森盲天外『農業道徳』は、近代日本における農業思想の中でも、ひときわ独自の光を放つ名著である。
本書は、農業を単なる生産活動としてではなく、自然と人間が相互に徳を育て合う営み として捉え、その精神的基盤を深く掘り下げた希有の書である。盲天外は、牛馬・鳥虫・蚕といった小さな生命に宿る「徳」を見つめ、そこに人間が学ぶべき姿を読み取った。その眼差しは、自然を搾取の対象とするのではなく、共に働き、共に生きる存在として尊ぶ精神 に満ちている。
本現代語訳は、盲天外の思想をより多くの読者に届けるため、原文の格調と精神を損なうことなく、現代の言葉で丁寧に読み解いたものである。難解な文語体を読みやすくしつつ、盲天外が込めた倫理観・生命観・労働観を忠実に再現することを旨とした。
本書に描かれる思想は、「労働は徳である」「自然は師である」「小さな生命にも尊厳がある」「共同体は相互扶助によって成り立つ」「人間の不徳は必ず社会に影響する」といった普遍的な価値を含み、農業に携わる者のみならず、現代を生きるすべての人に深い示唆を与える。
盲天外の言葉は、今日においてもなお、静かに、しかし確かな力で私たちを導いてくれる。本資料が、盲天外の思想に触れ、その深奥を汲み取る一助となりましたならば、編者としてこれに勝る喜びはございません。
※本稿においては、原文の思想的・文学的価値を損なうことなく、そのままの言葉遣いを尊重しつつ意訳を試みております。なお、本文中には現代の価値観に照らして不適切と受け取られかねない表現が含まれておりますが、これらは当時の社会的・文化的背景に根ざしたものであり、差別や偏見を助長する意図によるものでは決してございません。本稿の目的は、歴史的文脈における思想の真意を汲み取り、時代を超えてその精神的・哲学的意義を伝えることにあります。
意訳:井上雅史 (一粒米の会 会員)
◆第十八章 牛馬の堅忍◆
第一節 牛にひかれて善光寺
牛馬は荷を運び、田を耕し、人間の生活を支える最も忠実な労働の友である。農家が牛馬を深く愛し、その徳を尊重するのは、彼らが労苦をともにし、肥料という副産物まで与えてくれる存在だからである。牛馬の従順さと堅忍は、自然と人の心に惻隠を呼び起こし、善行へと導く力を持つ。昔話の「牛に牽かれて善光寺参り」は、欲深い老婆が牛に導かれて信仰心を起こした物語であり、牛馬の徳が人を善へと誘う象徴である。
牛馬の働きは、ただの労働ではなく、人間に美徳を修めさせる導きでもある。重い車を引き、深い土を耕す姿に触れるとき、私たちはその忍耐と献身から自然に善心を起こす。禅の「十牛図」もまた、牛を悟りへの道案内として描き、牛そのものが語らずして道を示す導師であることを教えている。十牛図の歌は、迷いから求道、調御、悟り、そして日常への帰還までの心の旅を象徴的に示し、牛を通して人が道を知る手がかりとなる。
牛馬の徳は、労働の現場でも、精神の世界でも、人を善へと導く力を持つ。彼らを尊重することは、労苦をともにする仲間への感謝であり、同時に自らの心を磨く道でもある。牛馬の姿に映る堅忍・従順・献身の徳は、私たちが日々学ぶべき教訓であり、人生の道を照らす静かな導きである。
馬は荷を運び、また耕作の労を助けて、人間の生活に大いに貢献している。
農業などは、牛馬の働きによって初めて広い面積を耕すことができる。
さらに牛馬を飼えば、肥料という副産物も得られる。
だから農家は牛馬の徳を重んじ、常に深い愛情をもって大切にしている。
日本各地に牛馬を祀る神社があるのは、結局その徳を尊重するからである。
特に情を持つ動物として従順な牛馬は、自然と農家の愛情を引き、
その結果、私たちに多くの美徳を修めさせる。
牛を牽く手綱は、同時に牛が私たちを導く手綱でもある。
だから牛馬の徳は、尊重されるべきものである。
昔話に、非常に欲深い老婆がいた。
ある日、川で布を洗っていると、たまたま一頭の放れ牛が来て、
その角に布を引っかけたまま逃げていった。
欲深い老婆は布を取り返そうと大声で叫び、
両手を挙げて牛の後を追い、山を越え、谷を越え、
ついに信濃の善光寺にたどり着いた。
荘厳な堂宇、阿弥陀如来の名号、
善男善女が織りなすような信仰の空気の中に入ると、
欲深い老婆も忽ち菩提心を起こし、
貪欲の性は慈善の心へと変わり、
それ以来、善行を行うようになったという。
俗に「牛に牽かれて善光寺参り」というのは、この物語に由来する。
牛に導かれて善光寺に至り、発心したのは、
この物語の老婆だけに限らない。
総じて牛馬の徳は、私たちを善行へと誘うことが少なくない。
牛馬がよく労苦に耐え、荷を運び、耕すその堅忍は、
私たちが常に学ぶべきところである。
重い車を引き、深く土を耕すとき、
