一、はじめに――
〈病〉の文学史における『苦海浄土』の意義
〈病〉の文学史において、最も多く描かれた病は、結核、不治の病・死の病、〈病のロマン化〉である。『隠喩としての病』で指摘されてから、文学における〈病〉は「〈病〉のロマン化」の側面で分析・批評されることが多い。〈病〉は病原菌や遺伝性などが原因であり、元をたどっても、その罹患や発病に関して、患者や周囲が完全には回避できないものであった。前提には、〈病は、人間が作り出したものではない〉という点があった。コレラ、結核、ペスト等、従来〈病〉は人間が作り出すものではなく、人間の力の及ばない場所で発生し、猛威を振るうものであった。一方、〈病は、人間が作り出したものではない〉〈人間の力が及ばない領域〉という文脈を大きく覆したのが、石牟礼道子が描いた水俣病、被爆者たちを描いた原爆文学である。いずれも、人類の手で、文明・科学技術によって生まれた〈病〉であり、産業汚染や、体制や企業の利益優先、人命の無視の結果としての人災である。まさに〈病〉の文学史の上でも、時代を変えた作品と再定義できる。以上のことから、本論では『苦海浄土』を〈病〉の文学の視座から読み直すことで、新たな評価を試みたい。『苦海浄土』は、ルポルタージュの手法を用いることで、実際にあった公害病問題を題材にしており、水俣病患者の描かれ方についても、〈病〉と〈ジェンダー〉の関係性や、〈病者〉の聖化と〈語り〉の構造について興味深い内容を含んでいる。これまでの『苦海浄土』研究動向では、反近代・近代文明批判としての意義、石牟礼独特の文体に着目した「聞き書き」について、石牟礼道子独特の〈語り〉〈語り部〉の役割と構造の分析等が中心であった。管見ではあるが、中島虎彦「文学にみえる障害者像 石牟礼道子「苦海浄土」」(「ノーマライゼーション 障害者の福祉」一九九六年一一月号)が、障碍者文学の視点から触れている以外には、先行研究において、石牟礼道子作品の〈病〉の文学として再検討する論はまだない。
二、患者の描写にみる、
〈病〉と〈ジェンダー〉の関係性
作中の水俣病患者たちの表象は、〈病〉の文学を考える上で、示唆に富む描写となっているが、特に印象的なのが、健康で元気だった頃の生き生きした姿と、罹患した後の悲惨な姿との落差である。特に、罹患後の心身の描かれ方や人間関係の変化は、〈病〉と〈ジェンダー〉〈性役割〉の関係性を考える上でも、意義深い。
坂上ゆきの描写には、月経、堕胎というエピソードがあり、女性患者の場合は〈女性〉としても尊厳が踏みにじられるという、非人道的な屈辱的表現としても読み取れる。例えば、月経は「うちはほんと恥ずかしか。月のもんも自分で始末しきれんおなごになったもね……」(第三章)と語られ、「水俣の、あんたんとこ(引用者注――夫のところ)に、嫁入りして来さえせんば、月のものまで、あんたにしまつさせるよな、こういう体にゃならだった」(第七章)とあり、月経により夫の手や看護人の手を煩わせることに、恥ずかしさを感じる描写となっている。坂上ゆきは、自分の月経を止めてくれと医者に頼みすらしている(第三章)。罹患したことで、女性特有の生理現象としての月経は、自己処理できない故に、女性患者にとって「恥」となっているのだ。また、赤子は「奇病で親の身が大事ちゅうて、生きてもやもや手足の動くのを機械でこさぎだした」「申しわけのうて、恥ずしうてらたまらんじゃった」(第三章)と、堕胎も「恥ずかしさ」「申し訳なさ」の感情で語られる。以上のように、月経、堕胎という女性特有の生理にまつわる現象が付加されることで、逆説的に、坂上ゆきの〈女性性〉が浮上する。そして、特有の恥ずかしさや申し訳なさが語られ、女性の生理を自己管理できなくなった「おなご」として、否定的に語られる。
