『一粒米』は、失明の境涯に在る著者・森盲天外翁が口述されたものを筆録し、成稿された作品です。 自序に曰く、「書中の一字一字は、ほとんど苦心と困難の結晶にして、滴々の涙痕を残すものなり」とあり、また「前後の文章を繰り返して見ること能わざる悲しみの痕を留む」とも記されております。
本来、斯の如き作品は、原文のまま拝読し、その筆致に滲む痕跡を直に汲み取ることこそ、最も望ましき鑑賞の在り方です。 しかしながら、明治期の文語体は、現代の読者にとって理解の困難を伴う箇所も少なくありません。
本訳におきましては、原文の風韻を損なうことないよう細心の注意を払い、可能な限り削除を避けつつ訳出いたしました。 ただし、語彙の変遷や、仏教・儒教に基づく思想的背景の理解を要する部分につきましては、意訳をもって補いを試みております。
本資料が、盲天外の思想に触れ、その深奥を汲み取る一助となりましたならば、編者としてこれに勝る喜びはございません。
※本稿においては、原文の思想的・文学的価値を損なうことなく、そのままの言葉遣いを尊重しつつ意訳を試みております。なお、本文中には現代の価値観に照らして不適切と受け取られかねない表現が含まれておりますが、これらは当時の社会的・文化的背景に根ざしたものであり、差別や偏見を助長する意図によるものでは決してございません。本稿の目的は、歴史的文脈における思想の真意を汲み取り、時代を超えてその精神的・哲学的意義を伝えることにあります。
意訳:井上雅史 (一粒米の会 会員)
◆第2章 人世の失望◆
第1節 社会的な失望
視力を失った筆者が、社会の中で人として生きることの困難と、理想と現実の激しい乖離に苦しむ姿を、深い痛みとともに綴っている。
筆者は、かつて一眼の明るさを得て世間の事物を見たいと切望していたが、河本博士の宣告によってその希望が絶たれ、暗闇の中で生きる日々が始まります。友人たちの成功を耳にするたびに、自分も目さえ見えていれば、知識がなくとも肉体労働で社会に貢献できたはずだという悔しさが込み上げます。しかし現実には、視力の喪失は手足の自由すら奪い、教育も筆も書物も無力となり、母の恩によって得た知識も活かせず、ただ口だけが残された状態に陥ります。
さらに、盲目であるがゆえに秘密を持つことができず、手紙のやり取りすら他人の手を借りなければならないという不自由さが、筆者の尊厳を深く傷つけます。電報一つ読むにも、近所を頼り歩き、子どもや車夫の助けを借りてようやく事を成すという現実は、筆者にとって屈辱と痛恨の連続であり、社会的な自立の困難さを突きつけます。
それでも理想を捨てきれず、事業を試みるも、他人に頼らざるを得ない状況が災いし、騙され、金を失い、財政的にも窮地に陥ります。筆者は、自らの盲目という境遇を忘れて晴眼者のように振る舞ったことを愚かだったと悔い、社会の中で人並みに生きることができない現実に深く失望します。
そして最後に、世間の人々が日々の労働に愚痴をこぼすのを耳にしながら、筆者は「働けることの苦しみ」よりも「働けないことの苦しみ」の方が遥かに重いと語ります。理想があっても、それを実現する手段を持たないことの苦悩は、天性を抑え込む最大の苦しみであり、人として生まれながら人としての甲斐を失うことの悲しみは、筆者の魂を深く揺さぶるのです。
この章は、視力を失った人間が社会の中でどれほど孤立し、どれほど深い失望に沈むかを、筆者自身の体験を通して赤裸々に描いた、痛切な告白であり、同時に人間の尊厳と理想への渇望を強く訴える記録でもあります。
一眼の明るさを得て、世間の事物を見たいと憧れる気持ちが切実だったので、心の中は一瞬も病気ということを離れず、例えようもありませんでしたが、病気の苦しみは河本博士の宣告を聴くと同時に、忘れたように心から去ったのです。しかし、いよいよ盲目となって、昼夜の区別なくただ暗黒の中に起き伏しするようになっては、人生の事物に接触するたびに、また悲しみの気持ちを生じ、失望が次々とやってきて、これを抑えることができませんでした。