一鞭を加えて叱咤すると、
かえって惻隠の情が湧くのではないか。
これこそ、私たちを善へ導く働きである。
禅家には「十牛図」という悟りの教えがある。
牛を道の手引きとし、
牛すなわち覚、覚すなわち牛であり、
牛は語らずとも道を教える導師である。
以下に十牛図の歌がある。
第一図
たづね行く、みやまの牛は、見えずして、
ただ空蝉の、聲のみぞする。第二図
心ざし、ふかき深山の、かひありて、
しをりのあとを見るぞうれしき。第三図
ほへけるを、しるべにしつつ、あら牛の、
かげ見る程に、尋ね来にけり。第四図
はなさじと、おもへばいとど、こころうし、
これぞ誠の、きづななりける。第五図
日数へて、野かひの牛も、手なるれば、
身にそふかげと、なるぞ嬉しき。第六図
かへりみる、とほ山明の、雪消えて、
心の牛に、のりてこそゆけ。第七図
しるべせん、山路の奥の、ほらの牛、
かひかふ程に、静かなりけり。第八図
もとよりも、心の法は、なきものを、
夢うつつとは、何をいひけむ。第九図
法のみち、あとなきもとの、山なれば、
まつはみどりに、花はしら露。第十図
身をおもふ、身をば心に、くるしむる、
あるにまかせて、あるにあるべき。
これを読めば、道を知る手がかりとなる。
◆◆十牛図の解説◆◆ 訳者による補足
宋代の禅僧・廓庵禅師がまとめたとされる、
悟りへの道を10段階で示した図と詩 です。
牛=本来の自己(仏性)
牧童=修行者(私たち自身)
という象徴で描かれています。

🌿 十牛図が語ること
十牛図の旅は、
「迷い → 探求 → 発見 → 調心 → 無心 → 社会へ」
という流れを描いています。
そして最後は、
悟りは特別な場所にあるのではなく、日常の中にある
という結論に至ります。
これは、あなたが読み進めている農業倫理の書とも深く響き合っています。
自然・労働・推譲・貯蓄・公徳——
すべてが「心を調える道」としてつながっている。
第二節 愛の手綱
農家にとって牛馬は単なる労働力ではなく、生活を支える家族の一員である。朝夕の食事、病気の看病、死を悼む涙、そして隣人の見舞いまで、牛馬をめぐる情景はまさに家庭的であり、農家の温かい愛情がそこに表れている。この愛情は温厚・誠実・謙虚・慈悲といった美徳を育て、一家・一族・一村へと広がる共同の愛徳となる。中国・四国地方で見られる頼母子講の慣行はその象徴であり、牛馬を失った家に対して村全体が資金を出し合い、家の貧富に関わらず一様に支援する。この平等な共済は、恩を押し付けず、互いを尊重する高潔な愛の精神に満ちている。
牛馬への愛情は、やがて人と人との相互扶助へと転化し、共同体の徳を形づくる。だからこそ、牛馬を引く手綱は、単に動物を導くためのものではなく、一家・一族・一村を結びつける「愛の手綱」である。牛馬を大切にする心は、そのまま共同体を支える徳となり、農村社会の温かさと調和を生み出している。
農家は、牛馬の徳を尊重しなければならない。
それを尊重してこそ、私たちが得る徳もまた大きくなる。
幸いにも、農家が牛馬を愛する心は、非常に温かいものがある。
中には「牛馬狂」とまで呼ばれるほどの人もいる。
農家が牛馬を扱う様子は、概して家庭的である。
朝夕に食事を与え、撫でて愛し、
もし病気になれば医者を呼び、薬を与え、
枕元に付き添って看病する。
まるで家族のようである。
また、隣人や知人が訪れて病気を見舞い、家族を慰める。
もし病気の牛馬が死んでしまえば、家族は声を上げて泣き、
他人からは見舞いの品が届く。
まさに家庭的でないとは言えない。
このように、農家が牛馬を愛する温かさは、
非常に喜ばしいことである。農家が牛馬に注ぐ愛情は、
温厚・誠実・謙虚・慈悲の心を育て、
一家・一族・一村の愛情へと広がっていく。
その事実は、実際に中国地方や四国地方など、
牛馬耕が盛んな地域に見られる。
そこでは、牛馬が死んだ場合、
部落中の牛馬所有者が集まり、頼母子講(たのもしこう)を組織し、
亡くなった牛馬の飼い主に資金を渡して、
すぐに代わりの牛馬を購入できるようにする。
これは、牛馬への愛情が流れて、
共同救済の実践となっているのである。
たとえ富豪であっても、牛馬を買う資金に困らなくても、
この頼母子講は、家の差別なく一様に行われる。
もし貧者だけに共済を行えば、
かえって貧者を辱めることになるため、
このように一様に行われているのである。
この事実には、高潔な愛の精神が満ちている。
だから施しをしても、恩を押し付けることなく、
いわゆる共済の美徳を発揮している。このように見れば、
農家の牛馬への熱い愛情は、
牛馬にとどまらず、広く相互の愛徳へとつながっている。
