森盲天外著「農業道徳」を読む①序文~第3章まで

森盲天外『農業道徳』は、近代日本における農業思想の中でも、ひときわ独自の光を放つ名著である。

本書は、農業を単なる生産活動としてではなく、自然と人間が相互に徳を育て合う営み として捉え、その精神的基盤を深く掘り下げた希有の書である。盲天外は、牛馬・鳥虫・蚕といった小さな生命に宿る「徳」を見つめ、そこに人間が学ぶべき姿を読み取った。その眼差しは、自然を搾取の対象とするのではなく、共に働き、共に生きる存在として尊ぶ精神 に満ちている。

本現代語訳は、盲天外の思想をより多くの読者に届けるため、原文の格調と精神を損なうことなく、現代の言葉で丁寧に読み解いたものである。難解な文語体を読みやすくしつつ、盲天外が込めた倫理観・生命観・労働観を忠実に再現することを旨とした。

本書に描かれる思想は、「労働は徳である」「自然は師である」「小さな生命にも尊厳がある」「共同体は相互扶助によって成り立つ」「人間の不徳は必ず社会に影響する」といった普遍的な価値を含み、農業に携わる者のみならず、現代を生きるすべての人に深い示唆を与える。

盲天外の言葉は、今日においてもなお、静かに、しかし確かな力で私たちを導いてくれる。本資料が、盲天外の思想に触れ、その深奥を汲み取る一助となりましたならば、編者としてこれに勝る喜びはございません。

※本稿においては、原文の思想的・文学的価値を損なうことなく、そのままの言葉遣いを尊重しつつ意訳を試みております。なお、本文中には現代の価値観に照らして不適切と受け取られかねない表現が含まれておりますが、これらは当時の社会的・文化的背景に根ざしたものであり、差別や偏見を助長する意図によるものでは決してございません。本稿の目的は、歴史的文脈における思想の真意を汲み取り、時代を超えてその精神的・哲学的意義を伝えることにあります。

意訳:井上雅史 (一粒米の会 会員)
                                             

目次

大隈重信による序文

 人類が自然を利用して生産を行う仕事にはさまざまなものがありますが、その中で最も早く発達し、しかも最も重要なものは、言うまでもなく農業です。農業こそが文明と進歩の基礎を形づくってきました。
人間が生活するうえで最も欠かせないのは、土地から得られる生産物です。土地が持つ富は自然の力によって限りなく存在しますが、そこに人の知恵と工夫を加えることで、その富をさらに増やし、より豊かにすることができる――それが農業という営みです。

現在、日本の耕地面積は五百万町歩で、国土全体の七分の一にすぎません。しかし、人々が力を尽くせば、将来この耕地面積を倍にすることも決して不可能ではありません。さらに、人間の知恵が発達し、努力を怠らなければ、災害を防ぎ、土壌を肥やし、同じ面積から得られる収穫を五割増しにすることもできるでしょう。

農業は人類史の中で最も早く発達した産業ですが、今日、商業や工業と比べると、その進歩はまだ遅れており、農民の農業知識も十分とは言えません。農民が知識と徳を高めることは、そのまま生産の増加という実益となって返ってくるのです。

生産が増えれば農村は豊かになり、ひいては国家の繁栄につながることは言うまでもありません。また、農家は自然とともに暮らすため、都会の人々に比べて性質は穏やかで、風俗も良いものです。ゆえに農村の繁栄は、国家全体の風俗を高め、道徳を向上させる大きな力となります。

森恒太郎君は、盲目という身でありながら長年村政に尽くし、近年は全国を巡って農村の政治改善に力を注いでいる篤志家です。このたび『農業道徳』という書を著し、私に序文を書くよう求められました。

森君の主張は、道徳の観点から農業がいかに高尚な仕事であるか、また耕作の営みは徳を磨くことにつながり、一草一木を育てるにも愛情をもって接すべきである、というものです。もし農村が森君の教えに耳を傾け、農業に励むならば、それ自体が道徳を修めることとなり、生産は自然と増え、村は豊かになり、風俗も良くなる
――私はこれを疑いません。