今まで一緒に事を行っていた友人の成功談を聞いては、私の目が見えているなら、彼らに後れを取ることなどないのに、仮に彼らと同じ成功は得られないとしても、歩むべき道は必ず歩んでいきます。あるいは知識において対抗ができなければ、私は肉体労働を持ってでも、矢を握り、鋤を取り、車を引いてでも、人としての働きにおいては、決して人後に落ちる考えはありません。しかし、今さらどうすることもできません。私の両眼の失明は、単に両眼だけでなく、歩行も自由にできず、物を掴むのにも自由にできないのです。健全な足は壁と選ぶところなく、強健な手はかつて手のない人と異ならないものとなりました。いったい両眼を失ったのは、なお両手と両足とを、合わせて失ったと同一の不幸です。もしも両手がなく、そして盲目であるとすれば、どうしてそれで、活動の舞台での競争に駆け回ることができるでしょうか。
私は幼くして、父を亡くし、孤児となって母に養われ、母の海や山のような恩によって、数千の文字を習い得ました。しかしながら、今日の境遇となっては、万巻の書に接しても、これを開いて一字を読むことができません。また筆や硯を持っても、一文を書くことができません。慈愛深い我が母の丹精によって与えられた教育も、今や全く水泡に帰して、これを応用する方法もないこととなりました。このような状況で私は、どうして失望せずにいられるでしょうか。私が盲目でないものは、ただ口のみです。これでさえ日一日と衰えようとするのは、どうしても避けられない状況でしょう。
世間には秘密というものがあり、それを人に知られることを嫌がります。
私は盲目であるが故に、記帳も帳簿の検査も、すべて他人に依らなければなりません。手紙の秘密も全く保つことができません。手紙を読むには他人の眼を借らなければなりません。手紙を書くのにも、また他人の手を借らなければなりません。だからたとえ秘密のことがあっても、これを秘密にすることができないので、私の心中とても穏やかでないことがあります。これによって私は思いました、私の立場では、世間一般において、秘密として扱われるものの存在である秘密を持つことができません。だから将来どのような場所においてするにしても、またどのような人に対するにしても、心に恥じない公然のことばかりを選んでするより他にないのです。私の立場では秘密はない、秘密はかえって私の心を苦しませるのみです、今後きっぱりと開放主義を取らねばならないと、覚悟したことです。結局、不自由の苦しみが、このような覚悟をさせたのです。この覚悟は、あるいは一種の安心を与えて、かえって美しいものとなったかも知れませんが、その半面には、確かに失望と苦痛を意味していたのです。それはともかく、手紙で急を要するものがあっても、家には老いた母と子供ばかりであって、どうすることもできず、その手紙は何日となく机の上に束ねられて、誰かが来るのを待っていることがあります。たまたま訪ねて来る人があると、その人に頼んでやっと開封するのですから、すぐに返信すべきタイミングを逃してしまうことがあります。また遠方の友人が、何日私を訪問するとの通知があっても、私はこれを知ることができず、通知書がまだ開封されないうちに、かえって友人が先に着くようなこともあります。このように不自由なことばかりが多いのであれば、その事に接触するたびに、私は断腸の思いをしました。
ある日のことでした。友人より一通の電報が来ました。私はその電報が急用であることを知っているから、一刻も早く見たいと焦りました。
しかし、たまたま家に誰もいませんでした。やむを得ず不自由な身を起こし、家を空にして近所に行ったのですが、あいにく主人は外出して、家にはただ六十歳以上の老人があっただけです。この老人は平仮名は読むことができますが、片仮名は全く知りません。だから電文を読むことができなくてがっかりしました。
そこで、別の家を訪ねて頼んでみましたが、この家の主人はある学校に出勤して、まだ帰りません。わずかに八歳という小学校生の協力を得て、私と二人で、私の手のひらにその文字を書かせて、電文をやっと読むことができました。しかし返信がまた急ぐのでした。八歳という小児ですから、この返信を書くことができません。どうすれば用事をうまく処理できるだろうか、我が身の不自由は、実に残念です。