そうであれば、私たちが牛馬を引く手綱は、
一家・一族・一村の「愛の手綱」であるとして、
喜ぶべきことである。
第三節 牛と食を共にす
牛を深く愛した竹田某の行為は、単なる奇行ではなく、牛の堅忍の徳に触れた人間が、自然と愛と慈悲の心を育てていく過程を示している。彼は牛を家族同様に扱い、正月や祭礼のご馳走を分け与え、必ず牛に食事を与えてから自分が食べるという徹底した姿勢を貫いた。牛は空腹を訴えず、狭い舎に繋がれて自由に草を食むこともできない。その堅忍を思えばこそ、まず牛に施すべきだという彼の信念は、恩に報いる心と深い惻隠の情に満ちている。
この愛情はやがて人々への慈しみへと広がり、貧者を憐れみ、病人をいたわり、善行を欠かさない人格を形づくった。村人が彼を模範としたのは、牛への愛がそのまま人への愛へと転化し、共同体全体に温かい徳を及ぼしたからである。牛と人は遠く隔たっているように見えても、道徳の上では徳は一つであり、牛の堅忍は人に美徳をもたらす力を持つ。実話は、動物への愛が人間の徳を育て、共同体を豊かにすることを明らかに示している。
牛を飼って愛の精神を育み、
同時に牛の堅忍という美徳を示すにふさわしい実話がある。
私の郷里に竹田某という人物がいて、
この人は非常に牛を愛し、「牛狂人」とまで世間で呼ばれていた。
この人は、常に牛と食事を共にするというありさまで、
正月や祭礼のご馳走ができると、牛にも同じものを与え、
餅も酒も、人と変わらぬ待遇をする。
日常においても、同様である。
そしてこの人は、毎日牛に食事を与えた後でなければ、
自分は食事をしない。
よく人に語って言うには、
「牛は私たち農家の力を助けてくれる存在だ。
誰がその恩を忘れてよいだろうか。
だから私がご馳走を食べるなら、彼にもそれを与えるのだ」と。
さらに、牛は腹が減っても、腹が減ったと訴えない。
一日二日食べなくても、狂ったようになることはない。
本当に堅忍の徳を備えているではないか。
私たちは、一度食べなかっただけでも、
あるいは少し時間が遅れただけでも、すぐに文句を言う。
牛はどれほど堅忍であっても、文句を言わない。
だから人として、自分が欲するものを、彼にも施さなければならない。
まして農家として、大きな恩を受けている彼に対しては、なおさらである。
だから私は、まず牛に食事を与えてからでなければ、自分は食べないのだと。この人は、外出して遅く帰宅しても、
家族が空腹だろうと食事を勧めても、
「牛はどうだ、食べたか」と尋ね、
まだ牛に食事を与えていなければ、
どれほど空腹でも食べず、
自ら牛に食事を与え、牛が食べるのを見てから食事をするのが常だった。
常に家族に戒めて言うには、
「牛は空腹を訴えないだけでなく、狭い舎に繋がれていて、
自由に草を食べたり、水を飲みに出ることもできない。
それを私たちの怠りによって飢えさせるようなことがあってはならない。
私たちが三度の食事をするたびに、必ず彼にも食事を与えなければ、
それは甚だしい不徳である」と。
この事実は、なんと美しい話ではないか。
牛の堅忍の徳が、このように愛の精神を育み、
それによってこの人は郷里の人々に広く愛を及ぼし、
貧しい人を憐れみ、病人をいたわり、善行を欠かさなかった。
このため、この人の人格は郷里の人々に認められ、
私の村における模範的人物となっている。
牛と人とは遠く隔たっているように見えるが、
道徳の観点から見れば、
本来徳は一つであり、その間に遠さはない。
牛馬の堅忍が、人にどれほど美徳をもたらすかは、
事実によって明らかである。
第十九章 農業の手伝いをする鳥虫の篤行
第一節 鳥虫の害虫駆除
鳥や昆虫は、春の苗代から田植え後の本田に至るまで、絶えず害虫を食べ、人間の農作業を助けている。ツバメ、カゲロウ、ツグミ、ホトトギス、キツツキ、寄生蜂など、多くの生き物がそれぞれの働きによって害虫を駆除し、農家の労苦を大きく軽減している。人間の力だけでは広大な田の害虫を完全に取り除くことは不可能であり、深い森の高木に登って害虫を取ることもできない。だからこそ、鳥や虫が自然のままに働いてくれることは、まさに“天の助け”であり、農業に大きな利益をもたらす徳である。
彼らは自覚して徳行を行っているわけではないが、その働きの結果は人間の生活と自然の理想に一致している。ゆえにこの働きを徳として認め、農家はこれに応じて自らも害虫駆除に努め、自然の要求に応えるべきである。鳥や虫が日夜休まず働いているのに、人間が怠ってよいはずがない。自然界の小さな生命が示す勤労と奉仕の姿は、農家にとって深い戒めであり、同時に励ましでもある。
神は人間の希望を満たすために、鳥や昆虫を放って、
私たちの農業を助けてくださっている。
