七月二七日。戦後最悪の大量殺傷事件(死者19名、負傷者26名)「相模原殺傷事件」から一年が経った。障害者や家族の声が「生命の大切さ」を伝える一方、議論は、ヘイトクライム(特定の属性をもつ個人や集団に対する偏見から起こる憎悪犯罪)、優性思想など、日本の障害者福祉やマイノリティーが置かれている現状、差別問題にまで深く広がる。凶悪犯罪の悲惨さもさることながら、「弱者切り捨て」の現代日本が抱える課題は大きい。
現在やまゆり園の建物は再建のため取り壊され、入居者たちは横浜市内仮施設に分散して生活している。この再建計画も一転二転し、今年一月、県内の障害者団体や有識者も参加した公聴会では、大型施設再建計画に対し「時代への逆行以外の何物でもない」との意見も出、現在は跡地に小規模施設を再建し、さらに入所可能なグループホームを複数建設する方針に固まってきている。障害者総合支援法の改正等、障害者が地域で暮らす共生社会にむけた改革も進む。大型入所施設は集団管理であり、食事や外出など、障害者の生活の自由さは少なく、社会から隔離されている面も否めない。今回の事件を機に、地域に出ようと決意した入居者は、健常者と障害者との理解を深めるためにも、地域の生活に挑戦すると前向きに語っていた。一方で、大型入所施設存続を希望する、入居者家族の声もある。現在も130名程の入居者がおり、入所者や家族や関係者たちの苦労も想像に難くない。大型入所施設と、地域で暮らす生活と、障害の重度や家庭状況も個別であり、一概に是非を語ることはできない。ただ、障害者が一人一人のライフスタイルを自分で選べる自由こそが、本当の自由であり、権利の保障ではないだろうか。
また、世論を観察して驚くのは、障害者支援や福祉改革すらも、〈納税者/被納税者〉、〈就労/非就労〉、〈生産/非生産〉と結び付け、批判や誹謗中傷する人たちだ。ある特集番組では、「相模原殺傷事件」への様々な感想や意見が紹介される中、「正直、今の日本に障がい者(ママ)を保護する余裕はありません。普通の人でも生きるのが精いっぱいなのに、生産性のない障がい者を守ることはできません」等の投稿が紹介された。放送終了後「さらなる誤解や偏見、差別を生む」と、番組への抗議の声も上がった。この極論から覗くのは、現代日本の〈貧しさ〉だ。経済成長最優先の競争社会で、成果主義、能力主義に毒され、その結果、人間の尊厳すら安易に踏みにじり、人として恥ずかしいとも感じない程の〈心の貧しさ〉だ。ネガティブな状況や感情は、弱者攻撃では解決せず、本来、国や社会、制度の改革に向けられるものであるという気づきはないのか。否、そんな知恵にすら、彼らは繋がれない。孤立しながら不満を募らせ、攻撃対象を見つけ、攻撃することで自己満足する〈ネトウヨ〉に似た心理が想像できる。
一方、攻撃までの極論に至らずとも、健常者が障害者に抱く戸惑いや苦手意識の多くは、〈障害〉に対する知識や経験の少なさに原因があると推察する。福祉の関係者やケア従事者もふくめて、多様な状況の人たちと関わる場が増えれば、〈障害〉に関する知識や理解も深まり、互いを尊重する関わり方も学べるだろう。その意味でも、障害者が地域に暮らす意義は、社会的にも大きい。
さらに、解決策として浮かぶのが、ノーマライゼーションな教育の実現だ。小中高校といった教育の場から、ハンディキャップのある生徒も共に学ぶ場が当然となる、または普通学校と特殊学校とで交流があるなど、障害者の友達もいる環境作りだ。若年層の段階から共生社会の思想を身につけるのが、もっとも即効性がある打開策だろう。実際、教育の現場でも、発達障害・学習障害や、片親世帯や経済状況といった家庭状況など、多種多様な生徒が増えている。他者の個性や状況を理解し、多様性を認める指導が、すでに必要不可欠になりつつある。そして多様な人と共に学ぶことが、青少年にとって、どんな「道徳教育」よりも、豊かな人間教育につながると実感している。
あれから一年。悲惨な事件を繰り返さないために、私たちに何ができるのか。事件を風化させずに、継続して考え、取り組んでいきたいものだ。
(法政大学兼任講師、高校教師・沼田真里)


