沼田真里
はじめに
これまで『新居浜高専紀要』(R6年度から『新居浜高専年次研究報告』に改名)に継続的に発表してきた森盲天外の新出資料ですが、最後の一編である森盲天外「水戸烈公民政一班」は、「盲天外デジタルミュージアム」にて発表することにしました。本原稿は文章の途中で終わっており、未完成原稿と推察される作品です。今後、本原稿の内容を検証し、価値や意義をあらためて再検討して論文化する予定です。まずは森盲天外「水戸烈公民政一班」の本文内容をご高覧いただけましたら幸いです。
本文
【凡例】
翻刻するにあたり、歴史的仮名遣いはそのままとし、旧字体は新字体に直した。口述筆記者による崩し字やカタカナによる当て字、誤字などは、意味内容として適当と考えられる表記へとあらためた。原稿の保存状態により解読不可能な箇所や欠字に関しては、□とした。また長文が続く箇所では、内容をふまえながら適宜改行した。赤字で削除の指示がある箇所は、〔 〕で残すこととした。
「水戸烈公民政一班」森盲天外
烈公(徳川斉昭)が夙に勤王の大義を唱へて、幕末の妖雲を撹破し、時に罪を得て全く其志を大成し得なかったが、併し王政復古維新の大業を修め得たに預って力ありしことは世の認むる所であらう。公は学古今に通じて、〔文武両道に〕識見高く其性〔慧眼〕英邁にして果断、啻に国政に対して其志の篤かったのみでなく藩政を行ふて治績至らざるなかった。依て世に〔水戸〕義公(光圀)と共に明君として称賛せられて居る。本年没後五十年に相当して公の徳化〔望〕偉績を追慕するものは之を〔祀〕祭って其祀を盛むにせむと期して居る。予は本年五月以来屡々水戸に往来するの機会を得て公を追慕するの念愈々加〔って〕はり聊か公が地方民政ニ於ける一班を捜索し得たれば茲に記して世の参考に〔資〕供へやう」
教化を布く
公は民政の要義を教化に求めた〔ことは〕。何人もよく知悉して居る彼の弘道館を設立して、文武両道の教を布いたことハ、ある弘道館の碑文にも『弘道とは何ぞや、人能く道を弘むるなり。道とは何ぞや、天地の大経にして生民の須臾も離るべからざるものなり。弘道館何むか為に而して設くるや、恭く惟るに上古神聖極を立て統を垂れ天地位し萬物育す。其六合を照臨し宇内を統御する所以の者、未だ嘗て斯の道に由らざるはなし』と。以て教化に依るを治世の要道となせしことは明かである。常に此心を以て民政を行はれた。彼の有名な農人形の如きも公自らが謝恩の徳を実行せられたものであらうが猶ほ能く之を行ふて、以て世人を徳化せしめられたことであらう。
馬を養ふて士を教ふ
公は庭前に厩を設け朝夕自ら之を調教せらると共に、飼料を与へ足を洗ひ全く馬丁の用をも弁ぜられて少しも人に委せられなかった。之れは馬を養ふが為めのみでなく之れを養ふて士の独立自営の心を教へられたといふことである。即ち御馬預松平権蔵へ下された〔御書に〕左の書面に依て其意志が明か〔にせられて〕である。このやうに心を用ひられて専ら人志の啓発に務められ、人は自治自営の道に由らねばならぬと教えられたるは実に名君の名君たる所で尊い業蹟と云はねばなるまい。
倹約の制禁は無用
当時領内の土地広くして人口の稀薄なるに依り徒らに節倹の制禁を加へて消極的に過ぐれば却て萎靡衰頽を招くの懼あれば、公は寧ろ節倹の制禁を為すを宜しからずせられ、所謂煩悩即菩提、頓円自在の法を妙用して人の欲望〔を以て〕に依て繁華に導かむとせられたことである。是れ復た当時に於ける公の大大卓〔見〕観なりと云はねばなるまい。即ち天保十四年卯の御触れ書に
一 倹約之制禁云々・・・
されども倹約の制禁を無用なりとせられたればとて公は復た無益の驕奢を勧められたものではない。
茶礼の説