苗代を作ると、春を慕ってやって来たツバメが、
ひらひらと飛び回り、虫をついばんでくれる。
下ではカエルがじっとしていて、やはり害虫を食べてくれる。
寄生蜂やヒゲナガアブは、
螟虫(ずいむし)の卵や幼虫を探して寄生し、駆除してくれる。
本田の整地をし、代かきをしていると、
またツバメやカゲロウが忙しそうに飛び回り、害虫を取ってくれる。
移植後も、彼らは休むことなく害虫の駆除を続けている。
田んぼではツグミなどの鳥が害虫を食べ、
ホトトギスやキツツキなどの鳥は、深い森や田野で害虫を食べてくれる。
これらはすべて、鳥や虫が人間の仕事を手伝っているのである。そもそも、人間がどれほど努力しても力には限りがあり、
広い田んぼの害虫を完全に駆除することは難しい。
また、深い森の高い木に登って害虫を取ることもできない。
だから農家がどれほど努力しても、
害虫駆除を完全に行うことはほとんど不可能である。
幸いにも、鳥や昆虫が来て害虫を駆除してくれるのは、
まさに天の助けと言うべきである。
そう、天の助けである。
天は彼らに命じて、農家の手伝いをさせている。
彼らもこれを天職として、日夜怠らず、せっせと働いている。
その効果は非常に大きい。
もしこれらの手伝いがなかったなら、
害虫駆除は非常に困難で、どれほど苦労が増えるだろうか。
苦労が増えるだけでなく、害虫駆除そのものが不可能となり、
農作物を完全に収穫することもできなくなるだろう。
そうであれば、彼らの行いは、農業に大きな利益を与えている。
当然、これを徳とすべきである。もちろん、鳥や昆虫が自覚して徳行を行い、
人間に利益を与えようとしているわけではない。
しかし、彼らの行いの結果が、
自然と人間の円満な理想に一致しているのである。
この事実は、確かに徳として認めなければならない。
だから農業に従事する私たちは、
これを徳として自ら慎み、
害虫駆除に努力し、
人生の自然な要求に応じるよう努めなければならない。
どうして人間が、鳥や虫に劣ってよいだろうか。
第二節 仁德は鳥類に及ぶ
わが国は皇祖皇宗以来、徳によって国を治めてきたため、その仁政は国民にとどまらず、鳥や草木にまで及んでいる。狩猟が禁じられ保護されている鳥類が多いのは、彼らが農業の害虫を食べ、人間の労苦を助けているからであり、その働きが仁徳として認められているためである。鳥がこの恩恵に浴するのは偶然ではなく、害虫駆除という善事を日々果たしているからであり、善行には必ず報いがあることを示している。
しかし、この仁徳に潤うのは鳥だけではない。鳥が農業を助けるからこそ保護され、その恩恵はそのまま農民に返ってくる。もし鳥が農業を助けなければ保護される理由はなく、鳥に及ぶ仁徳は、実は農民を愛する心が外へ広がったものである。鳥が守られているのは、農民が守られているからであり、農民への愛が鳥にまで及んでいるのである。この事実を知れば、農民は天子の仁徳に深く感じ入り、感涙せざるを得ない。
※仁徳は禽鳥に及ぶ とは、
為政者の仁(思いやり・慈しみの徳)は、人間だけでなく、鳥や草木などの自然界にまで広く行き渡る
という意味の言葉です。
本来は中国古典に由来する思想ですが、日本ではとくに「仁政(徳による政治)」を象徴する表現として用いられてきました。
わが国体は、皇祖皇宗以来、徳によって国を治めてこられたからこそ、
皇運が天地とともに永遠であるのも、必然である。
だから代々の天子は、政治を行うにあたり、
常に仁をもって臨まれ、その行き届かぬところがない。
国民に仁徳を注がれるだけでなく、
その恵みは草木にまで及ぶというのは、よく知られたことである。
実際、鳥類がその恩徳を受けている事実は明らかである。
法律によって狩猟が禁じられている鳥が少なくない。
これは結局、農業の害虫を駆除するために、
彼らがその恩典に浴しているのである。
もしこれを犯す者があれば、罰を受けなければならない。
まさに「仁徳は禽鳥に及ぶ」と言うべきである。しかし、鳥がこのような仁徳に浴することができるのは、
彼らが害虫の駆除をよく行い、
人間の希望を満たそうと努めているからである。
鳥が保護を受けるのは、偶然ではない。
善事は努めなければならない理由は、ここからも理解できる。
そして、このような仁徳に潤うのは鳥であるとはいえ、
それはまた、私たち農家に対する仁徳でもある。
鳥が農業を助けるからこそ、
その恩恵に浴しているのであり、
それはそのまま、私たち農民への恩恵である。
もし鳥が農業を助けなかったなら、
保護を受ける理由はない。
つまり、私たち農民を愛してくださるがゆえに、
その恵みは鳥にも及んでいるのである。
この事実を知れば、