明治四十四年十月十日
大隈重信

第1章 神秘的農業◆

第1節 田園の一大文字

「色もなく、香もなく、常に天地は、書かざる経を、繰り返しつつ」とは天地(自然界)は、色も香りもない“無言の教え”を、いつも絶えず示し続けていることを示している。
自然は無言のままに深い真理を示し続けており、農業とはその「書かざる経」を読み取る営みである
――これがこの節の中心思想であり、尊徳の歌が象徴的に示すところである。

 心地よい朝風に背中を押されるように家を出て、鍬や鋤を手に田畑へ向かう私たちは、いったい何を得ているのだろうか。

ただ忍耐し、ただ力を尽くして、多くの収穫を得る――それだけなのだろうか。

いや、得ているものは決して収穫の量だけではない。
大地は、私たちに「文章」を貸してくれている。
働け、掘れ――私たちの手で鍬や鋤が土を割るその跡は、大きな一つの文字となって現れているのだ。

見渡してみよ。
遠くには青々とした田が十里も続き、波のように揺れて果てしなく広がっている。
近くには一本の菜の花が黄金色に輝いている。
目に映るすべてが、まさに文章である。

読めばよい。読めばよい。
万巻の書は、私たちの日々の農作業の中で読むことができるのだ。

一本の菜、一粒の米でさえ、よく観察すれば、絶えず小さな声で語りかけ、私たちと対話しようとしている。
それは自然の秘密と、その巧みさを、親しみと愛嬌をもって語っているのである。

思ってみよ。
一本の菜も、一粒の米も、人間の力だけで作り出すことはできない。
科学が進歩した今日でさえ、それは不可能だ。

農家が作物を育て収穫するといっても、私たちはただ耕し、育てるだけである。
菜が菜となり、米が米となるのは、人為ではなく、自然そのものの秘密による。
その秘密は、一本の菜や一粒の米の中に深く潜んでいる。
この自然の大いなる秘密に、私たちは毎日触れている。
だからこそ、その秘密を悟らなければならない。
徹底的に向き合い、その扉を開かなければならない。

自然は秘密を閉ざしてはいない。
むしろ常に開いており、一本の菜や一粒の米に語らせ、私たちに教えてくれている。
小さな種を土に置けば、たちまち芽を出し、茎となり、葉となり、成長して花を咲かせ、実を結ぶ。
その間ずっと、作物は私たちと対話している。
その秘密の蓄えは無限であり、私たちが求めるどんな問いにも答えてくれる。
文学、技芸、道徳、経済――あらゆることを語っている。

これこそが「秘密の秘密」である。
耕し育てる日々の中で学べることは、実に多い。
だから農業は、単に収穫を得るだけではない。
多くの「副産物」をもたらす。
文学も、技芸も、道徳も、経済も――すべて農業の副産物である。
田園は、私たちが学ぶべき学校であり、
日々育てる作物は、私たちの良き師である。
この学校で、この良師から学べる農家は、なんと幸せなことだろう。

二宮尊徳の歌に、

色もなく、香もなく、常に天地は、書かざる経を、繰り返しつつ

とある。
天地の間に満ちる限りない大いなる文章を、読まずに済ませてよいはずがない。

第2節 鍬と鋤による修養

農業とは単なる生産ではなく、天地の道を足元に見いだし、日々の仕事そのものを修養の場とする営みである。田畑に書き下ろされた自然の大いなる文章を読み取ることで、農業と道徳は本来ひとつの道として結びつき、人格もまたそこで養われる。若者が農を嫌うのは、この無限の天地を知らないからであり、道は遠くに求めるものではなく、常に足元の職分の中にあると説いている。

私たちは、誰もが自分の職分に専念しなければならない。
「天は自ら助ける者を助ける」というように、職分に忠実であれば、天の助けを得て幸福を全うできる。

農家もまた、一心に自分の務めを守り、誠実に働かなければならない。
心をそこに留め、誠実であるなら、農家が繁栄するのは当然の結果である。
そもそも、心を職分に集中するということは、天地そのものを職分の中に見いだすことである。
天地を職分の中に求めるなら、農業にも心を集中できる。
天地は無限であり、深い趣味と多くの喜びを与えてくれる。

