「島津家と盲人保護」は、長らく余土公民館の資料庫に眠っていた未発表原稿をもとに、近年になって初めて翻刻・公開された貴重な文章である。
森恒太朗(盲天外)は、自身の失明を契機に盲人の歴史に関心を深め、鹿児島に盲人が多い理由を探った。現地調査の結果、そこには島津家が古くから盲僧を保護し、教育と生活の基盤を与えてきた独自の制度が存在したことが明らかになる。盲僧は琵琶を奏で経を語り、地域の教化や道徳教育に大きな役割を果たした。
島津家の保護は単なる慈善ではなく、盲人を社会の一員として育て、宗教音楽を通じて地域文化を支えた点で、世界的にも稀有な制度である。本稿はその歴史的意義を伝える重要な記録である。
今回の意訳は、原文の語り口や思想的背景を尊重しつつ、現代の読者にも理解しやすい形で再構成したものである。盲天外の思想に触れ、その深奥を汲み取る一助となりましたならば、編者としてこれに勝る喜びはございません。
意訳:井上雅史 (一粒米の会 会員)
◆島津家と盲人保護◆
私は失明して以来、特に「盲人」という存在に強い関心を持つようになった。
それは自分自身の境遇から自然に生まれた思いである。
統計を見てみると、全国の中で鹿児島県と香川県に盲人が特に多い。
人口一万人あたり、鹿児島は二十三人、香川は二十一人という割合である。
なぜこの二県に盲人が多いのか――風土のせいか、衛生状態のせいか、あるいは医療の普及が遅れているためなのか――私は深く疑問に思った。
まず香川県を調べてみると、明確な理由があった。琴平(こんぴら)という観光地があり、多くの旅人が訪れるため、按摩業を営む盲人が集まってくる。
つまり、香川が特別に盲人を多く「生み出している」わけではなく、仕事を求めて盲人が集まる土地だったのだ。
では鹿児島はどうか。原因が分からなかった。
私はいつか調べようと思っていたが、三年前に九州を旅する機会があり、鹿児島で直接調査を行った。
すると、香川とは違うが、やはり特別な事情があることが分かった。
それは「島津家による盲人保護」の制度が古くから整っていたためである。この事実を知ったとき、私は長年の疑問が解けただけでなく、島津家の人道的な保護に深く感動し、涙を禁じ得なかった。盲人が多いのは、保護のもとに集まっているからであり、決して不幸の象徴ではない。
この制度は人道の模範として広く知られるべきものであり、世界にも類を見ない立派な仕組みだと思う。
私は以前から「盲僧」という存在があることを聞いていた。
単に盲人が僧侶になったものと思っていたが、実際には組織だった宗派があり、薩摩派と筑前派の二つがある。
どちらも天台宗に属し、筑前派の方が歴史は古い。
伝教大師(最澄)が筑前の山中で盲人に教えを授けたのが始まりだと伝えられている。
鹿児島に行った私は、まず薩摩派の盲僧について調べた。
鹿児島市滑川の「浄楽院」という寺が薩摩派の本山であり、日薩隅(薩摩・日向・大隅)の盲僧を統括している。
当時の住職は伊集院という七十歳を超えた盲僧であった。
私はこの寺で、後継者となる是枝次郎という三十歳ほどの僧に出会った。彼はもともと薩摩藩士の家に生まれ、中学・高等学校を経て学問に励んでいたが、病で失明した。絶望の中でこの寺に入り、島津家の保護のもとで恩に報いようと決意した人物である。
私は彼に深い同情を覚えると同時に、教育を受けた人として盲僧の歴史や制度を聞くことができたのは幸運だった。
薩摩派盲僧の起源は、今から約三百七十年前、島津貴久公の時代に設立されたと伝えられている。
以来、島津家の保護を受け、盲僧の組織は途絶えることなく続いている。
盲僧は宗教家であり、琵琶を弾きながら経を唱え、人々に教化の感化を与える。仏教では「音声仏」といって、美しい音そのものを仏の姿とみなす。
盲僧は経典の一節を和訳し、通俗的で文学的な語りを行い、音楽と調和して人々の心を動かした。彼らは各地に配置され、担当区域を持ち、庵を構えて地鎮祭などを行い、檀家からの米や金で生活していた。
こうして数百人の盲僧が地方に根付き、宗教と音楽によって人々の心を導いていたのである。
島津家の保護は、盲人の自立を助けるだけでなく、社会の道徳教育にも貢献した。
盲僧は琵琶を弾き、経を読み、時には武士道を説いた。
昔は立派な盲僧が多く、音楽と語りによって人々に深い感化を与えたという。
島津家は盲僧に資金を与え、教育を施し、琵琶を盲僧以外が弾くことを禁じた時代もあった。
このような徹底した保護によって盲僧の文化が栄えたのである。
筑前派も同様の組織を持つが、薩摩派とは大きな違いがある。
薩摩派では本山の住職が代々盲人であったのに対し、筑前派では目の見える僧が住職を務めていた。そのため教育や同情のあり方が異なり、薩摩派は品格を保ったが、筑前派は堕落してしまったという。
島津家の保護がいかに盲僧の人格形成に寄与したかが分かる。
薩摩派の盲僧は「薩摩琵琶」、筑前派は「筑前琵琶」として知られる。薩摩琵琶が高尚であるのは、盲僧の品格を反映しているからだ。
さらに島津家は盲僧を巧みに活用した。
藩内の各地に盲僧を配置し、地域の情勢を探る役割も担わせたという。
盲人は人々の警戒を受けにくく、宗教者として自然に地域に溶け込むため、情報収集に適していた。
島津家の先見の明には驚かされる。
このように島津家は盲人を保護し、自立の道を開くだけでなく、社会の教化にも積極的に活用した。
これは歴史に残すべき偉業であり、日本の盲人、いや人道全体のために深く感謝すべきことである。
フランスのルイ九世が盲人を保護したことは有名だが、それは生活支援にとどまる。
島津家の保護はそれを超え、盲人を社会の一員として教育し、風教に貢献させた点で世界に誇るべきものだ。
私は島津家の厚い保護に感謝するとともに、この制度が廃れないよう努力し、
盲僧を現代にふさわしい宗教音楽家として教育すべきだと思う。
盲人が社会の道徳に関わることは、必ず大きな感化をもたらす。
それこそが島津家代々の恩に報いる道である。
参考文献
[1] 新出資料・森盲天外の「盲人の読書難」について」(『新居浜工業高等専門学校紀要』58巻、新居浜工業高等専門、2022年1月)


