森盲天外著「貯金道話」を読む④第7講(終)

森盲天外の『貯金道話』は、単なる金銭管理の指南書ではありません。これは、人生の根本にある「蓄える」という行為を、道徳・勤労・精神修養の観点からその思想をわかりやすく講和形式に説いた、明治の叡智が息づく珠玉の一冊です。

盲天外は、視力を失いながらも村長として民を導き、教育者として盲唖学校を設立した人物。その生き様が本書にもにじみ出ています。「貯金」を単なる貨幣の蓄積のみならず、それを人格形成の一環と見なします。すなわち、日々の勤労に感謝し、無駄を慎み、未来への備えを「道」として歩むことこそが、真の豊かさへの道であると語るのです。

本資料が、盲天外の思想に触れ、その深奥を汲み取る一助となりましたならば、編者としてこれに勝る喜びはございません。

※本稿においては、原文の思想的・文学的価値を損なうことなく、そのままの言葉遣いを尊重しつつ意訳を試みております。なお、本文中には現代の価値観に照らして不適切と受け取られかねない表現が含まれておりますが、これらは当時の社会的・文化的背景に根ざしたものであり、差別や偏見を助長する意図によるものでは決してございません。本稿の目的は、歴史的文脈における思想の真意を汲み取り、時代を超えてその精神的・哲学的意義を伝えることにあります。

意訳:井上雅史 (一粒米の会 会員)
                                             

目次

第7講 貯金の実行

実験実話

貯金というものは、徹頭徹尾「実行」でなければなりません。実行がなければ、貯金は決して成り立ちません。

しかしながら、実行には必ず「方法」が伴うものであり、その方法を得ることが何よりも肝要です。

私はかつて、我が余土村(愛媛県温泉郡)において、十年間村長を務めながら、貯金の実行を試みました。

これは、我が村の多数の人々に貯金を実行させた一つの「実験」であり、村の事業として個人の貯金を促したという点において、貯金によって村の「実力」を養うことが主たる目的でした。

同時に、この実行を通じて、我が村の人々の心を「勤倹力行」の方向へと導こうとしたのです。

いわば、社会教育を施し、これまで奢侈乱費の傾向があった村を、勤労主義の村へと変革しようとしたのでした。

この実験は、貯金を勧めるための一つの方法を研究させる契機ともなりました。

そしてまた、実行の結果は私の予想をはるかに超えて、その効果を現し、貯金というものの「実力」がいかに宏大なものであるかを、私に深く悟らせました。

それゆえ、特にこの「実験実話」を述べて、世の参考に資したいと願うのです。

実行を要する貯金に対して、実話をもって語ることは、貯金を勧める上で最も適切な方法であると私は思います。

世間には、貯金実行の美しい実話が数多く存在します。私の村の実験談など、語る必要もないように思えるかもしれません。

しかし、これまで講を重ねてお話ししてきたことは、すべてこの「実行の源泉」から湧き出たものであり、結末に私自身の実験実話を述べることは、これまでの講話と深く関係しているのです。

そして何よりも、以上数回の講話が「空理空論」ではないということを証明するためにも、ここにこの実話を選んだ次第です。

方法の研究


勤労もする、倹約もする——それでも貯金ができない人が多い。これでは「実の一つだになきぞ悲しき山吹の花」です。

貯金の実行は、やはり難しいもののように見えます。

多くの人が、貯金の必要性を全く無視しているわけではありません。その必要は、誰しも知っているはずです。

日々目にするカブや大根でさえ、貯金を実行している。これはほとんど生物の本能とも言うべきもので、人間も「オギャー」と生まれた時から、この心を持っているに違いありません。