仮名で足りるべき電文さえ、書くことができないか、ああ何という情けないことでしょうと嘆きましたが、嘆いて済む場合でないので、たちまち一策を案じ出して、私は街頭に行って立ちました。車夫なりとも来るでしょう。来たならばこれに頼もうという考えで。しばらくして車輪の音を聞きました。私は車夫を呼び止めてこうと用件を語りました。しかし車夫は全く文字が読めませんでした。また別に来る車夫を呼び止めれば、読むことができても書くことができないと断られてしまいました。私はがっかりしました。よってこの車夫に命じて、文字を書くことのできる車夫を探してもらいました。やっとのことで一車夫の協力を得て電信局に行って、返信を発信してもらうよう頼みました。このように一つの事が起こるたびに、私の悲嘆と痛恨とを呼び起こすこと、日々にして、ほとんど絶えるべき日がない有様です。些細なことにおいてさえ、またこのようになるものを、どうして活動の世界に立って、活躍することができるでしょうか。しかし、私の理想の眼はまだ失せませんでした。この理由から時々妄想が起こって、たとえ人並みでなくとも、一つの事業を企てようと思い立ちましたが、万事を人の手に任せなければならないので、番頭や丁稚の監督が行き届かず、それがために僅かに二三ヶ月で、三四千円を雲や霧に消してしまったこともありました。なおその上に一度ならず二度ならず、人のために騙され、偽証され、銀行へ遣った使いには、そのまま金を持ち逃げされたことがあって、そのために私は財政上、非常な窮困に陥ったのです。ああ、私は間違えました。私は盲目の身です。それを忘れて、晴眼者のように活動しようとしたのは、実に愚かでした。ただ理想に走って、自己の境遇を忘れたために、こう自ら愚かになって人にばかにされたのです。私はいよいよ世間に立って、世の人のようになることができません。すでに世の人のようになることができないとすれば、私の社会的な失望はどれほどでしょうか、実に悔しくも、また残念です。
世の人でしばしば、日々の働きについて愚痴を言う者がいます。勤めていて苦しいとか、働いて疲れるとか、私がよく耳にすることです。この愚痴を聞くたびに、私は思うのです。働いての労、勤めての苦は、なお少ない労苦ではないでしょうか。私のような目こそ盲目であれ、幸いに肉体がある、生命がある、理想は常に生命から発して、肉体に表れようとするのですが、その理想を実現することができなくて、仕方なく行動も意志も沈黙しているような深淵に押し潰してしまう苦悩を実感しています。
この苦悩は、あの働き勤める労苦に、何倍もする労苦ではないでしょうか。用いられるべき肉体を、用いることができず、理想は湧き起こるけれども、これを犠牲として、現在将来共に、何もしないことを余儀なくされねばならないとは、これはすなわち消極の労苦です。人は進歩的な性質を持っています。しかるにこの性質を犠牲とし、天の理に反して手を空しくするのは、苦しみ中の苦しみ、労苦中の労苦ではありませんか。人が働きかつ勤めるのは、人の性に合して、そして天真を発揮するのです。何の労苦があるでしょうか。それをなお労苦であると言う。私のように、人の性情に反し、天真を抑制して、手を空しくするとは、所詮同日の談ではありません。
ああ悲しいことよ、人と生まれて人である理想を持ちながら、常に空しく犠牲として、実現する望みとてもないとは、どこに人が人である甲斐があるでしょう。
第2節 家庭での失望
筆者が視力を失ったことによって家庭の幸福が根底から崩れ去り、愛情・希望・安らぎのすべてが暗黒に包まれてしまった悲劇を、深い情感と痛切な言葉で綴っています。
筆者は、家庭の和こそ人生最大の幸福であり、社会的成功の源であると説きます。しかし、両眼の失明はその幸福を激しく揺るがし、家庭はもはや慰めの場ではなく、苦悩と失望の巣となってしまいます。子どもたちの笑顔や成長を目にすることができず、親としての喜びも奪われ、日々の触れ合いがかえって悲しみを深めるものとなります。
ある日、子どもが習字の成績を誇らしげに見せる場面では、筆者はその喜びを共有できないことに胸を締めつけられ、子ども自身も失望するという、父子の愛情の断絶が描かれます。これは筆者だけでなく、子どもたちにも深い傷を残すものであり、家庭の中での希望が次第に失われていく様子が痛切に語られます。
さらに、筆者は配偶者との関係にも苦しみます。先妻との別れ、後妻との離別は、いずれも筆者の病が引き金となっており、後妻の献身的な看病と祈りにもかかわらず、事情により別れを選ばざるを得なかったことが、筆者にとって断腸の思いとなります。彼女の涙ながらの訴えに対し、筆者は「別れることこそが私を生かす道」と説き、愛情と義理の間で苦渋の決断を下します。