私たち農民は、仁徳に感涙せざるを得ない。
第三節 小鳥を救って敵艦長を泣かす
日露戦争の激戦の中で、上村艦隊は敵兵を救助するだけでなく、海に漂う小鳥一羽までも救った。この行為は、単なる慈悲ではなく、大和心の根底にある「生きとし生けるものを等しく救う」という義心の現れである。敵艦長は当初、日本軍の救助を疑い心を閉ざしていたが、小鳥まで救われた事実を知った瞬間、その胸中は氷解し、日本軍の義と愛に深く感動した。小鳥は敵艦長が愛して育てていたものであり、その救助は彼の心を直接打ったのである。
たった一羽の小鳥であっても、それを救う義心は、敵の胸中にまで大きな光明を放つ。鳥への愛は、人への愛と同じ根から生まれ、区別なく広がる徳である。敵艦長が「この鳥は多くの友を救った」と言ったのに対し、日本の将校が「いや、人が人を救い、また鳥を救ったのです」と答えた言葉は、この物語の真髄を示している。小さな生命への慈しみが、人間同士の隔てを越え、憎しみを溶かし、心を結び合わせる力となる。ここに、大和心の美徳が最も鮮やかに示されている。
たった一羽の小鳥に対する愛であっても、
その徳の働きは、決して小さくはない。
日露戦争の当時、上村艦隊は濃霧のために敵艦を見失い、
その悔しさは、のちの有名な日本海海戦へと続き、
ついに敵のウラジオストク艦隊と遭遇して激しい戦闘となった。
上村艦隊は激しく敵艦を攻撃し、
敵艦を沈没の運命に追い込んだ。
この時、上村司令長官は、
敵艦がすでに戦闘力を失い、半ば沈没しているのを見て、
すぐに命令を発した。
「救え、生きている者はすべて救え」
この命令を受け、部下の将兵たちは
「生きている者は必ず救う」と誓い、
勇ましく端艇を漕ぎ出し、
身を投げるようにして、沈みゆく敵兵をすべて救った。本艦に引き上げようとする時、
一人の兵士が、海に漂う木片に
美しい小鳥が止まっているのを見つけた。
彼は言った。
「かわいい鳥よ。彼も生き物だ。救わねばならぬ」
そう言って引き返し、荒波をものともせず泳ぎ、
その小鳥を捕まえて戻り、艦内で養った。やがて、上村長官が
「数百名を救った」と敵艦長に告げても、
敵艦長は信じず、疑い、心を閉ざして語ろうとしなかった。
そこで、先ほど兵士が救った小鳥を示し、
「生きているものは、小鳥に至るまで救ったのです」
と告げると、
敵艦長は深く感激し、たちまち涙を流した。
そして言った。
「愛は小鳥にまで及ぶ。
小鳥を救う者が、どうして人を救わぬことがあろうか。
ああ、日本軍はこれほど義があり、愛があるのか」
その瞬間、固く閉ざされていた彼の胸中は氷のように溶け、
それ以来、よく語り合うようになったという。
この小鳥は、敵艦長が愛して育てていたものであった。
それを見せられた時、彼の驚きと喜びは顔にあらわれ、
言い尽くせぬ感慨を漏らした。たった一羽の小鳥であっても、
それを救う義心は、
大和心の美徳を、敵の胸中にまで深く感じさせた。
鳥への愛もまた、大きな光明を放つのである。
敵艦長が苦笑して
「この鳥は多くの友を救った」と言うと、
我が将校は答えた。
「いや、人が人を救い、また鳥を救ったのです」
◆第二十章 蚕の徳◆
第一節 国益を吐き出す口
明治期の日本において、養蚕業は国家経済を支える最重要産業であり、繭の莫大な生産量と生糸の輸出額は国益の柱となっていた。しかし、この国益を生み出しているのは、わずか三、四十日の短い生涯を捧げ、蒸されて繭を差し出す蚕の犠牲である。蚕は自らの生命を惜しまず、繭を作り、生糸となり、織物となって人間の生活を支えている。とりわけ日本では、生糸が国家の盛衰に関わる重要な輸出品であるため、蚕の働きがもたらす利益は計り知れない。
この「国益を吐き出す蚕の口」は、まさに尊い存在であり、短命の生涯を犠牲にして人間社会に尽くすその徳は大きい。小さな生命が国家経済を支えるという事実は、自然界の働きが人間の生活と深く結びついていることを示し、私たちに感謝と敬意を促す。蚕の犠牲の上に成り立つ国益を思えば、養蚕に携わる者はもちろん、国民全体がその徳を忘れてはならない。
養蚕業が、わが国の経済にとってどれほど重要視されているか。
明治四十二年の繭の生産量は、実に 三百六十二万九千八百十四石 に達した。
また同年の生糸の輸出額は 一億二千四百二十四万三千三百三十九円 という莫大な額に上り、
わが国の輸出品の中で最も重要なものとして重んじられている。
したがって、その結果が国の経済に大きな影響を及ぼすことは、言うまでもない。
そもそも、このような国益をもたらすのは、養蚕業の賜物である。
しかしながら、この国益を得るのは、蚕の徳によるのである。蚕は孵化してから、わずか三、四十日でその生涯を終え、