だから、貯金の必要性について長々と講釈する必要はない。聖人君子が昔から繰り返し説いてきたことであり、人々も耳にタコができるほど聞いてきたはずです。

それなのに、貯金の実行が事実として現れないのはなぜか——私は我が村に貯金の実行を勧めるにあたり、この短所を研究せねばならぬと考えました。

人は貯金の必要を知っています。

しかし、目の前に美味しいものや美しい衣服を見ると、たちまち欲望が起こります。

「食べたい」「着たい」という欲望が、貯金の心を隔てる叢雲となって、貯蓄の意志を忘れさせてしまうのです。

だからこそ、常にこの欲望に打ち勝ち、貯蓄心を堅固に保つことが必要です。

貯蓄心が堅固に持続していれば、欲望の叢雲を通して光明が輝く。

結局、欲望に勝てないのは、貯蓄心が持続しないからです。

欲望が起こるたびに、貯蓄心が打ち消されてしまう。

人に貯蓄心がないわけではない。必要を知らないわけでもない。

たとえ貯蓄心があっても、必要を知っていても、それが持続しなければ、せっかくできた貯金も欲望に奪われてしまう。

これが、貯金実行の難しさの第一の短所です。

次に、勤倹の結果として二十銭、五十銭ができたとします。

これを貯金しようと思っても、「このわずかな金を預けに行くのは面倒だ」「ついでがあれば」と言って、タンスの引き出しや針箱の隅に入れておく。

すると、つい菓子になったり、酒になって失われてしまうことが多い。

これは貯蓄心がないというのではなく、預け入れの便法がないために、せっかくできた金が欲望に奪われてしまうのです。

そもそも「郵便貯金」という制度が、英国で初めて実行されて以来、広く世に行われているのは、この短所を補うための方法です。

銀行の数よりも郵便局の数は多く、広く配置されているため、最寄りの人々が貯金を郵便局に預けることができる——これは非常に便利な方法です。

この制度が広まって以来、各国で貯金が著しく増加したという事実があります。

この貯金増加の事実からも、預け入れの便法がいかに貯金の実行を容易にするかが証明されます。

郵便貯金は、実にこの上もない便法です。

さらに改良が加えられ、「切手貯金」「出張貯金」「取集貯金」などもあり、ほとんど遺憾なきまでに制度が進んでいます。

結局、これらはすべて、この短所を補うための工夫なのです。

しかし、私は村内の多数の人々に、必ず定時に貯金の実行をさせようと考えたとき、これらの郵便貯金の方法があっても、なお満足することができませんでした。

多数の人々に、一定の時刻に預け入れを実行させるには、手続きが簡易であり、集金の普及が図られなければ、励行を期することができません。

貯金が難しい理由は、まさにこの点にあるのです。

だからこそ、私はこれを第二の短所と認めました。

私はこの二つの短所があることを知り、我が村に貯金を勧め、その実行を期するには、これらの短所を補わねばならないと考えました。

これを補わずして、多くの人々に貯金の実行を求めても、決して成果が挙がるものではない——そう確信したのです。

短所の補給

第一の短所である「貯蓄心の持続」について、私はこれを社会教育によって補うべきだと考えました。

そこで明治三十三年、村の各部落・各組において、三十七〜三十八回の講話を試みました。

この講話は普及を目的としていたため、家主はもちろん、老若男女、下女、下男まで広く集めました。

そして「勤労主義」を鼓吹し、「貯金なき勤労は草臥れ儲けに終わる」ことを教えました。

当時、村是調査の実行も進んでいたため、その調査結果に基づき、数字が示す事実を指摘しながら、村民に奢侈の実態と将来の憂うべき状況を丁寧に説き聞かせました。

この講話はその後も農閑期を見計らって、毎年幾度となく開かれ、常に貯蓄心を養い、失わせぬよう努めました。

第二の短所である「預け入れの不便」については、どう補うかを種々考慮した結果、小学校高等科の生徒に集金を担当させることにしました。

生徒は村全体に分布しているため、各地域の貯金を集めることは容易であり、難しいことではありません。

僅かな金額を集めるためには、手間が少なく、簡便な方法を選ばねばなりません。

生徒を利用することは、まさに容易であり、簡便であると考えました。

しかし、小学生に金銭を扱わせることには、一つの危険が伴うのではないか——児童が過ちを犯し、身を損なうことにならないかと、私自身も心配しました。教員もまた心配しました。