だから農業を天地とみなせば、無限の趣味も湧き上がり、無限の喜びも得られる。
ゆえに私たちは、農業を天地とし、職分に安んじて、日々の仕事の中で修養を積まなければならない。
若者が農業を嫌い、自分の職分に安んじられないのは、農業の中にある無限の天地を理解できないからであり、実に惜しむべきことである。

科学の弊害は、時として「分かったつもり」になってしまうことだ。
農業と道徳は全く別物だと言われるが、もし農業の中に天地があることを悟れば、道徳もまたその中に求めることができる。
田んぼに書き下ろされている大いなる文章は、道徳をも説いている。
作物が語る秘密は、道徳をも理解させてくれる。
それを読み、それに耳を傾け、勤勉に励むなら、鍬や鋤は道徳を修めるための道具となる。

こうして農業は道徳と一致し、他に求めずとも修養を積むことができる。
農業の趣味は深く、心を集中させるに十分である。
私たちは常に職分を重んじ、その職分を尽くす中で人格を磨かなければならない。
人は職分を離れて、どうして修養を積むことができるだろう。
仕事に励む中で修養を積み、人格を養うことこそ最も大切である。

道は遠くに求める必要はない。
教えも外に求める必要はない。
すべては日々の仕事の中にある。

農業と道徳を区別するのは、科学的な分類のためであることを忘れてはならない。
道は本来ひとつである。

古人も「道は片時も離れてはならない。離れるものは道ではない」と言っている。

天を天のまま求めて得られるだろうか。
天に登ることもできず、測る手段もない。
天文学者が天体の距離を測るときでさえ、自分の足元を基準にして測るではないか。
つまり天を天に求めず、足元に求めているのである。
農家も常に天を足元に求めなければならない。
温かさや雨露も、地に入って初めて植物を育てる。
土地を耕し、肥料を施すのも、温熱を媒介として作物を育てるためである。
これは天地が調和して万物を生む理に従っている。
だから農業は天を天に求めず、地に求めている。
高い天も、足元に求めることができる。

天地は日々の仕事の中にある。
この事実を悟るなら、道を求めることも同じでなければならない。
農業と道徳を分け、道徳が農業の外にあると考えるなら、天地は分断され、万物は生きられなくなる。
もしこの道理を見失えば、わずかな誤りが天地ほどの隔たりとなり、道徳も得られず、農業にも安んじられず、両方を失って堕落するしかない。

道は決して遠くにあるものではないし、離れてよいものでもない。

だから農家は、農業の中に道徳を求め、自らの品性を養わなければならない。
そうすれば仕事そのものが非常に趣深いものとなり、心を一つにして誠実に働くことができる。
若者が農業を嫌い、他の職を求めようとするのは、この理を理解していないからである。
農業の天地は多くの趣味と味わいに満ち、波打つ麦、豊かな稲は、自然の秘密を語っている。

農業を嫌って他の職を求めても、天地は同じ天地である。
誰が天地の外へ逃れられるだろうか。
だから職を変えずとも、農業の天地は私たちを受け入れ、過去・現在・未来にわたって安んじさせてくれる。
この理を悟らないからこそ、職を嫌うのであり、結局は天を足元に求めないからである。
農業の歴史も、現在の景色も、常に道徳を語り、文学を悟らせる長い舌のようなものだ。
私たちに読ませる大いなる文章である。
これを聞き、これを読み、鍬と鋤から修養を得なければならない。
では、過去の歴史と現在の事物は、いったい何を語っているのだろうか。
どのような文字を書き記しているのだろうか。