この章は、家庭という最も身近であるべき幸福の場が、病によっていかに脆く崩れ去るかを描きながら、人間の尊厳と愛情の限界、そして孤独の深さを浮き彫りにしています。筆者の失明は、単なる身体的障害ではなく、家庭の光明を奪い、人生の根幹を揺るがす出来事であったことが、静かに、しかし力強く語られています。
家庭の幸福は、私たち人生における最大の幸福です。幸福中の幸福です。
朝に夕に、常に接触する家庭の和は、どんなに人生の美でしょうか。仁愛も、義勇も、才知も、皆この家庭の和より、発射する光明です。それゆえに家庭の和は、世間的な成功を導く出発点です。何事も近いところから遠いところに及ぶのは、物事の秩序ではないでしょうか。近い家庭に和がなければ、遠い世間の平和を願っても、これを得ることができるでしょうか。近い家庭にこれを得なければ、どうして世間に、その平和を求めることができるでしょう。たとえ四畳半の小さな家庭でも、その和は決して四畳半に止まるのではありません。世間に出て動き働き、力を尽くし、公私に勤めて、こつこつとその功を期するとも、家に帰って穏やかな妻子の楽しみ、おだやかな家族の和がなかったならば、どんなに勇ましい大丈夫の心も、気が腐り、力が抜けて、外に張るべき余力を残すものではありません。貴ぶべきものは、実に家庭の平和です。幸福です。家庭の幸福は人生の最大幸福であって、また私たち成功の母であることを、思わなければなりません。私が両眼の明るさを失ったということは、我が家庭における一大怒涛でした。一大疾風でした。これがために、ほとんど我が家庭の幸福は渦巻き去られ、吹き荒らされて、根底より破壊されたのです。かつて病床にあった時、もし不幸にして失明したなら、どうなるだろう、こうなるだろうと想像に想像を重ねて、非常に煩悶したことが、今はすべて事実となってきて、非常な苦悩を与えるのです。我が家庭は全く暗黒となって、私を苦しめる悪魔で満たされています。その苦痛は、ほとんど私が想像したよりも、より以上の広さと深さを持って、私に肉迫してきました。ああ、人生の最大幸福である家庭の和は、少しも私に許されないのでしょうか。この境遇に立たなければ、とても想像力の及ばないまでの苦痛です。
親子の愛のようなものは、世間の人の家庭において、最も幸福とするところでしょう。愛らしい子供の笑顔、無邪気なそのじゃれつきは、朝夕これを見て、親の心を慰めることが少なくありません。どんなに不平に堪えられないことがあっても、一度我が子の愛らしい笑顔に接しては、その不平は朝日に向かう霧のように消え去って、心は春の海のように平らかになるのです。しかるに私は、我が子の愛らしい顔を見ることもできないのみでなく、これを抱き、これを撫でるのも、かえって悲しみの種となるのです。私の生命を受け継いで、後継者と頼む一子も、その二歳という時に、見ただけ、今はどのように大きくなっているのか、どのような勇ましい顔をしているのか、少しも知ることができないのです。
およそ親として心身の労を厭わず働くのは、半分は我が子のために働くので、働けば働くだけ、それだけ愛を増してきます。子供に美しい着物を着せたい、美しい帯をさせたいと思うたびに、働いて倹約して、一心にその願いを満たそうとします。その時間は決して親の労苦ではありません、確かに幸福の時間です。そして反物を探り、柄を選んで、またこれを裁ち、これを縫う、その時間も確かに幸福の時間です。これを着せてその手を取り、上野、浅草、あるいは山に川に連れて行く、その時間は確かに幸福の時間です。こうも長い時間が、親の幸福となっているのですが、私はどうでしょう。世間の親のように、こうした長い時間の幸福を得ることができません。せっかく新しくできた衣服だと言っても、はたしてどのようなものであるのかは知ることができません。またこれを連れて遊山に同行することは、絶対に不可能です。このたびごとに、以前眼があった時に比較して、その幸福の少ないことを嘆くのですから、家庭は常に陰鬱で不幸で、事ごとに失望せざるを得ないのです。