けれども私はこう言いました。

児童といっても高等科の生徒です。金銭の計算ができないわけではありません。

また、金銭を扱うことは、児童が将来必ず経験することですから、今のうちから稽古させておく必要があるでしょう。

金銭は誘惑物であるという危惧もあるかもしれませんが、誘惑は金の罪ではなく、誘惑される人の心の問題です。

常に児童に向かって修身教育を施し、精神を堅固にしようとするならば、こうした事業に当たらせることこそ、彼らの修身教育の成果を測る試金石ではないでしょうか。

児童がこれを扱って誤りなく遂行できたならば、学校教育の成果として誇るに足るものです。

時代は必ずしも金を賤しめるものではありません——そう述べたことで、教員も決心し、奮励して、いよいよ生徒をしてこの集金業務に当たらせることとなったのです。

日曜貯金

明治三十四年九月より、いよいよ貯金制度の実行に着手しました。

私は村役場の同僚の助けを得て、盲目の身ながら自ら各戸を訪ね、貯金通帳を配布しました。

そして小学校の生徒たちは、日曜日ごとに各戸を回って集金を始めました。

生徒にはそれぞれ担当区域が定められており、各自に一個の信玄袋が与えられました。

この袋は村費によって供給され、高等科の女生徒が手作りしたものです。

袋の中には手帳と鉛筆が入っており、手帳の冒頭には担当する家々の一覧が記されています。表紙には番号と生徒の氏名が記されていました。

生徒は貯金者から金と通帳を受け取ると、手帳に「何銭、何の某」と記録し、金と通帳を袋に納めます。

こうして担当区域の家々を回って集金し、月曜日の朝に学校へ持参します。

担当教員がこれを監査し、村役場から収入役が出張して受け取ります。

収入役は生徒の手帳に基づいて台帳に記入し、通帳にも記録を加え、火曜日または水曜日には袋とともに学校へ返送します。

生徒は放課後、通帳を貯金者に配布し、貯金者は通帳を受け取ることで、村役場の台帳に確実に記録されたことを確認するのです。

村役場では、これらの貯金を一括して銀行に預け、利殖に努めました。

当初は、台帳作成の煩雑さに耐えかねて、直接銀行に預けようと考えましたが、銀行側も毎週何百という通帳を扱うのは手間がかかるとのことで、最終的に村役場がこれを引き受けることとなりました。

その代わり、銀行はこの種の貯金に限って特別に高利の利子を支払うという利益を与えてくれました。

また、この貯金を村役場が扱うにあたり、私は村会に提案し、「貯金附託法」を制定しました。

これにより、制度の性質が明確となりました。

以下はその規定と細則の要点です

余土村勤倹貯蓄附託金取扱規定(抜粋)

  • 村民の便宜を図り、勤倹貯蓄附託金の取扱を行う
  • 本村に本籍または住居を有する者に限る
  • 一回の附託金額は一銭以上
  • 附託金は一括して銀行に預け、利殖を図る
  • 利息は年度末に元金に組み入れる(端数は切捨て)
  • 払戻は速やかに対応
  • 細則は村長が定める

余土村勤倹貯蓄附託金授受細則(抜粋)

  • 通帳と現金を収入役に払い込み
  • 記載・検印を通帳に施す
  • 印鑑の届出義務
  • 未成年者は親権者または後見人が責任を負う
  • 通帳は一人一冊
  • 払戻は朱書・捺印の上で申請
  • 紛失時は届出・公告・再交付の手続きあり
  • 附託人は規定と細則を承諾の上で附託する

この制度により、村は貯金の附託を受け、保証を与えることができました。

村が保証する貯金であるため、預金者も安心して参加できました。

通帳は初回で六百三十余冊に達し、四百五〜六十戸の小村でありながら、これほど多数の貯金者が生まれました。

一戸に一人以上、三人、四人と貯金する者もありました。

結局、生徒による集金の便利さと、貯蓄心の養成が相まって、これほど多数の貯金者を得るに至ったのです。

生徒の勤倹貯蓄

生徒が日曜ごとに集金してくれている——その勤労は大いに評価されるべきものです。

そこで村では、予算に「貯金奨励費」なるものを設け、生徒に勤労の報酬を与えることを決議しました。

具体的には、集金額の百分の一(つまり一円につき一銭)を報謝として与えます。

この報酬は必ず郵便切手で交付され、生徒はそれを郵便貯金に回します。

勤労は金であり、金は勤労である。報酬なき勤労があるべきはずもない。

だからこそ報酬を与えることで、生徒自身が「勤労には報酬が伴う」ということを自覚するようになります。

こうして、生徒は勤労の結果として貯金を実行するのです。

世間でも、小学生徒による貯金は今や盛んに行われています。

これは時代に適応した実行として、喜ばしいことです。

けれども、その多くは生徒自身の勤労によって得た金を貯金しているのではありません。

「先生が貯金しなさいと言うから、お父さん、ください。お母さん、ください。姉さん、ください」と、家族から貰って貯金しているようです。

こうした方法でも、貯金実行の訓練として一定の効果はあるでしょう。

しかし、ややもすると「ください、ください」という乞食根性を養成することになりかねないという恐れもあります。

たとえ金額が少なくとも、自分自身の勤労によって得た金を貯金することこそ、真に尊いのだ——そう考えて、我が村では生徒に必ず「勤労の精神」によって貯金させることにしています。