◆第二章 農業のない時代は道徳のない時代◆

第一節 未開時代と農業

人類が自然の恵みに頼って暮らしていた未開の時代には、耕作という発想も必要もなく、農業はまだ存在しなかった。しかし人口の増加とともに自然の供給だけでは生活を支えきれなくなり、人々は植物を育て、家畜を飼うという行為へと自然に導かれていった。
こうして生活の欲望に押される形で農業の萌芽が生まれ、やがて自給自足の初歩的な耕作が始まったのである。

人類がこの世に初めて現れた頃、果たして「農業」と呼べるものがあっただろうか。

今日私たちが言う農業は、当然まだ存在しなかった。

たとえ原始人であっても、生き物としての生理作用を持つ以上、食べずに生きることはできない。

では、彼らはどうやって生活していたのか。

彼らは自然にある動植物を採って食べていた。

野生の木の実を拾い、草の実を取り、山野の鳥獣や川の魚介を捕って食べていたのである。

彼らの欲望は非常に単純で、自然にあるものをそのまま食べて満足するという、実に素朴な生活だった。

しかし、食物の要求が満たされると、次には住居や衣類の欲望が自然に生まれた。

とはいえ、これもまた単純で、木陰や洞穴に住み、木の葉や樹皮、草の繊維で身を覆っていた。

これは今日の台湾の原住民やアフリカ内陸の部族を見れば想像できる。

衣食住がなければ人は生きられないが、原始時代の要求は非常に単純だった。

知識も趣味も幼稚で、ただ目の前の自然に頼って必要を満たし、その日その日を過ごしていた。

だから土地を耕し、物を作って衣食住の原料を得るという発想は生まれなかったし、その必要もなかった。

単純な欲望は、自然の恵みだけで満たされていたからである。

したがって、この時代には「農業」と呼べるものは存在しなかった。

しかし、衣食の要求は絶え間ない。

自然に頼る彼らは、どうしても近くで食物を探さねばならず、採れる地域も種類も限られていた。

今日のように、家にいながら北海の鮭や明石の鯛、台湾のバナナを味わうなどということは、夢にも思えなかった。

つまり「有無相通ずる」ことがなかった。

限られた地域と種類の食物は、採れば採るほど減っていく。

そのため、住む場所を変え、より食物を得やすい新しい土地へ移動することもあった。

いわゆる「水と草を追って移る時代」である。

しかし人口が増えるにつれ、自然の恵みだけでは需要を満たせなくなった。

そこで自然の要求が、人間に「食物の原料を作れ」と促すようになった。

自然の植物が実を結び、その実からまた新しい芽が出るのを見て、彼らは初めてその実を採って播くようになった。

とはいえ、その種類はごく限られ、耕作といってもほとんど耕作と呼べるほどのものではなかっただろう。

石器時代に入っても、石の棒で草木の根を掘り、土を砕いてならす程度の、きわめて粗末な耕作であった。

石棒が唯一の農具であり、他に農具があるはずもなく、完全な耕作が行われる段階ではなかった。

それでも、こうして自然の要求を満たすために、人為的に植物を育て始めたのである。

家畜もまた、時代が進むにつれて飼われるようになった。

最初は犬であったという。

犬は利口で人になつきやすいため飼われるようになり、次いで牛・羊・馬なども飼育されるようになった。

このように植物を作り、家畜を飼うようになって、彼らの趣味や知識は次第に増え、農業の芽生えが生まれた。

結局、生活の欲望が自然の供給だけでは満たされなくなり、自然の要求に押される形で農業の萌芽が現れたのである。

とはいえ、この時代の農業は、今日の農業とは比べものにならない。

彼らは自分たちの必要を満たすためだけに生産していた、いわゆる「自給自足の時代」であった。

しかし、農業の芽生えがここに生じたことは確かである。

第2節 未開時代と道徳

自然の恵みに頼って生きていた未開時代の人々には、今日いうような道徳的行為はまだ見られなかった。衣食が不安定で、生存のために争いが絶えず、心を抑制する余裕もなかったからである。しかし、耕作が始まり衣食が安定すると、人間本来の情や節度が現れ、勤労・勇気・貯蓄といった心が育ち、家族への孝行や愛情、信頼といった道徳の芽生えが生まれた。結局、農業の萌芽とともに道徳もまた芽生えたのである。