また、罹患による夫婦関係の変化も、男女の関係性と性役割を考える上で、興味深い。坂上夫婦は、健常だった頃は理想的な夫婦として描かれ、発病後も献身的な「看病人」の夫と病妻との夫婦愛が描かれる。はじめ、夫に世話されるという性役割の逆転によって、坂上ゆきの感謝、申し訳なさ、罪悪感が吐露されている(第四章、第七章)。しかし、最終的には、その夫婦像も覆されてしまう。模範的な看病人であった夫は、ゆきを離縁してしまうのだ。夫は長い看病の末に「はい、つとめるだけつとめました。もうつとめも終わったろ。わしの方が長うつとめたで。二度とゆきがところに戻る気はありまっせん。水俣病ばわしにかぶせるごとになってしもてから」と語り、二度と妻の元へは戻らなかった。後添いへの長い看病生活に、子どもたちも「あのような病人についとれば、お父っつあんの先がなか、戻ってこい」と父に離縁を勧めた(第七章)。夫が病妻を看護している構図に対し、世間は夫に同情的になる傾向が強いだろう。しかし、もしこれが逆の立場、つまり病気の夫を妻が看護する関係性であったならば、ここまで美談になり得ただろうか。そのように考える時、やはりジェンダー的な性役割の先入観が、強く影響していることに気づかされる。少子高齢化社会が進んだ現在ならば、男女ともに、パートナーや家族の介護や看護をするのは当然になりつつあるが、『苦海浄土』が書かれた当時は、まだ看護や介護は、女性の役割だったと考えられる。このように、患者の夫婦関係をみても、〈病妻もの〉の美談では収まらないリアリティがあり、仲睦まじい夫婦の関係をも破綻に追い込む水俣病の悲惨さが、厳しく描かれる。
男性患者の場合、例えば、釜鶴松、荒木辰男、仙助老人は、健常時の男っぷりや勇ましさ、力強さが強調される。仙助老人に至ってはその集落の生きた伝説のような印象すら受ける。それがかえって罹患後の弱体化を、いっそう際立たせる語りとなっている。発病後は、講話障害や発話不能に陥り、彼らは自分で自分を語る言葉を持ち得ず、沈黙している。そして「私」の語りにより、目だけが輝き、水俣病によって変容した身体と、弱体化した身体能力が描かれる。元漁師であり、元来無口だったかもしれない男性たちだが、講話障害により、さらに沈黙の存在となっている。〈病〉が漁師だった男たちから〈男性性〉を奪い、弱体化たらしめるのである。
以上のように考えると、〈病〉による変容は、単に身体的変化に留まらず、〈女性らしさ〉〈男性らしさ〉にも関与する生理現象や身体的特徴の変化も含んでおり、それは患者自身のアイデンティティーにも強く影響を与えている。女性患者ならば、〈病い〉の症状や闘病生活の中で、〈女性〉特有の生理現象の自己管理ができないために、〈女性性〉は恥ずかしさや申し訳なさとなって表出される。また、堕胎も、本人の語りでは恥として語られているものの、罹患故の堕胎という外部の判断が加わっており、〈産む性〉としての女性機能の剥奪とも読み取れる。男性患者ならば、〈男性性〉が失われ、弱体化することで本来の姿を失う形で描写される。『苦海浄土』のこれらの描写からも、現実の社会福祉においても、〈病・障害〉と〈女性性/男性性〉、〈ジェンダー〉の関係性が、患者の尊厳を考える上で重要で
あることを、思い起こさせる。昨年、旧優生保護法によりハンセン病患者の強制不妊が行われていた過去が明らかになり、患者らが受けた差別的政策が公になった。集団訴訟に進むことで、さらに歴史的な事実が検証されると思われるが、強制的に生殖機能を奪われることが、いかに非人道的で、人間の尊厳を奪うものであるかを考えさせられる出来事だった。また、障害者福祉でもしばしば問題視されるのが、産む権利も含め、障害者の性をどう自立的なものとするかという問題である。〈病・障害〉の当事者でも、自らのアイデンティティとして〈男性性/女性性〉や〈性〉を保持する自由があるはずなのだが、〈病・障害〉を持つことで、それも叶わない現実がある。実際の社会福祉でも議論が待たれる観点であるが、日本近現代文学における〈病・障害〉と〈ジェンダー〉〈女性性/男性性〉の観点でも、まだ議論や指摘が少ない領域であり、より丁寧な分析を必要とする。本論では紙幅の関係上、問題提起にとどめ、今後の検討課題としたい。