蒸し殺されて繭を差し出す。
このように、蚕の本性によって繭ができ、生糸が作られている。
蚕は短い生涯を捧げ、犠牲となり、
生糸となり、織物となって、
人間の生活の需要を満たしている。
特に日本のように、生糸が重要な輸出品であり、
国家経済の盛衰に大きな関係を及ぼすものである以上、
国家と国民が受ける利益は、決して小さくない。このような 「国益を吐き出す蚕の口」 は、
なんと尊いものであろうか。
短命の生涯を捧げ、自らを犠牲にするその徳は、
実に大きいと言わねばならない。
第二節 家蚕の自然的制限の解除
蚕は本来野生の生き物であったが、人間の飼育によって家蚕へと進化し、その結果として自然の自由を多く失っている。屋内飼育では空気・乾湿・温度・密度など、蚕の本性に反する制限が加わりやすく、これが病気の蔓延や生育不良の原因となる。だからこそ養蚕に携わる者は、空気や温度の管理、清潔の保持、器具や家屋の消毒、桑葉の衛生に至るまで、細心の注意を払わなければならない。人為的飼育によって生じた制限をできるだけ取り除き、蚕が本来の力を発揮できる環境を整えることが、人間の務めである。
蚕は自ら制限を脱する自由を持たず、短い生涯を捧げて繭を作り、人間の生活と国家経済を支えている。その徳を傷つけるような飼育をすれば、養蚕業そのものが成り立たない。人間でさえ不適当な制限を受ければそれを脱しようと努めるのだから、蚕に対しても同じように配慮すべきである。注意と勤労の徳は必ず物質的な結果として現れ、繭の量や重さはその努力を測る秤となる。蚕の徳に応えるためには、人事を尽くし、最善の環境を整えることが不可欠である。
蚕の徳の尊さを知るならば、その飼育には最も注意しなければならない。
蚕はもとは野生のものであったが、人間が飼育するようになり、
その進化の結果、現在の家蚕となった。
しかし、人為的に飼育するようになってからは、
自然の要求が制限されることが少なくない。
たとえば、空気、乾湿、場所などの制限がそれである。
これらの制限は、時として蚕の生存に不適当な環境を生み出す。
だから養蚕を行うには、この点に最も注意しなければならない。屋内と屋外では空気が異なり、乾湿の度合いも違う。
そのうえ、蚕が密集していることは、健康上の害を引き起こしやすい。
したがって、空気や温度に注意し、
できるだけ蚕の自然的制限を取り除くよう努めなければならない。
また、密集している蚕は、病気が蔓延する危険が大きい。
だから清潔を保ち、家屋や器具の消毒を徹底しなければならない。
わずかな病原菌でも存在すれば、
密集する蚕の間に瞬く間に広がり、恐るべき害を生む。
さらに、桑の葉から病原菌が伝わることも少なくない。
だから桑葉の供給にも十分注意しなければならない。要するに、人為的飼育によって生じた自然的制限を、
できるだけ解除するよう努めなければならない。
屋内飼育によって生じた制限は、このようにして取り除くべきである。
進化の法則によって、蚕は屋内飼育に適応するようになったとはいえ、
利益と害は必ず伴うものである。
だから、その害を受けさせないよう努めなければ、
蚕もその天職を全うできない。
蚕は、この制限の束縛を自ら脱する自由を持たない。
それなのに、私たちがさらに制限を加えている。
屋内飼育ということ自体が、根本的な制限を与えているのである。私たち人間でさえ、生存に不適当な制限を受ければ、
それを脱しようと努める。
だから蚕に対しても、できるだけ制限を取り除いてやらなければならない。
そうしなければ、蚕の徳を傷つけることになる。
蚕の徳を傷つけては、養蚕業を全うすることはできない。
人事を尽くすことを徳とし、励まなければならない。
私たちの注意と勤労の徳は、必ず物質的な結果として現れる。
繭の量や重さは、私たちの注意と勤労を測る秤である。
第三節 種紙の及ぼす悪徳
家蚕は人為的飼育の進化の結果として「種紙」によって繁殖されるようになったが、この種紙の良し悪しは養蚕の豊凶を左右し、国家経済にまで影響を及ぼす重大な要素である。異種の蚕が混じれば繭は雑多になり、病原を持つ母蛾の卵が混入すれば、その病原は幼虫に遺伝し、養蚕家に甚大な損害を与える。養蚕家がどれほど注意深く飼育しても、種紙が悪ければ努力は無に帰し、損害は避けられない。ゆえに種紙製造には最も厳しい注意が求められ、これを怠れば多くの養蚕家を失敗させる悪徳となる。
しかし現実には粗製濫造が行われ、思いがけない損害を受ける養蚕家が少なくない。このため各府県では種紙検査が励行され、病原の遺伝を防ぐことが第一の目的とされている。だが本来、製造者が道徳的観念をもって誠実に製造していれば、検査は不要であるはずである。検査が必要とされるのは、製造者に不注意が多いからであり、言い換えれば種紙検査の存在そのものが製造者の不徳を示している。種紙製造に携わる者は、公徳を重んじ、この重要な産業の発達に努めなければならない。