自然の恵みに頼って衣食していた原始時代に、道徳というものは存在していたのだろうか。

道徳の本質そのものは、たとえ原始時代であっても、人間である以上、必ず備わっていたはずである。
しかし、知識も判断力も未発達な彼らの間には、今日いうような「道徳的行為」をはっきり認めることはできない。

彼らは山野で果実を拾い、川で魚介を捕り、それを互いに奪い合った。
喜怒哀楽はその時々で爆発し、抑制することもない。
強い者は傲り、弱い者は従う――
今日の目で見れば、まさに獣のような行動であった。
したがって、いわゆる道徳というものは、彼らの間に認められるはずがない。

「花より団子」というように、生活の欲望のうち最初に満たされるべきは食物である。
食物が満たされなければ、生きられないだけでなく、心は乱れ、他人を害することにもなる。

古人も「衣食足って礼節を知る」と言ったように、衣食が満たされなければ道徳が完全に働くことは難しい。
まして未開時代の単純な欲望は、「自分さえ満たされればよい」というもので、食物を求めるのに必死な中で、どうして道徳的行為が生まれるだろうか。
農業が行われず、衣食の安定がなかった彼らに、道徳的行為がないのは当然である。

つまり、農業のない時代は、道徳のない時代でもあった。

しかし、不完全ながら耕作が行われ、自給自足の時代になると、農業の芽生えはそのまま道徳の芽生えをも生んだ。
犬が餌を奪い合うような生活でも、耕作によって食物が安定すれば、生活のためだけに心をすり減らすことが少なくなる。
そこに、老人をいたわり、子どもを助けるという、人間本来の自然な性質が現れ始める。
生まれたままの放縦な状態では、抑制もなく、勤勉も勇気も貯蓄も生まれない。
しかし、少しでも耕作を行うようになれば、勤労という意識が芽生える。

勤労の中で勇気も養われ、作物に収穫の時期があることを知れば、自然と貯蓄の観念も生まれる。
これらの心があらゆる場面に現れ、孝行となり、愛情となり、信頼となり、
初めて親に対し、子に対し、兄弟に対する道徳的行為が生まれるのである。

もちろん、原始人の道徳が完全に発揮されたとは言えない。
遺伝や習慣によって不完全な部分も多かっただろう。
しかし、道徳的行為が確かに存在するようになったのは事実である。

結局、農業の芽生えとともに道徳も芽生えたのである。
農業がなければ道徳は生まれず、農業が芽生えたからこそ道徳も芽生えたのだ。

◆第三章 道徳は農業の産物◆

第一節 農業は欲望を満たすための最初の要求

人間の欲望は社会の発達を促す原動力であり、農業も道徳もその欲望を満たすための自然の要求から生まれた。
自然の恵みだけでは生活を支えきれなくなると、人々は植物を育て、家畜を飼い、衣食住を確保するために農業を発達させた。
こうして農業が最初の社会的要求として現れたことにより、勤労や節度、貯蓄といった道徳の芽生えも育ち、社会の進歩が始まったのである。

人間には欲望がなくてはならない。

しかし、生まれたばかりの赤ん坊の欲望は非常に単純だ。お腹がすけば泣き、泣けば乳を飲み、飲んでお腹が満ちればそれで満足する。だが、赤ん坊は成長するにつれて欲望が増え、その欲望を満たすために知識も発達していく。