三、子どもの患者と〈聖性〉
――語りの構造と病の物語
『苦海浄土』の場合
『苦海浄土』の世界観や表現の特徴の一つに、アニミズムや民間信仰、神話への親和性があげられる。これは『苦海浄土』だけではなく、多くの小説や随筆、短歌でも、石牟礼作品の表現に色濃く見られる特徴だ。そして前近代への親和性が、基底部分では〈反近代性〉、さらには〈近代文明批判〉にも通じるものとして評価されてきた。
本項では、患者の中でも、〈子ども〉の描写にみられる〈聖性〉に注目してみたい。というのも、胎児性の患者や、子どもの水俣病患者の描写の場合、子ども自身の語りではなく、親や祖父母などの大人たちによって語られる構造があり、その語りにより、彼らの〈生〉の光と闇が〈聖化〉されていく過程が頻出するからだ。
例えば、「第四章 天の魚」に登場する江野津杢太郎少年とその家族の箇所では、地元の伝統的な漁師一家の姿が描き出される。杢太郎少年は、「排泄すら自由にならない胎児性水俣病」の患者で在り、当時九歳だが、三歳程度の体重しかなく、介助によって食事することだけが可能で、床に転がっている様から、身体不自由だと推察できる子どもだ。作中では、「木仏」と呼ばれている。杢太郎の母親は、水俣病の子どもと夫を捨てて、今は再婚し、別の家庭をもっている。それらの親子の顛末も、祖父が語り部となっている。杢太郎少年の家の祭壇には、「老夫婦の精霊信仰」により様々な神仏像や縁起物と、母親の写真と、母親の水子が祀られ、神仏混淆された土俗的信仰が息づいている様子が丁寧に描かれる。こうした中、杢太郎少年は以下のように描写される。
あねさん、この杢のやつこそ仏さんでごわす。こやつは家族のもんに、いっぺんも逆らうちゅうこつがなか。口もひとくちもきけん、めしも自分で食やならん、便所もゆきゃならん。それでも目はみえ、耳は人一倍ほげて、魂は底の知れんごて深うござす。一ぺんくらい、わしどもに逆ろうたり、いやちゅうたり、ひねくれたりしおてよかそうなもんじゃが、ただただ、家のもんに心配かけんごと気い使うて、仏さんのごて笑うとりますがな。(中略)おるげにゃよその家よりうんと神さまも仏さまもおらすばって、杢よい、お前こそいちばんの仏さまじゃわい。爺やんな、お前ば拝もうごだる。お前にゃ煩悩の深うしてならん。あねさん、こいつば抱いてみてくだっせ。軽うござすばい。木で造った仏さんのごたるばい。
この一家の様子は、「祖型」と評されている。そして江野津家の大黒柱であり、一家係累の物語を語る役をになっているのが、「お爺」である。杢太郎の少年やその母の物語も、お爺の語りによって、説経節のように歌い上げられていく。中でも、杢太郎少年の様子は、祭壇の神仏同等に「仏」「木仏」として語られる。
また、「第五章 地の魚」の「草の親」で登場する、杉原ゆりという入院患者のストーリーも、母親の長い語りによって展開される。というのも、杉原ゆりは、六歳から奇病になり、十七歳になった今もおしめをつけた状態の彼女は、蠅が目にとまっても瞬きもせず、植物人間のような状態であり、自ら語ることは不可能だからだ。そんな杉原ゆりの母親の語りは、前近代的な病、障害観と重なる表現が多い。例えば、空から落ちた鳥の子が死んでいて、それがゆりだったという不吉な夢を見て、「何の因果でこういう姿になってしもうたかねえ。生まれ子のときは、どうぞ、手の指足の指いっぽんも、欠けることなしに生まれてきてくれい、きりょうは十人並みでよか。