生徒はこの集金報酬のほかにも、さまざまな勤労を通じて貯金をしています。

学校の授業では、害虫駆除や悪菌除去などを教え、実地にそれを行います。

たとえば、苗代における害虫の採卵や蛾の捕獲、稲の白穂の切り取り、麦の黒穂の抜き取りなどです。

これらの作業に対しては、村農会から報酬として郵便切手が与えられ、それがすべて生徒の貯金となっています。

生徒が村内の公衆のために労を捧げて貯金の集金を行い、同時に自らの貯金を実現する機会を得た——これはまさに一挙両得の事柄であると考えます。

紅葉のような手から三万円

生徒たちは、日曜ごとに繰り返し繰り返し集金に励み、非常に勉強熱心です。学校職員も細心の注意を払い、時折各戸を訪れて貯金の奨励を行っています。

当初心配していたことも、生徒と教員の力によって全くの杞憂となりました。金銭の取り扱いに誤りはなく、金に誘惑されることもなかった——これはこの上ない幸せです。

そして、明治三十四年九月から今日まで、制度は一度も廃されることなく継続されました。

明治四十二年には、初期からの附託貯金が三万円に達しました。

これは、生徒たちの「紅葉のような可愛らしい手」から集まった金です。

八〜九年を費やして三万円——些少の金のように見えるかもしれませんが、生徒の仕事としては、花よりも美しい紅葉の色彩ではないでしょうか。

三万円は目的のすべてではありません。

貯金の実行を企てたのは、この金額だけを目指したのではなく、その過程において「無限の貯蓄心」と「勤労主義」を養成することこそが、真の目的でした。

私は時折学校に出向き、生徒たちに勤倹の話をし、労を讃えて感謝の言葉を述べます。

「皆さんが日曜ごとに紅葉のような手で集めてくれた貯金が、今や二万円になりました。三万円になりました」と報告すると、生徒たちは手を打ち、舌を巻き、目を剥いて喜び、手の舞い足の踏む所も知らぬほどの有様です。

私はその瞬間、言葉に尽くせぬ有難さを覚えました。

三万円の附託金よりも、生徒の「腹の中に蓄えられた貯金」こそが、我が村の将来における無限の富を宿している——そう感じたのです。

生徒たちは「三万円」という声を聞くと、自分の金ができたかのように、鬼の首を取ったかのように勇み喜びます。

その時、彼らの脳裏には確かに深い印象が刻まれたに違いありません。

世間では三万円は少額かもしれませんが、日頃見たこともない三万円の声は、生徒の頭には非常に大きく響きます。

実際、日曜ごとに集めてくる金は、三銭、五銭、十銭という零細な金です。

その零細な金が、積もり積もって三万円となった——「わずかな金も積もれば大きくなる」ということを、生徒たちは身をもって理解しました。

一文銭の価値が、幼い彼らの脳裏に刻み込まれたのです。

この日曜集金の実行は、生徒たちの生涯を支配する大きな力となります。

幼少期に袋を提げて貯金を集めたという事実は、決して忘れられるものではありません。

そして、見聞きした事実が、貯金の必要性を彼らに教えます。

「某家が不幸にも火事に遭い、財産もなく、寝る場所もない。けれども日曜貯金があったおかげで、以前より立派な家が建った」——こうした事例に触れることで、三銭、五銭の些少な金が大きな力となることを、彼らは常に見て、聞いています。

