沼田真里
人生の最期に誰といるか、どのように過ごしているのか。いつの時代にも〈理想的な最期〉というものが云われるのだろうけれども、一方で、独り寂しく野たれ死ぬのではないかという不安も時代を問わずあるのだろう。だから人は結婚し、子を作り、家を築いてきた。年老いて、自分一人では身動きができなくなった時に、責任をもって面倒を看てくれる家族を持つために。これが日本的家族の在り方であり、〈家〉というものの実際的な理由だった。とはいえ、核家族化、家庭崩壊、少子化、超高齢化、医療崩壊、介護社会といった日々新たな「問題」が生まれる現代、もはや日本的な家族の在り方、〈家〉も絶対ではない。大家族も珍しく、三世代同居も絶対ではないし、一生独身を選ぶ生き方もあれば、シングルマザー/ファザーになる場合や、子供を作らず共働きのDINKSもある。ただどの立場でも共通するのは、ぼんやりとした未来への想像と最期への不安だろう。上野千鶴子『おひとりさまの老後』※1がベストセラーになるのも、現代の〈老後〉に前向きに対処しようとする姿勢が買われたからだろう。
誰もが自分自身の〈老後〉や〈最期〉は切実に考え、準備したいと願う。深沢七郎『楢山節考』※2の、おりんさんの最期が壮絶に美しいのは、老女が自らの手でその生と死を完成させてしまうからだ。一本も抜けていない歯を恥じ火打石で叩き折り、寡夫の息子に嫁をもらうなど身辺を整え、曾孫を見ないうちに楢山に入り、死を迎える。武田泰淳が「いかなる残忍なこと、不幸なこと、悲惨なことでも、かえってそれがひどくなればなるほど、主人公の無抵抗の抵抗のような美しさがしみわたってくる」※3と評したが、たしかに〈近代的ヒューマニズム〉では到底論じられない最期だ。老人問題が起る度に「現代の姥棄て」云々と叫ばれる今の私たちにも、『楢山節考』の非情でいて不条理な美しさ、「無抵抗の抵抗」はいわく言い難い、強い衝撃を与える。ある意味で、〈老い〉を生き続けて不条理を味わう者たちと背中合わせの、陰画ともみえるのではないか。
ただ、いくら万全の準備をしようとも、望み通りにいかないのも現実だ。なにかと不条理が心身に降りかかる。私の場合、そんな不条理を教えてくれたのが祖父と祖母だった。一人は脳梗塞で半身不随となり、車椅子生活でほぼ寝たきり。一人は老人性認知症と老人性鬱病で感情の起伏が激しく、荒れた時は杖を振り回し、口癖は「淋しい」「死にたい」。祖父が駄洒落を言ったり、祖母が花の世話しているのを見るとのんきな気持にもなるが、自宅介護をしている叔母と叔父、母の苦労も知っているだけに、そうそうのんきでもいられない。誰の世話にもならずに生きたいと望んでも、結果としてやむを得ない場合もある。しかも日本では依然一度障害を負うと誰かに何かしら頼らずには暮らせない社会状況でもあり、国も行政も結局老人の補助や介護は家族任せ・家族頼みなのだ。そして本人の〈老後〉〈最期〉の物語だけではなく、身近な人の〈老後〉〈最期〉に関わる・つきあうという、もう一つのドラマも生まれる。親の介護、祖父母の介護、妻や夫の介護等だ。「介護小説」の多くは、ある家庭が〈介護〉を経てあらためて〈家〉や〈家族〉とは何かを問われ、互いの関係性に対峙させられる物語だ。〈家の解体〉と〈個人の時代〉の到来がいわれて久しいが、再び〈家族〉に向き合わねばならない状況が展開される。まさにこれこそ現代の「家族小説」ともいえる。
昭和二二年にして〈老後〉や〈介護〉の「悲惨」を書き、先鞭をつけた作品がある。丹羽文雄『厭がらせの年齢』※4だ。八六歳のうめ女は身寄りがなく、孫娘の家に世話になり、孫の婿や家族に厄介者扱いされる。家族の持ち物を盗って自分の布団の下に隠してしらをきり、食事をしたことを忘れ始終食べ物をねだる。今ならばうめ女は「老人性認知症」と診断されるが、当時は病症という認識はなく、全て「老醜」とされ、そのままうめ女の人間性に結び付けられ憎まれてしまう。今では老人虐待ともみえる描写や悪口が並ぶ。が、その情け容赦のない語り口には、日本的な家族制度の不合理の告発と、家族の薄情さや老人の依存心といった〈家族〉間の人間観察も覗く。