どうぞ三本指にはなってくれるな。人並みの子に生まれてくれいちゅうでかあちゃんも、ねごうたよ」と語り、その後も「手足の指いっぽんも欠けることなしに生まれたものを、なして、この手がだんだん干けて、曲がるかねえ。悪かことをしたもんのように、曲がるかねえ」とする。母親の心理を単純に思いはかれば、子どもが健康に、健常者で生まれてきてくれと思うことは、誰しもが抱く願いではある。ただ、〈病〉〈障害〉と「悪かこと」とを結びつけ、因果関係を結びつけて語る文脈は、科学的根拠のない迷信と〈病〉〈障害〉が結びつけられた前近代的な〈病〉〈障害〉観と重なる。この文脈を、障害児を産んだ母親や、障害をもって生まれた子どもが読んだとしたら、言葉通りには受け止められないだろう。差別意識で書いたものでは決してないとは思われるが、語りの中で当然の様なリズムで語られるので、ゆりの悲惨な現状と相まって、そのまま受容してしまいそうになる。一方で、娘の不幸に哀しみ、混乱した母親の語りは、さいごには愛情に集約され、「ゆりが草木なら、うちは草木の親じゃ。ゆりがとかげならとかげの親、鳥の子なら鳥の親、めめずの子ならめめずの親―略―なんの親でもよかたいなあ。うちはゆりの親でさえあれば、なんの親にでもなってよか」と、草木や虫、鳥などと人間とを同様に語る感性に吸収され、娘への全肯定に落ち着く。山川草木悉皆成仏ではないが、人間中心主義を否定し、真のヒューマニズムを問う表現ともとれる。逆に〈人間とはなにか〉を問うような表現となっている。
石牟礼作品の〈病〉〈病者〉の描き方の特徴として、その表現が〈反近代〉的であるため、〈前近代〉的な価値観や美学、思想に重なるという点がある。それゆえ、前近代的な〈病・障害〉観と紙一重になっているのだ。また、病や障害の悲劇や不幸を語りつつ、患者の聖性や特別さを同時に語るという構造の、両義性がある。あるいは、語りの構造といっても、水俣病による構語障害で患者は言葉を失っている。講話障害の子どもが登場する際も、大抵、母親か祖父などの大人の親族が語り部となり、その幼児や子どもを描出する構造になる。〈聖化〉される対象は、ただ描かれる側の存在で、自ら語るすべを持たないともいえる。
短編「いまわの花」
――〈構語障害〉と〈詩〉
前述の『苦海浄土』の、水俣病の子どもの聖化と〈語り〉の構造を考える上で、非常に参考になるのが、短編「いまわの花」だろう。こちらも、水俣病患者に取材した短編だが、患者たちの病状の悲惨さや社会的立場の「告発」という側面よりも、石牟礼道子の作品の持つもう一つの性質がよく抽出されている小品だ。つまり、水俣病患者たちの生きた精神世界や、患者の属する共同体の思想が中心のテーマとして描かれ、石牟礼道子研究でよく指摘される〈前近代〉的、〈反近代〉的な民間信仰や土着信仰が描かれている。
題名「いまわの花」は、「水俣病で死んだ幼女が、いまわのきわにみていた花」から取られており、八歳の幼女・とよ子が母に呼びかけた声が、引かれている。「なあ かかしゃん/かかしゃん/しゃくらのはなの 咲いとるよう/美しさよ なあ/なあ しゃくらのはなの/いつくしさよう」という詩のようなつぶやきだ。「極端な「構語障害」」のため「まわらなくなってしまった口で」、とよ子が母に語る桜の花の美しさは、独特の音の響きを持ち、冒頭の生月島隠れ切支丹の歌オラショと重なりつつ、一種の詩となっている。とよ子の語る「しゃくらのはなの いつくしさ」は、「水俣弁」という郷土の言葉の上に、更に〈病〉による「構語障害」がもたらす発音という、二種類の言語的特徴を持つ。