公は万事に油断なく教えて〔遺〕残す所ない。即ち、有名な茶礼の説を読むならば公は寧ろ華奢を廃し質素を尚まれたといふ事実が証明せられて居ることである。其文に得易きの器を以て得難きの宝と比して而して恥ちざるものは、富貴を以て貧賤に交はること示す所以なり。其麤食を調えて美味と為すものは不肖と化して賢と為すを示す所以なり。其古物を聚め以て之を玩ぶものは古を慕ふを示す所以なり。若し夫れ、清器を垢づけ全物を傷め以て古製に贋するものは、民を教えて偽るなり。匕箸碗盞千金を搏出し菓菜魚鳥競ふて珍意を致すものは民を教えて奢るなり。器什を品評し口を極めて賛仰するものは民を教えて諛ふなり。此を捨て彼を取り斟酌以て之を用ふ〔れば〕るは茶礼を善行する者と謂ふべきなり。
殖民政策
領内の繁華を期待するには人口の増加を急務とせられた。夫れ故、旅人の領内に来る者あれば喜むで之を迎へ、尚ほ他領より移住し来らむとする者あらば厚く之を保護して職に就かしむることゝせられたのである。前年浅間噴火の為め大いに地方を荒らした為に信濃筋越後筋より多くの移民水戸領内に来たのを保護して天明四辰年〔之春〕より享和二〔年〕戌年迄十九ヶ年間七百八拾四戸に及むだ。此等の移民が保護に浴して悉く生業に就いたものから之を聞き及むで以来諸国より移民を願ひ出ずる者が多かった。依て公は此等移民の農業に就かむとする者には種子、扶持、馬代金等を〔下賜〕与へ、尚ほ耕作田畑は三ヶ年間作り取り四年目より十年迄は半免となし十年以後初めて本免を徴することゝせられた。此故に今も同国内に行って見ると移民の蹟が歴々として遺って居る。公は斯の如き政策を取って、以て〔人〕住民の増加を恩沢に依て誘掖せられたのである。
堕胎者を厳罰す
人道の上より云ふも堕胎の如きは尤も嫌(い)むべきことである。殊に水戸領内は人口稀薄、一人にても多からむことを求めて居ることであるから堕胎者を厳禁するは当然のことであったらう。依て公は左の令を布告し堕胎者に厳罰を科したのである。兎角子供三人目よりまびく畢竟此様な極刑を科せらられたのはザンこくの様であるが極刑を以てすれば犯す者なく、刑を減するに憖ひに□□じて却て罪者を作るの不徳を来すからのことであらう。
子供に金二両
此様に堕胎者に極刑を科せられたが一面には貧賤にして子を養ふことを得ないから此様な非人情のことが行はるゝのであらうといふ公が深き注意は、貧家に子を養ふことが出来ぬならば一人に付〔一〕年金二両を与へて七ヶ年に及むだのである。即ち其布告書に
一 貧家の者子供養育料・・・
このやうに一般の貧者に養育料を与へたといふが如きも殆むど例を多く聞かない処であって、公が如何に民政の上に人口と繁栄との関係を知悉して居られたかゞ判ることである。
廃地廃物の利用
公は生産を増加して良民の富を期待せられ土地の利用に最も力を致された。凡この荒ブ地は之を開く可く奨励せられたが猶ほ零細なる所にまで心を及ぼされた。即ち、宅地の裏隅々には松杉の如きものを植〔め〕うるより果樹の類を以てすべく令せられ、復た藩の森林中の下草は肥料として利用すべく村々の者へ下げ渡されたのである。之に就いて左の如令文か出て居る。
一 在々の百姓・・・
一 国中御立林・・・
在所と娯楽
寒村避邑の在所に時々の賑ひなくては自ら無味カンソーに陥って人気も振はない。夫れ故、公は在所に諸興業、賑ひ事を為さしめられた。されども夫れには制限があって、面白い悪風、頽徳の行為ある村には決して之を許さないので却て善良の風習を進める一方法となった。又其興業を為すに就ても警戒して悪風を醸成せないやうに要心せられた。其制に
一 領内一統若者共吟味を遂げ
達摩女
諸国に於ても遊女遊妓を置いて繁華の政策とした例は尠なくないが、公も亦各駅次の飯食店に留め女、飯盛りを必ず二人以上設け置くべきことを令せられた其制に
一 本道・・・