九百九十九万九千九百九十九人は、誰もかれもうめ女の類似を、わが肉体の上に予約されているのだ。いつか肉親に迷惑がられる宿命をもつている。そして、老人ホームという理想的な社会的施設が実現されない以上、日本の家族制度は十年一日の如く、浅はかな見栄坊と、感傷と、矛盾と、無理の多い、誤算の、凡俗なくらしをつづけていくのであろう。(略)どこの家庭でも、似たりよつたりのこの種の愚かな、のつぴきならぬ不幸をもてあましているのだ。(略)日々の生活を愉しむべき家庭が、どこの家庭も大なり小なり、じめじめした日本的養老院の面影を宿していることは、聡明な生活方法ではない。※5
「じめじめした日本的養老院」とはよくいったもので、この前には「理想的な社会的施設」として「アメリカの養老院」「老人ホーム」をあげ、西欧の老人たちの理想的な生活が述べられる。この時既に、日本的な家族制度と西欧的な家族制度の対比が、老人問題の視点から云われているのだ。もっともその根本には、家族が各々自立した個人の生活を持つことを当然とする西欧的な〈家〉と、家族の連帯や協力が暗黙理に必要とされる日本的な〈家〉との違いがある。故に「老人ホーム」ができたからといって、〈家族〉がすぐに変わるわけではない。今や「理想的な社会的施設」の老人ホームや老人医療制度もできたが、決して皆が満足する理想的な社会制度ともいえない上、日本人の感性や〈家族観〉も、どうも本質的に『厭がらせの年齢』の地点から動いていないようにもみえる。合理主義的な感性から見れば理解できないかもしれないが、結局文句を言いつつも家族の誰かが面倒を看、老人も文句を言い返しつつも、結局は面倒を看られるしかない。それが駄目なら「老人ホーム」であり「姥棄て」といわれてしまう。現代と違うのは、『厭がらせの年齢』のうめ女に対する遠慮のない悪口が、開放的でかえってユーモアとなっている点だ。家族が互いに遠慮なくやりあう空気があり、愚痴を漏らしつつ、状況を受け入れる土壌も感じられる。
その点、有吉佐和子『恍惚の人』※6では、〈介護〉への本音は嫁一人の腹に納められてしまう。当時珍しかった共働き主婦の昭子は、元来仕事と家事の両立を合理的にやりこなす、非常に自立心の強い、活力のある女性だった。「老人性痴呆症」の舅の介護が必要となると、さらにその全てを彼女一人のバイタリティと根性でこなすこととなる。記憶障害、徘徊、下の世話、深夜のせん妄症状など「痴呆症」が悪化するつれ舅は困った荷物となり、昭子がそれら試練と闘い、乗り越えるべきものとなる。というのも、どんなに舅の症状が悪化しようとも夫の信利は全くの無理解、非協力だからだ。信利が、肉親の茂造にむける無責任で酷薄な態度も、人としての信頼をゆるがす一面となり、いつしか夫婦の間にも冷たい風が吹くようになる。「毎晩毎晩、夜尿につきあっているのは昭子で、あの水音を信利は一度も聞いたことはない。(略)老いた父親を夜の夜中に抱えて庭へ出る妻に、この人は一度でも済まないと思ったことがあるだろうか」※7。現代では信じられないほどの夫の非協力と無理解だが、〈介護〉は家庭内では女性が担う場合が多く、長年「女性の問題」ともいわれてきた。『恍惚の人』が警鐘を鳴らしたのは、家庭内で誰かを「犠牲」にし弱い者の面倒を看させる状況と、それができなければ弱い者は家族から見捨てられるしかない現実だ。昭子はまだ気力と体力が続いたから良いものの、ここまで嫁一人に負担が集中すれば、介護者・被介護者ともに共倒れとなるだろう。また「犠牲者」に介護が集中するからこそ、「痴呆」の老人が「試練」になってしまうのだ。もっとも老人の立場からいえば、そのように扱われること自体が心外であり不幸なことだが。七○年代にベストセラーとなった『恍惚の人』は、主婦の家庭内闘争として〈介護〉を描写するあまり、高齢化社会や「痴呆」への極端な恐怖を植え付けた嫌いもある。