川村湊は「潮の橋の上で――石牟礼道子論」(『風を読む水に書く マイノリティー文学論』所収)で、石牟礼道子の「水俣弁」を「日本語の標準語に対して、ときどきコブのように結節した部分を露わにする」とし、「「文体」だけの問題ではないが、明治開化期の言文一致運動から持ち越されてきた標準的な「国語」の文章規範とは別の価値観に基づく「文章」が、水俣病患者による公害企業・チッソや水俣市、熊本県、日本政府への行政批判の社会的運動とともに、一種の言語的反乱として呈示された」と指摘し、『苦海浄土』の文体分析から、石牟礼の文体が持つ独特の語感がいかに「言語的反乱」たりえているのかを評価した。また、石牟礼自身も文体について、「わたしは文学は、東京ではこういう文章がいまはやっているんだな、と読んではみますが、当時の文体をつくっていく意識というのは、わかりませんでした。心の襞というのか、デリカシーが限りなく足りないような、もっと人間の心というのはちがう。なぜだろうとよく考えてみると、東京を目指して出ていった村々の選良達は、青春の時期に東京に行って、故郷の、庶民の、底辺の気持ちを知らないまま、都市市民になってしまったんだなと思って、それがこういう文体になるにちがいないと思いました(以下略)」(鎌田慧「痛憤の現場を歩く58 水俣をめぐる石牟礼道子さんとの対話・上」(『週刊金曜日』二〇〇六・九・一))。とインタビューで答えている。
石牟礼自身も、「東京」の「都市市民」の文章と、「庶民」の「底辺」の気持ちの乖離を明確に自覚し、「私が文章を書くのであれば、やはり違うように書かなければいけない」(同右)という意識で、「新しい語り言葉」として「方言」を「蘇らせ」たと語っている。文体もすでに〈中心〉と〈周縁〉の意識でもって編み出されており、〈周縁〉や〈反近代〉の側から作品世界が作り出されているのがわかる。以上の指摘からも、「いまわの花」のとよ子の声は、「標準語」に対する「水俣弁」、さらには「構語障害」の発音という、二重の「言語的反乱」だということがわかる。実際、とよ子の発した言葉は、「標準語」で語られたとしても〈詩〉にはなりえなかっただろう。あくまで「水俣弁」で、「構語障害」だからこそ持つ独特の発音とリズムが、一種の〈詩〉にさせている。「まわらなくなってしまった口」で語られる言葉・「構語障害」は、通常ならば〈病〉のわかりやすい一症状として、口に出さないまでも、哀れな病者として同情される発話かと思われる。それも「標準」と思われている「言語」「発音」があるからこそ、そうではない「構語障害」という症状が認識されるのだが。このように、作品前半の幼女・とよ子の語った言葉やエピソードの箇所は、主にとよ子の母親・溝口まさねによって、「わたし」に語り伝えられたものだ。その言葉やエピソードは、石牟礼作品に登場することで、「構語障害」の幼女のただの呟きではなく、一篇の詩として昇華されている。〈子ども〉であり〈水俣病〉でもある、〈周縁〉の人たちの最底辺の声をすくってできた詩となる。また、告発文ではなく、あくまで〈詩〉という形で〈周縁〉の人たちの声を吸収・昇華し、世に提出する点が、石牟礼の作家としての手法といえるだろう。告発や主張といったむき出しの形ではなく、〈文学〉や〈詩〉の力で呼びかけるところが、石牟礼作品の原動力となっている。この作品でも、当事者のもとの声や言葉を活かし、そこに意味や意義、演出を加えることで〈詩〉に構成しており、石牟礼道子の創造性が、良い意味で発揮されている作品といえる。この詩の箇所に関しては、当事者の言葉がそのまま活かされている点で、とよ子自身の純粋さや感性の発露としても、評価できる箇所だと考えられる。
水俣病患者の少女の表象と、
〈聖化〉の構造