知識が欲望の結果として発達することは、赤ん坊の様子を見れば明らかである。

社会も同じで、未開時代には単純な欲望に満足し、ただ食べて腹を満たせばよかった。

そのため農業も道徳もまだ発達していなかった。

しかし、自然の食物が限られていること、そして人口の増加によって、自然の要求が生まれ、農業や道徳の芽生えが現れ、社会の進歩が始まった。

社会が進むほどに複雑になり、自然の要求はますます大きくなって発達を促す。

欲望の増加は、そのまま社会の進歩を意味している。

「煩悩はそのまま悟りである」と言われる。

「渋柿の渋さがそのまま旨味になる」という言葉もある。

もし煩悩や欲望がなければ、何も進歩しない。

犬や猿でさえ、欲望を利用すればよく馴れ、芸を覚える。

彼らは欲望を満たすために馴れ、芸をするのである。

もし欲望がなければ、木や石と同じで、馴れもせず、芸もしないだろう。

黄金に興味のない猫が、それを踏んで通り過ぎるようなものだ。

欲望がなければ、発達は望めない。

欲望こそが進歩を促すのである。

農業が社会に現れたのも、すべて欲望を満たすための自然の要求からである。

農業の進歩もまた、この要求によって促され、今日の姿に至った。

ここに「煩悩即菩提」の意味が理解できる。

農業も道徳も、人生の欲望を満たす結果として発達してきた。

農業や道徳だけでなく、商業や工業、あらゆるものが同じである。

ただし、最初の欲望は単純で、次第に複雑になっていった。

農業や道徳が欲望を満たす自然の結果として進歩したのなら、単純な欲望が複雑になる過程で、まず何が求められたのか。

そこには必ず順序がある。

考えるに、人間が最初に求めたのは農業であったに違いない。

人間は生きるために衣食住をまず求める。

生存が危うい状態で、他のことを望む余裕はない。

農業は衣食住の原料を供給する。

だからこそ、最初に求められたのは農業である。

実際、農業のない時代には道徳もなかったことからも明らかである。

自然の要求によって、農業は道徳よりも、商業よりも、工業よりも、文学よりも先に発達した。

社会のさまざまな事業は、時に衰え、時に盛んになる。

しかし、自然の要求によって最初に現れた農業は、絶えず人間に必要とされ続けてきた。

最初の要求であっただけに、その重要性は大きい。

だからこそ、農業に従事する人が最も多いのである。

すべての事実は自然の要求によって生まれ、進む。

欲望を満たす自然の要求は、人生を支配する大きな力である。

農業がその第一の要求によって生まれ、今もなおその要求を受け続けている以上、農業は人生のあらゆるものに深く関わっている。

ゆえに、道徳もまた農業の支配を免れないのである。

第二節 農業と分業

社会の発達を支えてきた分業の原理は、人間の欲望を満たすために生まれた自然な社会構造であり、道徳の源泉もまたこの分業の中に見いだされる。
徳川家康が天海僧正から七福神の寓意を学んだ逸話は、分業が経済と道徳を結びつけ、国家の安定をもたらす力を持つことを象徴的に示している。
七福神に託された七つの職能と七つの福徳は、社会の各分野がそれぞれの役割を果たすことで調和が生まれるという思想を表し、家康はこれを国家統治の基礎として徳川三百年の安定を築いたのである。

分業が社会のあらゆる事業を発達させたことは、すでに明らかである。

しかしそれは、単に社会が発達した結果として、人間の欲望を満たす要求が生み出した産物にすぎない。

結局、社会というものの意味も、この事実から理解できる。

人生の理想もまた、この道筋によって読み取ることができる。

道徳の源泉も、実はここにあることを知らなければならない。

ここに徳川家康と天海僧正 の逸話を紹介する( 分業の徳についての事例)

昔、徳川家康はすでに天下を統一し、人臣としての最高位に達していた。

この栄光を永く子孫に伝えたいと思ったとき、家康は最も信頼する天海僧正に「どうすればよいか」と尋ねた。

天海僧正は『仁王護国経』を示し、こう答えた。

「あなたは人臣の位の極みに達した。

この栄光を永く保つには、“天の爵位”を得る努力をしなければならない。

その第一位に上るには、この経を信じ、七つの福徳を守らねばならない。

もし七福を守れば、七つの災いは消え、安楽が生まれ、国を守ることができる。」

七福とは、

寿命・富・人望・清廉・愛敬・威光・度量

である。

天海は、以前から考えていた「七福神」の絵を描いて家康に示した。

家康はその寓意の深さに感銘を受け、狩野松栄に改めて描かせ、自ら深く信じるとともに、世間に広く広めた。

これが七福神の起源である。

家康が深く感じたのは、分業の徳であった。

≪ 七福神に込められた“分業”の寓意≫

七福神の絵は、もともと道徳的な意味を持って作られたが、

絵に表された寓意は「分業」である。

• 大黒天 … 農業(俵を踏み、打ち出の小槌を持つ)

