 その文学と生涯』所収、一九七〇・六 北書房))と評価。北田幸恵氏は、「お葉にとって三十三の死の決意は、限られた人生の尊さを認め、生に愛着を覚える唯一の方法」(『近代文学 ヒロインの系譜』所収、一九九〇・四 双文社出版)とし、岡野幸江氏は「自分の意志によって自分の運命を支配しようとする、まさに自己決定の表れ」(注⑥と同掲)とする。
  8. 「子供は瞳を閉ぢて笛を吹いて行く人、背中を駱駝のやうに曲げて歩く人、二脚の杖にすがつて、一脚の足を運ぶお葉の姿に驚きを感じたことであらう」
  9. 「活動写真の横町から両足のない乞丐が両手をついてのそりと出てきた」
  10. 「青山の墓地などを車で通つた時、よごれた包帯を巻きつけた白木の松葉杖に身を持たせて来た廃兵を見たことを思い出したのである」
  11. 「あの子の父親は、淫蕩の為めに不具になつたのであらうか。またそれが不意の風のやうに起こつた禍であつたのであろうか。また自分のやうに静かに襲つて来た病魔の仕業であつたかもしれない」
  12. 注⑪を参照
  13. 「お葉にとって甘美な若さの横溢と残酷な欠落した現実とがせめぎ合い葛藤する戦慄の場」「男の視点によって一方的に意味づけられてきた女の肉体を、〈欠落〉を媒介にして、女自身の視線で取り戻し回復しようとした表現」(「三十三の死 作品解説」(注⑦と同掲))

付記

 本文引用は、「松葉杖をつく女」は『日本近代文学大系48巻 大正短編集』(角川書店、一九七二)、「三十三の死」は『現代日本文学全集85巻 大正小説集』(筑摩書房、一九五七)より、旧漢字を新漢字にあらためて引用。また本稿は、二〇〇八年度社会文学会春季大会(平成20年6月21日、於日本女子大学)での口頭発表をもとに加筆したものである。会場にて貴重な御教示をいただいた皆様に感謝申し上げます。

【付記】
本研究は、科研費の助成金によって作成されました(JSPS科研費 22K00357)。
This work was supported by JSPS KAKENHI Grant Number 22K00357.

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