また、作中、とよ子の描写は、とよ子自身の声と花を指す動作だけであり、大半はまさねの語りによって描かれる。実際は、水俣病患者だった幼女・とよ子の声や死は、まさねの語りが付加する意味や物語によって、清らかな物語として提示されるのだ。まさねは、とよ子の〈病〉と〈死〉を「人間のかわり、人さま方のかわりでした」と語る。「人さま方のかわり」をし、「人間の負うたことのない荷ば負うて、往」たことで、とよ子は「よか仏さんになりましたろうなあ」「よかところにきっと往たとる」とする。つまり、「人さま方のかわり」に苦しんで死んだのだから、死後はきっと良い仏になって、良いところ(天国?極楽?)へ行っただろうという解釈だ。そんなまさねを、「わたし」は、「人さま方の替りに、人間の負ったことのない荷を負って、八つの娘とともに往くのだとは、人柱になる者の想いに近い。望んでなったのではないが、われとわが胸に、そのように言い聞かせねば、娘も成仏できまい。」と理解する。唯物論的感性からいえば、水俣病になることが「人さま方のかわり」であったり、死んで「仏さんになる」、「よかところに往く」という文脈は通用しないだろう。前述の手指が曲がることを、悪いことをした因果かとする病気因果説と、同じ感性といえる。しかし、このような物語に回収することで、少女の人生が、〈聖性〉を帯びて昇華されていくのだ。とはいえ、それは単なる前近代的物語への回収ではなく、それを一つの核としつつ、まさねの語りと「わたし」の語りとが混然一体となって、構成されていることに気づかされる。
この箇所について、岩淵宏子の指摘に、「先の少女も隠れキリシタンの人々も、現実での徹底した受難の深さゆえに、彼岸の世界において純化され聖化される存在」(「作品鑑賞」、『短編女性文学 現代』(おうふう、一九九三・一一))とある。たしかに、とよ子の〈聖性〉には、「受難の深さ」という殉教者、人柱としての犠牲の側面に加え、現世の苦しみの中にあっても桜の花を指差して「いつくしさよ」と呟ける純粋性がある。その上、とよ子の〈聖性〉は、少女本人の言葉が一つの核となり、母親・まさねの語りと、「わたし」の語り、そして作者の構成力と演出により、作品全体で編まれていくものだったという点も、本論では付け加えておきたい。石牟礼道子の創作秘話として、様々な人に取材しながらも、必ずしも取材した人たちの声そのものを直接に写し取った「聞き書き」ではない事は、石牟礼研究では既に共通理解である(渡辺京二「石牟礼道子の世界」による。(『苦海浄土 我が水俣病』講談社文庫、一九七二・一二))。とよ子の声や溝口まさねの語りを掬う際、作者の石牟礼が直接に彼女たちの言葉を写したかどうか、創作がどの程度入ったかは、厳密にはわからない。親子が存在した事実を元に、苦しみの中にあっても桜の花を指差して感嘆する幼女として、とよ子を描写することで、作者がそこに人間の純粋さを重ねているのは確かだ。ヒューマニズムや人権を声高に主張せずとも、とよ子の存在が、詩のような呟きと相まって、人間の生命の脆さや儚い美しさを感じさせる。作者は、作品全体でそれらを意図的に構成し、水俣病を描きながらも、病の中でも純粋性を保ち続ける少女の物語を、殉教者を思わせるような神聖さでもって描いている。
以上のように、『苦海浄土』や「いまわの花」にみられる、〈病気の子ども〉の表象と、〈語り〉、〈聖化〉の構造は、石牟礼の水俣病文学の方法と質を理解する上で、大変有効なモチーフである。本来ならば言葉を失い、言葉を持ちえない当事者が、周辺人物の〈語り〉によって物語を付与され、さらに作者の手によって〈詩〉になり、〈小説作品〉として成立していくプロセスが、実に明確だからだ。〈物語〉も〈聖性〉も、当事者自身によって語られ作られたものではく、むしろ周辺の人物にたちによる共同創造だった。そして、文脈には石牟礼節といってもいい前近代的な表現が駆使され、土俗的で神話的な世界観に巧みに作りあげられる。始まりは、ほんの小さな核(「いまわの花」であれば、とよ子のつぶやき)だったかもしれないが、それを幻視者・石牟礼道子が、人々を魅了する物語に構成しているのだ。