そして超高齢化社会が現実となり始めた九〇年代では、〈介護〉の苦悩や深刻さの質も変化する。善意があり、誠実に介護しようとする家族ほど割り切れぬ思いに悩まされ、葛藤するのだ。佐江衆一『黄落』※8では、まさに親孝行せねばならぬ義務感と熱意に満ちた息子が主人公だ。八十・九十代の老親介護を、六十代の周一・蕗子夫婦がするのだが、介護に伴う肉体的な働きは若者並に動かねばならず、精神的には老親に自分の行く末を重ね、自分の老いにも対峙せねばならない。老老介護の過酷な現実だ。また介護者となった周一・蕗子夫婦の関係も、〈介護〉により揺らぐ。共同で介護をするものの、負担が大きい妻には疲れが目立ち、夫は感情的になってしまうのだ。
私の背がききとった妻の大げさな吐息、私に向けられた妻の顔つき、目の前にいる「嫁」である妻の存在自体が、誰に向けていいかわからない私の憤りを爆発させていた。(略)壁に背中を打ち当てられて一瞬ひるみながらも、憎悪のまなこで私を睨み据えた女は、妻であって妻ではなかった。私と年老いた両親の間にいる邪魔者。俺の親の介護なんかするな。(略)あの二人が生きている限り、血の繋がりを絶てない俺がやる。※9
この後、度重なる夫婦のすれ違いに、周一はついには〈介護〉を理由にお互いのためだと云って「離婚するか」と切り出すまでとなる。〈介護〉が、夫婦の愛と絆を試す条件のように作用してしまうのだ。蕗子は決して介護自体が不満なのではない。蕗子が求めていたのは、夫からの感謝であり労わりであった。蕗子の「まなこ」は、自分だけが躍起になり頑張っていると思いこむ夫への抗議だったのだ。世間的には美談となる「親孝行」も、家族の心を無視すれば、ただの自分勝手な正義感、自己満足になる。作者の実体験が題材だそうだが、無意識に家族に絶対的な協力を求める夫の傲慢、血縁を優先する醜さ等、きれいごとでは済まされない〈家族〉や〈介護〉の実態も抉出している。家族の誰もが老親に「良くしてやりたい」と思うも、実際に〈介護〉が日常となると互いの心もすれ違い、善意と義務感だけが空回りしてしまう。老親介護に一生懸命であればあるほど、心がすれ違ってしまう周一と蕗子の姿は、実に哀れだ。
では〈介護〉とは、家族にとってどこまでも「悲惨」なものなのか。そんな絶望感も湧いてくる。小説では「悲惨」は悲惨のままに終わるとしても、現実世界では〈介護〉は毎日の生活であり、わるい時には無限に続くかと思うほど途方もない時間を、堂々巡りしているように感じられる日もある。だからこそ逆に、介護を通して得る「悲惨」と同じくらいの、新たな経験や感動もあるのではないか。〈介護〉を通して新たな感動を見出すなにかを、掴めないか。私はそう思ってしまう。痴呆老人の治療とケアに長年携わってきた医師小澤勲の『痴呆を生きるということ』※10には、次のような文章がある。
痴呆を生きるということは、あるいは彼らとともに生きるということは、それだけだろうか。痴呆のケアにあたる者は、痴呆を生きるという悲惨を見据える眼をもたねばならない。しかし、その悲惨を突き抜けて希望に至る道をも見いださねばならない。/希望の源はさまざまであり得る。しかし、痴呆を病むということは、人の手を借りることなく暮らし、生きていくことが困難になるということだから、ひととひととのつながりに依拠する部分が大きくなるということである。とすれば、希望はこの関係性に見出されねばならない。※11