だからこそ、貯金の必要性を深く感じたに違いありません。

実行に伴う利益は、決して少なくありません。

教員が勤倹貯蓄の必要性を百万遍繰り返しても、教室内の反響だけでは深い感銘を与えることは難しい。

百万遍の言葉よりも、実行のただ一つが、確かに深い印象を与えるのです。

その印象が深ければ、生徒の生涯を支配する幸福が宿る。

成長して世に立ち、家を治めるようになれば、幼少期に蒔かれたこの種子が繁茂し、勤労主義の人、貯金実行の人となるに違いありません。

さらに、児童でありながらも、村内多数の人々の貯金を集め、「力を公に致した」のです。

これは、公共心を養う一つの機会ともなっています。

だからこそ、三万円の貯金は、事実として決して少ないものではありません。

負うた子に教えられて

貯金だけが貯金ではありません。貯蓄心が常に持続することこそ、何よりの幸福です。

だからこそ私は、制度の着手に先立ち、繰り返し講話を行いました。すなわち、社会教育に力を注いだのです。

制度の実行後も、なおこの教育に努め続けました。

私が「貯金以外の貯金」を目的として、村人に貯蓄心の養成を試みたところ、外からもその心を助けてくれる力が働き、ますますその精神が育まれていきました。

その力とは、学校の生徒が貯金を集めてくれたという事実です。

この行動が村内に大きな薫化を与えました。

当初、日曜ごとの集金に対して「七日に一度とは頻繁すぎて面倒だ」「一度に多額でもよいから月一回にしてほしい」という声が多くありました。

しかし私は、「一週一度ではなく、できることなら毎日でも集金させたい」と思っていました。

日曜ごとの集金を月一回にしてしまえば、貯蓄心が忘れられる恐れがあるのです。

毎日この心が持続していれば、灰の中からでも、反故紙の中からでも、貯金の事実が生まれてくるでしょう。

多くの人はこの心を忘れてしまう。だからこそ、七日に一度の貯金という実行で、うるさく、うるさく攻めていくことで初めて心が造られ、造られた心も忘れられないのです。

あの可愛い生徒たちが、無邪気に日曜ごとに集金に出かけます。

「姉さん、伯母さん、伯父さん、貯金、貯金」と催促するその声が、村内に響き渡り、冷めかけた熱を再び温めていく。

こうして村人は、児童の声に追いかけられるようにして、貯金を忘れることができなくなります。

それが貯蓄心の持続となり、私の幾十回の講話よりも、はるかに大きな効果をもたらしたように感じました。

まさに「負うた子に教えられて浅瀬を渡る」とは、このことではないでしょうか。

こうして村内の人々に貯蓄心の持続が生まれました。

火のあるところには、必ず暖かみがあります。

貯蓄心が持続された我が村の人々には、すぐにその実が現れ、貯金の実行へとつながりました。

生徒に託された金は、わずか三万円ですが、それ以外にも多くの貯金が生まれました。

児童が扱う金は、五銭、十銭、一円、多くても五円程度。何十円、何百円という金を児童に託すのは、やはり不安があるでしょう。

だからこそ、児童の手を通して集まる金は、零細なものであることが当然です。

一方で、村内の多くの人々が貯蓄心の結果として得た金は、直接銀行や郵便局に持ち込まれて預金となっています。

明治四十二年にこれらの貯金を調べてみると、明治三十三年当時に比べて、ほぼ十万円の増加がありました。

これは日曜貯金以外のものであり、貯蓄心養成の成果です。

この貯蓄心が、可憐な生徒たちの日曜貯金によって育まれたとすれば、三万円の貯金に十万円のお伴が付いてきたことになります。

そして何よりも、腹の中に貯蓄心が宿ったことこそ、永久の幸福であり、貯金以外の大いなる貯金なのです。

貯金のやどり木

徳は孤ならず、必ず隣あり。 その広がりの広大にして限りなきものは徳です。

わずかに見える徳も、限りない広がりをもってその光を放ちます。だからこそ「徳は一なり」と言われるのです。

我が村における日曜貯金の徳も、忽ち広がって十万円の貯金となりました。

五百戸にも満たない小村に十万円の金ができると、その金は単なる預金として置かれるだけでなく、折に触れて生産の資本として活用されるようになります。

我が村は純然たる農村であり、資本の活用といっても自然と制限があります。

農家が不用意に他の分野へ資本を投じれば、しばしば失敗するものです。

だからこそ、祖先から受け継いだ農業に資本を活用するのが、自然の流れとなりました。

その結果、田畑の購買力が高まり、売る者は少なく、買う者が多くなり、田畑の価格は一躍高騰しました。

他町村の田畑よりも、我が村の地価は非常に高価となったのです。

明治三十一年頃、田一反の平均価格は百七〜八十円でしたが、今日では平均四百円。