人為的に飼育される家蚕は、進化の結果として、
今日では「種紙」というものが作られるようになった。
種紙の良し悪しは、養蚕業に大きな関係を持つ。
種紙の善悪は、すぐに蚕作の豊凶に影響する。
そのため分業となり、専門に種紙を作る業者が生まれた。
種紙に異種の蚕が混じっていれば、
繭の生産が雑多になってしまう。
また、病原菌を持つ母蛾の卵は、その病原が幼虫に遺伝し、
大きな禍害を生む。
だから養蚕家がどれほど注意深く飼育しても、
種紙が悪ければ、その注意は無駄になるだけでなく、
大きな損害を受けることになる。
これは養蚕家自身の責任ではなく、
種紙製造者の不注意によるものである。
だから種紙の製造には、最も注意が必要である。
もしこの注意を欠けば、
多くの養蚕家を失敗させるという悪徳となる。しかし現実には、種紙の粗製濫造が行われ、
そのために養蚕家が思いがけない損害を受けることが多い。
これは恨むべきことである。
だから種紙製造者は、母蛾の養成に注意し、
病原などが遺伝しないよう努めなければならない。
近年、各府県で種紙検査が励行されている。
これは、養蚕に病原が遺伝することがあるため、
それを予防することを第一の目的としている。
したがって、この事業は最も必要なものと言わねばならない。しかし、もし種紙製造者が道徳的観念をもって製造し、
遺憾のないようにしていれば、
各府県の検査など必要なくなるだろう。
結局、検査が必要とされるのは、
種紙製造者に不注意が多いからである。
言い換えれば、
種紙検査の必要性は、種紙製造者の不徳を示している
ということである。
これは少し恨むべきことと言わねばならない。
種紙製造に従事する者は、
公徳を重んじ、この業の発達に努めなければならない。
第四節 労力分配と養蚕
日本の農家には、労力が制限されるために農閑期が生じ、その間に収入が途絶えることで経済的困難を招きやすい。したがって、この期間を生産的に活用することが農家の生活を豊かにする鍵となる。養蚕は短期間で成果が得られ、春蚕・夏蚕・秋蚕と複数回行えるため、農閑期の労力分配に最も適した副業である。日本の養蚕業が発展したのも、この副業性によるものであり、専業化すると失敗する例が多いことからも、農業と並行して行うことが最も健全な形である。
農閑期を何もせずに過ごすことは「天日を空しくする不徳」であり、ただ時間を浪費すれば人は怠惰に傾き、品性を損なう危険がある。閑居して不善をなすという古来の戒めの通り、空白の時間は人を堕落させることがある。だからこそ、養蚕によって農閑期を活用し、勤労の徳を保つことが重要である。養蚕は経済的利益をもたらすだけでなく、農家の生活を律し、人格を健全に保つ役割を果たす。農閑期を活かすことは、生活のためであると同時に、徳を守るための実践でもある。
わが国の農業組織は、労力が制限されることが多いため、
農家には「農閑」と呼ばれる期間が存在する。
農業によって得た利益も、この期間に費やされるため、
経済的に困難を訴えることになる。
だから農家では、この期間を利用して生産を行わなければならない。
そうしなければ、農家の生活を豊かにすることはできない。
したがって、労力の分配は、農家における現在の大問題である。養蚕は、この問題に対する答えとして、最も有力なものである。
養蚕は短期間で終了し、
しかも春蚕・夏蚕・秋蚕と、三回も四回も行うことができる。
だから農業の閑な時期に行うには、
労力分配に最も適している。
そのため農家の副業として、非常に有利である。もともと日本の養蚕は、副業としての性質によって今日の発達を遂げた。
これを専業として行うことが不可であることは、
失敗の事例が明らかに証明している。
農業の副業として経営するからこそ、
養蚕も健全な発達を期待できるのである。
だから養蚕は、農家の副業として尊重すべきである。農閑期を不生産的に過ごすことは、
天日を空しくする不徳 である。
人は閑居して不善をなすというように、
ただ時日を空しく過ごすことは、かえって悪徳を生む。
そうなれば品性を堕落させ、
不幸な人となるほかない。
だからこそ、養蚕を行って農閑期を活用し、
不徳をなさないよう努めるべきである。
第五節 加工の徳
繭は人間の加工によって初めて生糸となり、その価値を発揮する。したがって加工に注意を尽くすことは、繭を生糸たらしめる「徳」であり、蚕の犠牲に報いる行為でもある。もし加工が粗雑であれば、蚕はただ命を奪われただけになり、その犠牲は無意味となる。ゆえに加工の徳は大きく、これを怠れば不徳となる。