• 恵比寿 … 漁業・商業(釣竿・鯛・算盤・大福帳)

• 寿老人 … 文学(巻物と牡鹿)

• 弁財天 … 音楽(琵琶)

• 布袋 … 宗教(軍配と袋)

• 福禄寿 … 政治(巻物と白鳥)

• 毘沙門天 … 軍備・工業(宝塔と鉾)

七福神の絵を見ると、これらの寓意がよく分かるだろう。

七福神は、一面では分業の徳を示し、

他面では寿命・富・人望・清廉・愛敬・威光・度量という七つの福徳を教え、

経済と道徳を一致させ、天の爵位を得る道を示した

のである。

これは天海僧正の卓越した洞察であった。

家康もこれによって、天下泰平・国土安穏の基礎を悟り、

分業の法を整え、人々をそれぞれの職分に安んじさせることこそ、

天の第一位の爵位を得る道であると信じ、

ここに徳川三百年の基礎を築くことができたのである。

第三節 社会の調和と道徳の淵源

分業は専門化を進める一方で、個々の領域を狭め、単独では成り立たない不完全さを生み出す。
しかし、人間の生活構造そのものが相互依存を前提としているため、この不完全さは社会全体の調和によって補われ、むしろ利害の共通を深める要因となる。
社会が発達するほど人と人、物と物の連関は強まり、互いに補い合う関係が道徳の源泉となる。
衣食住を支える農業はこの調和の基盤をつくり、道徳を可能にする存在として社会全体の円満に深く関わっている。

分業が行われるようになると、分業そのものはすぐにその範囲が狭くなった。
衣食住の要求をすべて自分で満たしていた時代から、農業は農家の専門となり、肥料や農具の供給は工業者の手に委ねられ、生産した物品は商人によって分配されるようになり、その領域は狭くなった。
分業が進んで細かくなればなるほど、その領域は狭くなる。

このように狭くなった分業は、他の助けなしには独立できない。
他の補助がなければ独立できないということは、分業は不完全な存在であるということになる。
医業を見ても、分業はますます細かく分かれ、外科・内科・婦人科・小児科・眼科など、多くの専門に分かれた。

こうして分業の領域はますます狭くなった。
そのため、たとえ眼科の大家であっても、内科や外科や婦人科に対しては、素人同然である。
これは、一部だけが発達した偏った不完全さと言わざるを得ない。
すべてがこのようになるのは、分業の結果である。

では、このように不完全な発達を遂げて、果たして人生の幸福を期待できるのだろうか。
分業はどのような点において、社会進歩の結果として価値を持つのだろうか。
人生の構造は、もともと個人が単独で存在することを許さない。
私たちが生きるには、動植物の犠牲なしには成り立たず、土地・温度・空気などがなければ生存できない。
たとえ農業や工業が進歩して衣食住の原料を供給できるようになっても、これらがなければ人間の存在は認められない。

単独の個人性が存在し得ないことは、これによって明らかである。
子孫を残すにも、男女の和合が必要である。
人生の構造はこのように、無限の存在と連続によって成り立っている。
単独の個人性は、人生の本質に反する。
したがって、分業が行われ、その結果として偏った不完全さが生じても、人生の構造によって発達してきた社会全体から見れば、決して不完全ではない。

社会そのものの調和によって互いに補い合うところがあるため、円満にすることができる。
偏った不完全さというのは、ただ分業そのものの個性から見て言っているにすぎない。
しかし個性は人生の構造によって絶対に単独では許されないのだから、たとえ不完全であっても憂える必要はない。
むしろこの側面において、人生の意義が現れ、社会に向かって大きな要求を発している。
つまり、人と人、物と物が互いに有無を通じ合い、円満になれと叫んでいるのである。
分業は不完全でありながら、不完全ではないのである。