それでも容易に買うことはできません。いくら出しても一町、二町と買うことは望めません。

このような地価の高騰は、すなわち村の富の増加です。

わずか十年間で地価が倍加し、土地に対する富の増加は八十万円に達しました。

これは実に驚くべき増加です。

かつては田を売るにも、一〜二ヶ月は金を待たねばなりませんでした。

今では即日即金。待てという者もなく、田畑がすぐに金に換えられるようになりました。

財産はますます確実なものとなったのです。

結局、これも貯金の結果です。

さらに、土地の価格が高騰すると、土地を愛する心が強くなります。

その心が強まると、耕作にも手を抜かなくなります。

小作人に貸す場合も、粗略に扱う者には貸さず、耕作に力が入るようになります。

すると、年々の生産は増加します。

農業資本に余裕が生まれた結果、肥料も多く施され、生産はさらに増加しました。

明治三十一年当時、米一反歩の平均収穫は二石三〜四斗でしたが、現在では三石以上の収穫が得られるようになりました。

この増加は年々得られるものであり、特に一反あたり六〜七斗の増加は純益の増加です。

地租も県税も村費も変わらず、利益だけが増えたのですから、農業経済には少なからぬ利得となりました。

この利益の増加は、年に二万七〜八千円の巨額に達します。

しかもこれは米だけでなく、すべての生産に波及しているのです。

以上、地価において八十万円の増加、米の生産において年々二万八千円の増収——これらは何によるものか。

結局、我が村に貯金ができた賜物です。

もし貯金がなかったならば、これほどの地価高騰も、収穫の増加も、到底望めなかったでしょう。

最初、小学生徒の手を通して集められた三万円が元となり、十万円の貯金へと伸びました。

その貯金に宿り木ができて、地価の八十万円、年々米の二万八千円という莫大な利益が生じたのです。

金に金がつき、枝に枝が栄えた——貯金の徳とは、実に驚くべきものです。

貯金の実力

わずかに思える貯金が、これほどまでに意外な効果を現すとは——ここにおいて、貯金の実力が確かに認められました。

町村も国家も、貯金によって実力を養うものであることは疑いありません。

だからこそ、広く貯金を集めることが、実力養成の第一の手段なのです。

私の実験によれば、一人の多額の貯金よりも、多人数の少額の貯金の方が、実力の上で勝ることが分かりました。

たとえば、一人が十万円の貯金をしても、他の多くの人が貧乏であれば、田畑の価格は高騰しません。

貧乏という弱点を突いて、少数の買い手が土地を買おうとするから、価格は安くなることはあっても、高くなることはないのです。

これに対して、貯金が少額でも、多くの人に余裕ができれば、買い手が多く、売り手が少なくなる。

需要と供給の自然な結果として、田畑の価格は高騰するのです。

この点においても、一人の多額の貯金よりも、多人数の少額の貯金の方が、実力において勝っているのは明らかです。

近年、私の村の土地価格が高騰してきました。

その購入競争は激しく、しかもその競争に勝つのは、いつも富豪の地主ではなく、中産以下の人々です。

これは実に意外な現象です。

なぜ貧しい者が富豪に勝つのか——それは、富者の計算方法が違うからです。

富者は小作米の利益から打算するため、四百円以上、五百円、六百円という高価を払うことができません。

一方、中産以下の者は、自ら鋤や鍬を持って耕作するため、利益の構造が異なります。

だからこそ、高い価格を払ってでも土地を買おうとし、競争において地主に打ち勝つのです。

どの村を見ても、土地が法外に高価なところは、中産以下の多人数に金ができているところです。

だからこそ、貯金はなるべく多数の人に実行させ、実力をますます強大にしなければなりません。

中産以下の多人数に貯金をさせれば、たとえ金額が少なくとも、実力は増し、町村の富は増加します。

さらに、社会の利害は共通しています。

財産家も、一人で何十万円の貯金をするよりも、より以上の利益を得るのです。

財産家が所有する広大な土地も、中産以下の勤労の結果によって、その価値が増加する。

この増加は、中産以下の人々だけの利益ではありません。

鋤や鍬を持たない財産家の何十町歩もの土地も、共にその価値が高まるのです。

すなわち、幾十万円の富が増加するのです。

これは、多人数の貯金の賜物が、広く分配された結果です。

ここにおいて、町村内の財産家はよく考えなければなりません。

自己の富を増やし、永久の幸福を得たいと願うならば、中産以下の多くの人々を勤労させ、倹約させ、貯金させることこそが、大きな幸福であると理解すべきです。

「衆と共に楽しみ、衆と共に栄える」——これこそがその意味です。