さらに、生糸はそのままでは衣類にも装飾にもならず、人間の知識と労力を加えて織物にしなければ価値を発揮しない。糸が自ら縦横に組み合わさることはなく、織物にならなければ蚕の本性も無用の殺生となる。だからこそ、染色・地質・糸くずに至るまで粗末にせず、細心の注意をもって加工しなければならない。加工の丁寧さはそのまま人間の徳を映し出し、これを欠けば徳を失うことになる。
加工とは単なる技術ではなく、蚕の犠牲を生かし、生命の価値を完成させるための道徳的行為である。人間の知識と勤労が加わって初めて、蚕の徳は社会に広く行き渡る。ゆえに加工の場は、生命への感謝と責任を形にする場所であり、そこにこそ人間の徳が問われている。
繭は、私たちの加工によって生糸に作られる。
だから私たちの加工は、繭をして生糸たらしめる「徳」である。
生糸の価値を高めようとするなら、
加工において大いに注意しなければならない。
これをおろそかにしないことが、すなわち徳を修めることになる。
蚕の犠牲も、この加工の徳によって報われる。
もし加工の徳がなければ、
蚕をただ殺すだけの結果となり、私たちの不満となる。
だから加工の徳もまた大きいと言わねばならない。さらに、蚕の犠牲によって得た糸は、織物となる。
織物は、私たちが作らなければならない。
どれほど良質の糸であっても、
私たちの知識と労力が加わらなければ織物にはならない。
糸自身が縦になり横になり、自動的に織物になることはできない。
織物にならなければ、衣類にも装飾にもならず、
利用されることもできない。
そうなれば、糸としての価値はなく、
蚕の本性もまた無用の殺生となる。
だからこそ、私たちの知識と労力を加えて織物にしなければならない。そうであれば、私たちの加工は、
生糸の徳を現すものである。
機織りを行うにあたり、
わずかな糸くずであっても粗末にせず、
染色や地質に至るまで、十分な注意をもって加工しなければならない。
これを欠けば、私たちの徳を失うことになる。
第六節 粗製濫造の悪徳
生糸や織物は日本の重要な輸出品であり、その信用は国家の繁栄を左右する。信用という徳を欠けば、永続的な発展は望めず、国の名誉と経済に深刻な悪影響を及ぼす。ゆえに製品は種類を一定し、品質を高く保つことが不可欠である。しかし現実には粗製濫造が行われ、羽二重などにその例が見られる。わずかな部分の粗雑さであっても、外国市場では日本製品全体の信用を損ない、善良な製品までもがその影響を受ける。粗製濫造は、国家と同業者を害する甚だしい不徳である。
粗製濫造は人目につかないところで行われるため、「誰にも知られない」と思うのだろう。しかし世間の目は必ず粗製を見抜き、その不徳は製品の上に現れる。隠された不正は必ず露見し、悪徳は必ず自らに返ってくる。ましてやその結果が多数の同業者を害するのであれば、なおさら許されない。信用は国家の生命線であり、製品の品質はそのまま作り手の徳を映す。輸出品を扱う者は、国家の名誉を背負っているという自覚を持ち、粗製濫造という不徳を断ち、誠実な製造に努めなければならない。
生糸や織物は、貿易品として海外に輸出されるものが多い。
海外に輸出する品物は、特にその信用を保たなければならない。
信用という徳を欠けば、
永続的な繁栄を望めないだけでなく、
国家に大きな悪影響を及ぼす。
だから製品は種類を一定し、
しかも良質なものでなければならない。しかし、しばしば粗製濫造の弊害が起こり、
実際、羽二重などにはその事例が見られる。
わずかな部分であっても、
このような粗製濫造が行われれば、
外国市場において日本製品の信用を失わせ、
大きな損害を招く。
こうして善良な製品までもが、その影響を受けるに至る。
粗製濫造とは、なんと甚だしい不徳であろうか。粗製濫造は、人の見ないところで行われるため、
「誰にも知られない」と思うのだろう。
しかし、自分の目をごまかすことはできても、
世間の目をすべて覆うことはできない。
たとえ人の見ないところで行っても、
世間の目は必ず粗製を見抜く。
その不徳は、製品の上に必ず現れる。
どうしてそれを隠し通すことができようか。
隠されたものは、必ず現れる。このような不徳を行って、
どうして自分の繁栄を求めることができるだろうか。
悪徳は必ず自分に返ってくる。
一身の栄達を求めるにしても、
どうしてこのような不徳を行ってよいだろうか。
まして、その結果が多数の同業者を害するのであれば、なおさらである。終わり
参考文献
[1] 『農業道徳』丁未出版社発行、明治14年11月5日発行。