人間の身体においても、頭だけが発達して大きくなり、福助のように自分の頭を自分で支えられず、歩くにも座るにも他人に頭を支えてもらわなければならないような不具者ではない。
社会という大きな存在の調和が、分業を不完全なままにしないようにしている。
結局、人生の自然な構造が分業を円満にしているのである。

人生は分業を必要とし、それによって円満の実を大きくしている。
これは人生がその目的に向かって進んでいるのであり、少しも人生の幸福を損なうものではない。
このように、個性から見れば偏った不完全さも、社会の調和によって円満にされる。
これは利害が共通であるという事実を示している。
したがって、分業が行われ、各自がその業を全うするには、他の助けが必要である。
自分もまた他を助けなければならない。

分業が進み、社会が発達すれば、ますます利害の共通が実現され、人と人、物と物の間には、この関係を断つことができない。
これは社会そのものの自然原則の支配である。
この関係は社会が進歩すればするほど深くなる。
町村や国家も、政治上の関係において利害が共通し、各人の間に大きな連鎖が生じ、進歩すればするほどその度合いは強くなる。
そのため自治体は一つの法人として認められるようになった。
これは利害の共通が発達し、一つの有機体と認められるようになったからである。
人生の自然法則によって進歩した結果であり、少しも不思議ではない。
町村から国家へと発達し、社会そのものも今やこのようになりつつある。
この事実は、単独の個人性ではなく、共通性の存在を証明している。
したがって、人生の目的を果たすには、人と人、物と物の間に互いに補い合うところがあって、初めて人生の理想が実現されると言わねばならない。

経済だけでなく、すべてのことがこの支配のもとに行われなければならない。
いや、すでに行われつつある。
人と人の間で、忠・孝・友・悌といわれるものも、仁義礼智信といわれるものも、すべてこの理想の実現にすぎない。
道徳上の諸問題は、自他の利害を一つにし、互いに足りないところを補い、円満な幸福を得ようとするところに帰着する。
君に対し、親に対し、子に対し、友人に対して忠・孝・友・悌といわれるのも、要するに人と人との間で互いに補い合い、調和を保つということにほかならない。
したがって、道徳の源泉もまた社会の調和にある。

社会の調和は人生の理想に基づく。
明治二十三年十月三十日の教育勅語にも、
「億兆心を一にして世々その美をなせるは、これわが国体の精華にして、教育の源もまたここに存す」
とあるように、これは明らかである。

もし私たちが思うままに、食べたいように食べ、着たいように着て、したいように行動すれば、その結果はどうなるか。
自分を害するだけでなく、他人をも害し、人生の幸福を破壊することになる。
そこには忠も孝もなく、道徳の存在はまったく認められない。
だから人と人の間には、互いに譲り合い、助け合って、自他の幸福を全うしなければならない。

人生の構造がすでに利害の共通を生み、単独の個人性を許さない以上、互いに譲り合い助け合うことなくして、人生の理想は実現できない。
自我実現の説において「善は共通である」と答えるのは、人生そのものの理想を述べているにすぎない。
社会発達の歴史を見れば、自然の要求が分業を生み、利害の共通を深め、社会を円満にしてきたことは、あらゆる事実に現れている。

道徳行為が行われる理由も、その源泉がここにあると言わざるを得ない。
そして農業は、人生に必要な衣食住の原料を供給し、人生の要求を満たし、生活を円満にしている。
つまり、社会調和の目的に向かってその理想を実現している。

衣食が満たされなければ道徳は行われない。
農業は道徳を可能にする。
したがって、農業は道徳を生み出すものであると言って差し支えない。

参考文献

[1] 『農業道徳』丁未出版社発行、明治14年11月5日発行。

【付記】
本研究は、科研費の助成金によって作成されました(JSPS科研費 22K00357)。
This work was supported by JSPS KAKENHI Grant Number 22K00357.

  • URLをコピーしました!
目次