町村、国家の実力を増加させたいと願うならば、この心がけを忘れてはなりません。

さらば、貯金の実力がいかに広大なものであるかをよく自覚し、その中に自己の幸福もまた見出すのです。

貯金の利用

貯金をすれば、おのずと「利用」ということが行われます。

もし利用されない貯金であれば、それは死物です。

ただ貯金箱やタンスの中にしまっておくだけでは、貯金の効用は少しもなく、むしろ経済上の泥棒となるのです。

だからこそ、利用することが貯金の最終目的なのです。

郵便局や銀行に預け入れても、それらの機関が国庫や市場でさらに利用しているからこそ、利子を支払って預かるのです。

利用するところにこそ、幾倍もの利益があり、貯金の妙味が宿るのです。

私の村では、田畑の価格が高騰し、富力が増し、農業生産も年々増加し、副業も著しく伸びました。

このような生産の増加は、貯金が利用された結果です。

単に貯金ができただけでは、これほどの成果は生まれません。

貯金は、万の生産を生み出す動力であり、その動力を得るために貯金するのです。

当初、私は村の貯金制度において、一定期間の引き出し制限を設けようかとも考えました。

しかし、それでは利用の心を失わせると考え、随時引き出し可能な自由を与えました。

この自由に対して、「貯金が多くできない」と非難する者もいました。

けれども、制限すれば貯金者は利用の精神を欠くようになります。

貯金をしておき、必要に応じて引き出せるとすれば、貯金の実行の中で利用の観念が養われるのです。

そして、安心感が生まれ、貯金者はますます増えていきます。

私は常にこう言いました:

「貯金して浪費するのは悪い。けれども、よく利用するために引き出すなら、いつでも引き出してよい。 引き出して利用すれば、貯金のありがたさが分かる。 そのありがたさが分かれば、たとえ引き出しても、日曜ごとの貯金は怠ってはならない。 むしろ、ますます積み増す覚悟が起こらねばならぬ。」

引き出しの自由は、貯金の必要を自覚させる方法であり、利用の道を教える方便でもあります。

この自由な方法を取っても、村民が常に貯蓄心を持続していれば、不必要な引き出しは起こりません。

八〜九年間、日曜ごとに絶えず貯金を実行し、六百余名の貯金者が飽きることなく続けている事実は、まさにこの方法の成果です。

世間には、貯金の引き出しを制限する制度が多くあります。

それも「しないよりはまし」ではありますが、貯金の必要を知らせる力が弱く、利用の観念を育てにくいのではないでしょうか。

勤倹貯蓄が「世の中を不景気にする」といった非難が起こるのも、こうした制限的な制度のためかもしれません。

私が多数の人々に貯金を実行させたのは、単に貯金額の多さを求めたのではありません。

その実行の中で、貯蓄心の養成と、貯金の利用を促し、貯金以上の大きな利益を期したのです。

さて、貯金は生産の動力であり、生産を生む母です。

貯金がなければ、すべての生産は盛んになりません。

西洋では近年、「産業組合」が盛んであり、貯蓄と利用を両立させて著しい進歩を遂げています。

我が国でも各地に組合が組織されていますが、まだまだ貯蓄が足りず、利用も広がっていません。

そのため、著しい産業の発展が見られないのです。

今後、大いに努力せねばなりません。

私の村でも、貯金はすでに一般の人々に利用されていますが、まだ十分ではありません。

そこで、明治四十一年からはこの貯金を信用組合に移し、利用の拡張を図っています。

終わりに臨んで

貯金の実行は、規約や定款が立派に整っているだけでは、成果は上がりません。

人々の心の中に貯蓄心が養われ、寸時も忘れられぬよう持続されることが必要です。

そうでなければ、一時的な実行に終わり、永久の実行とはなりません。

制度を担う人々には、貯蓄心の養成を第一にしてもらいたい。

共同の貯金でも、個人の貯金でも、この心を造ることが貯金実行の根本です。

私が講話を重ね、「貯金道話」を試みたのも、すべて世人の貯蓄心を養うためでした。

皇后宮御歌

知ろしめす国の御いづを高めんも 積める黄金の山にぞありける

(治められる国の御稜威を高めるためにも、積み重ねられた黄金の山こそがその基盤である——と詠まれた御歌)

参考文献

[1] 『貯金道話』丁未出版社発行、明治四十三年五月十五日発行

【付記】
本研究は、科研費の助成金によって作成されました(JSPS科研費 22K00357)。
This work was supported by JSPS KAKENHI Grant Number 22K00357.

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