四、さいごに
――石牟礼作品の〈病〉の語りと〈聖性〉
石牟礼作品の〈病〉〈病者〉の描かれ方を分析してきたが、その特徴として、前述したよに、表現が〈反近代〉的である故に、語り口が〈前近代〉的な価値観や美学、思想に重なる点があげられる。その〈反近代〉性やアニミズム的な世界観故に、前近代的な〈病・障害〉観と紙一重なのだ。また、〈聖性〉が語られるときの構造として、病や障害の悲劇や不幸を語りつつ、患者のもつ特別さや神聖さを同時に語るという両義性がある。本論では特に子どもの患者を分析してきたが、声や言葉を失った当事者が描かれる際、語り部は、患者の近親者や、視点人物の「私」となる。講話障害の当事者が、自分のことを語ることは少ない。
これらの表現の特徴や語りの構造を、どう評価すればよいだろうか。石牟礼道子が、様々な文体を駆使した巧みな語り部であり、独創的な〈幻視〉者であっただけに、読者もその物語世界に魅了される。しかし、障害者文学、病者の文学として考えたとき、〈当事者性〉という意味では、その語りや構造に、追究すべき余地がまだ残るのではないだろうか。〈病・障害〉の〈聖性〉の物語は、物語として感動を呼びやすく、実際に石牟礼作品の語りには誰しもが惹きつけられる。しかし、〈病・障害〉と〈聖性〉を結びつける方法は、〈病のロマン化〉に近似している。しかも〈聖性〉を盛られる対象が、講話障害の子どもが中心となると、より客体化しやすい対象であり、語り手は自由に物語を創造できる。このような特徴には、患者の〈当事者性〉を問う以前に、まず社会的救済をという段階であった当時の時代性もあるだろう。〈社会への告発〉という作品自体の主題や意図は、患者の権利や尊厳を復活させることである点は確実なのだ。が、その表現や語りには、旧来の〈障害〉の語り口、前近代的な病観、障害観と重なるものも多いのも事実なのだ。
これらの特徴を理解する上で、参考になるのが、説経節だ。石牟礼道子の独特の文体は、しばしば説経節や浄瑠璃とも評される(渡辺京二・伊藤比呂美・谷口絹枝・ジェフェリー・アングルス「石牟礼文学の多面性」シンポジウム、『現代詩手帖』二〇一四年十月)。説経節は、従来から障害者文学でも指摘されているが、観音への祈願によって盲目が癒える物語『俊徳丸』や、癩病になった小栗判官が熊野詣により神仏の庇護で治癒・復活する『小栗判官』もあり、不遇の病と信仰による治癒が語られる点で有名だ。説経節の世界では、罹患と治癒がセットになることで、神仏への帰依や信仰、奇跡へと唱道される。神仏への帰依や信仰を説くものであり、結末の奇跡へと集約されていく。一方、現代の説経節ともいえる石牟礼道子の文学では、病の治癒という奇跡は訪れない。説経節の語りと情念だけが残り、治癒の奇跡は消え、語りの過程に発生する〈聖性〉だけが残ったともいえる。石牟礼の〈病〉の語りと〈聖性〉については、「天草の隠れキリシタン」との関連性もふくめながら、能・狂言、浄瑠璃との関連性も視野に入れて作家論として検討する必要があり、今後も検証を続けていきたい。
参考文献
- 新フェミニズム批評の会『〈3.11フクシマ〉以後のフェミニズム 脱原発と新しい世界へ』二〇一七・二 御茶の水書房
- 佐藤泉「『苦海浄土』のさまざまな「栄耀栄華」――「聞き書」の主体とはだれであるか」二〇一三・三「叙説」九号
- 金井景子「「償い」を問う――「水俣病」と石牟礼道子『苦海浄土』の半世紀」二〇〇九、「早稲田大学教育学部学術研究・国語国文学編」五八号
- 岩淵宏子「表象としての〈水俣病〉―石牟礼道子の世界」二〇〇一、「社会文学」一五号
- 〈付記〉本文引用は、『新装版 苦海浄土 わが水俣病』(講談社文庫、二〇〇四年。文庫版の本文は、一九七二年十二月刊行のものと同じ)に依る。