これは小澤氏が耕治人『天井から降る哀しい音』※12を分析し、「痴呆」患者と家族について論じた箇所だ。耕治人『そうかもしれない』三部作※13は、認知症になっていく妻の変化を静謐な筆致で写し取った私小説で、八十歳になる夫が妻の介護をするという老老介護を描いた、「介護小説」の極北だ。小澤氏は耕夫婦を評して「悲惨を生きる二人の姿は、あるいは代えがたいものを喪う二人の言いようのない哀しさは、なぜか私たちに生きる力をよみがえらせ、私たちが日常見失いがちな希望さえ与えてくれる」※14とも述べている。右の引用の「痴呆」はそのまま、〈老い〉や〈介護〉と重ねてもよい。家族の誰かが老いや病で何かを失うことにより、あらためて気づくその人との絆や愛情、そしてふたたび結び直す〈関係性〉を、小澤氏は「希望」と呼ぶ。この〈関係性〉という視点には、すべてを困難な「事件」や「問題」にしてしまう「悲惨」を突き抜け、〈介護〉をそれに携わる者ひとりひとりの位置へ、人間同士の対等な場所へととり戻す働きがある。〈家族〉と〈介護〉において、新たな可能性としての〈関係性〉を考えさせる作品がある。モブ・ノリオ『介護入門』※15、大庭みな子『楽しみの日々』※16、大庭利雄『終わりの蜜月――大庭みな子の介護日誌』※17だ。
『介護入門』では、祖母の介護をする青年の眼から、従来の〈介護〉に対する挑戦的な言葉が並べられる。「《介護地獄》という物語」への拒絶や、「《血の優位性》」を「血や続柄制度の物語に縋る堕落」とし、〈家〉や〈血〉の為ではなく「祖母に育てられた膨大な記憶の蓄積」故に介護するのだと叫ぶ。また「俺」は祖母と一体化せんばかりに介護へ没頭し、やがてそこに自分自身の生きる根拠を見出す。「麻の葉」を吸うアナーキーな青年が、祖母の生命を生かすことにより、自分の生命を生かす「杖」を得ていくのだ。
YO、朋輩、人を殺したことはあるか?俺は毎晩人を殺す気でばあちゃんの下の世話をするんだ、実ににこやかにな。(略)ばあちゃんという現実以外目に入らない、否、俺の全部をばあちゃんという現実の一部にしようとする。(略)此処で生きられなければ、俺はどこで生きることもできない、此処で生きることが即ちどこででも生存できる俺を作る、と覚悟を決めれば、否、決めねば、《成功》なんてありえない。俺は祖母の介護で今のところ大成功を収めている、と強引にも俺は俺を絶えず正当に褒めて生き存える。これからも祖母は生き続けるだろう。※18
『介護入門』の「俺」と「ばあちゃん」がそうして生かされたように、「ひととひととのつながり」※19とは、相手を殺そうとすれば自分も殺され、相手を生かそうとすれば自分も生かされるものなのかもしれない。そうして誰かと繋がる限り、寝たきりの人も認知症の人も、また誰かを生かしていると云えるのではないか。生きている、死んでいる――簡単には云えないけれども、〈生命〉とはその人一人のものではなく、関わり合いの中でお互いが少しずつ預け合っている何かなのかもしれない。そんな〈関係性〉の豊かさを、また別の形で見せてくれるのが大庭みな子だ。晩年脳梗塞で半身麻痺となった大庭みな子は『楽しみの日々』で、長年持ち続けていた「人間の最も大きな幸福は他人を幸福にすることである」という思想を体現している。
自立したいとも思わないし、自立した人間を偉いとも思わない。人間は人の間に生きるものだから自立する必要はない。人は自分だけのためには生きられない。自分のために何かをしたって詰まらない。自分の愛する人を楽しくするために自分は何かをしているのが人生だといつのころからか思うようになった。/奈児は杜詞に頼るのを無上の幸せだと感じている。こんなことまで頼ってよいのかなと思っても頼る方が幸せなので頼る。(略)ある朝目が覚めると(略)脳梗塞を起こして半身が麻痺したということだった。それ以来そんな風に杜詞に全面的に頼る生活が続いている。杜詞は運命というものはもがいても逃れる訳にはゆかないので、いっそ享受するものだと奈児の介護に明け暮れるのを特別の不幸だと思わないようにしている。杜詞がいなければ奈児は生きられないのだという現実が奈児をむしろ幸せにした。※20
夫の杜詞を必要とし頼るのを「無上の幸せ」と感じる奈児。奈児が幸せを感じることでまた、杜詞にも愛する者を幸福にする歓びを与えている。奈児が杜詞の手を全面的に必要とするからこそ得られる、夫婦が心身共に一体化していく幸福感、支え・支えられる歓びだ。介護被介護の関係を描き、被介護者からのこんな声が残されるのも極めて珍しい。他人を必要とすることを、自己の身体と経験を通してここまで肯定的に書いた文章もないだろう。他人の手を借りずに自立して生きることが何事も良しとされ、それができなければ否定されてしまう近代的な価値観自体を、大庭みな子は自らの身をもって覆しているのだ。それも神々しいまでの「幸せ」な形で。また夫の大庭利雄氏も〈介護〉から得た特別な感動を、「彼女を一人の傷ついた人間として扱ううちに、これは単なる夫婦や男女の関係ではなく、完全に同体化してしまった」「みな子が倒れたことによって与えられた特異の関係」「こんな関係を味わえるならば、天に感謝すべきなのかも」※21と残している。介護記録である『終わりの蜜月』には、大庭みな子が脳梗塞で倒れてからの治療やリハビリ、退院から自宅介護に至るまでが詳細に記される。その間利雄氏の体調不良や介護疲れなど日々の苦労も吐露され、なまなかな気持では越えられない〈介護〉の日常も滲む。それでも大庭夫婦の姿は、人と人との深い繋がりから生まれる幸福を、私たちに見せてくれる。
「人は与えただけのものを、必ず与えられる」※22という、大庭みな子の言葉がある。〈関係性〉が互いを生かせば、そこに注いだ真心と同じくらいの何かを得られるのかもしれない。私もそう信じている。しかし〈家族〉や〈介護〉において、「必ず得られる」と書いてしまったら、それも一つの「物語」になってしまうだろう。現実は、厳しい。ただ、〈介護〉を感動で綴った人たちに共通するのは、〈この人を助けたい〉〈生かしたい〉という、やむにやまれぬ想いがあったことだ。社会や制度によって固定化された役割や立場などもはや問題ではなく、相手の痛みを自分の痛みのように感じる慈しみだ。自他を越えた共感といったらいいだろうか。かつてその人に育てられ、生かされた記憶や想い出が、過酷な現実に濾過され、清められ、結晶化したものともいえる。そしてそんな強い想いが、〈家族〉や〈介護〉にまつわる「悲惨」も突き抜け、あらためて人と人との間に深い繋がりをもたらすのも、一つの真実だと思う。
- 二〇〇七・七、法研
- 『中央公論』一九六六・一一
- 『中央公論』一九七一・十一
- 『改造』一九四七・一
- 『日本現代文学全集87 丹羽文雄・火野葦平集』(講談社、一九八〇・五(増補改訂版初版))二六頁
- 一九七二・六、新潮社
- 有吉佐和子『恍惚の人』(一九八二・五、新潮文庫)一三八頁
- 一九九五・五、新潮社
- 佐江衆一『黄落』(一九九五・五、新潮文庫)一七六~一七七頁
- 二〇〇三・七、岩波新書
- 小澤勲『痴呆を生きるということ』(二〇〇三・七、岩波新書)四五頁
- 『群像』一九八六・七、
- 耕治人『天井から降る哀しい音』(一九八六・七『群像』)、『どんなご縁で』(一九八七・一一『新潮』、)『そうかもしれない』(一九八八・二『群像』)
- 同右『痴呆を生きるということ』四五頁
- 『文学界』二〇〇四・六、
- 『群像』一九九七・五~一九九九・五
- 二〇〇二・八、新潮社
- モブ・ノリオ『介護入門』(二〇〇四・八、文藝春秋)四六~四七頁
- 同右『痴呆を生きるということ』四七頁
- 大庭みな子『楽しみの日々』(一九九九・九、講談社)八七~八八頁
- 大庭利雄『終わりの蜜月』(二〇〇二・八、新潮社)一六七頁
- 同右『楽しみの日々』三三頁