ある日、子供は学校より帰ってきて、非常に喜び勇んで「お父さん、今日僕が書いたお習字が優等だったよ。上の上だ。これ全部二重丸だ。見ておくれ」と、私の目の前に突き出しました。この時私は、子供の出来栄えを聞いて、非常に嬉しく感じ、思わず微笑を浮かべたのでしたが、その微笑はすぐに薄らいで奥から悲しさが込み上げてきました。私の前に突き出してきた子供の心を推し量ると、実に言いようのない苦しみを感じました。彼は常に、私の眼が見えないということを知らないのでもありませんが、この時お習字の上出来であったのを喜んで、一言お父さんの褒め言葉をもらいたいのが先に立って、彼はほとんど私が盲目であるということをも、忘れたのです。一見して褒めてやることができたならば、どんなに彼は満足するでしょうか。それを褒めるということは、確かに彼を奨励する一策となるのに、せっかく眼前に突き出してきたものを、その成績を見て褒めてやることさえ叶わないかと思うと、私の胸はぎゅっと塞がりました。子供もまた失望しました。ああ、家庭における唯一の快楽である父子の愛情が、このような寂しい有様であっては、その失望は決して私一人ではなく、愛する子供らをも併せて失望させねばならないのです。
不幸か、薄命か、さらに加えて、私は配偶の良いのを得ませんでした。数年以前、先妻は二子を置いて我が家を去りました。その後に娶った継室も、ある事情のために、離別しなければならないこととなりました。この後妻は私が眼病にかかる以前に来たので、病中懇切に私を看護し、誠実に私を慰めたのはこの妻でした。彼女は私の眼病を治そうとして、非常に心身を苦しめました。夜陰人が寝静まった後、こっそりと出ては寒い水を身に浴びたり、また炎熱を犯しては、神仏に祈ったりして、貞淑な妻の苦節を傾注した心の内は、察するに余りあるものがありました。しかし、ここに別離しなければならない事情が生じて、私は涙を流して宣言したのです。
彼女はぼろぼろと流れ下る涙の下から、切れ切れに言うのです。「身にどのような難儀があろうとも、心にどのような苦労があろうとも、私はお目の不自由なあなたを、いつまでも看護したい、慰めて差し上げたい。今あなたを捨てて離れるのは、私には堪えられません。また世間の義理合いとしても、私には忍ぶことができません。私に悪いことがあるならば、どうか叱ってください、改めます。私の心に至らないことがあるならば、教えてください、習います。ぜひとも許して置いてください。たとえお許しなくとも、私はおそばを離れません、動きません」と、いじらしい言葉を発して、固執したのでした。
私もその同情の厚いのには、胸が塞がって涙を禁じ得ませんでしたが、さりとて、彼女を留めておいては、かえって私の強い苦痛を助長して、日々夜々に、我が身を削り、私の呼吸を圧迫してくるべき、事情が複雑になってくるので、私が到底堪え得るところではありませんでした。だから私は彼女を諭して、あなたが義を唱えて、私と離れずと言うのは、私を殺すようなもので、義にして義ではないのです。もしあなたに一片の同情があるならば、私を生かしてくれ。あなたの別離は、すなわち私が生きるのです。これこそあなたが私に尽くす真正の義です。私を愛せよ、私を生かせよと、切々として言い聞かせたので、ついに彼女もやむことを得ず、承諾し去ったのでしたが、この際における哀れな別離の苦しみの断腸は、今にして思っても悲絶惨絶の極致です。結局皆、私の失明によって来るところの結果であると思えば、私の両眼の失明は、我が家庭の光明を滅び尽くして、暗黒の中に葬ったのでした。
第3節 最も耐え難い感情的な苦痛
筆者が経験した数々の失望の中でも、最も深く、最も耐え難い苦悩——それは老いた母への感情的負担と、母子の愛情がかえって苦痛となるという逆説的な悲劇を描いています。
筆者は、視力を失ったことで母に多大な負担をかけていることを痛感し、その献身的な世話に対して感謝と罪悪感が入り混じった複雑な感情を抱きます。母は老体にもかかわらず、孫の世話、家事、接客、そして筆者の身の回りの世話まで一手に引き受け、少しの怠りもなく尽くしてくれる。その姿は筆者にとって尊く、同時に耐え難いほどの悲しみを呼び起こします。
食事の場面では、母が一品一品を説明しながら筆者に箸を渡す様子が描かれ、筆者は「手があるのに使えない」ことへの悔しさと、母を労することへの悲しみから、食欲すら失ってしまいます。衣類の着脱、便所の案内、履物の用意——すべてにおいて母が介在しなければならない現実は、筆者にとって「親を女中のように扱ってしまう」ことへの深い自責の念を生み出します。
この苦痛から逃れるため、筆者は母と別居し、余土村での独居生活を選びます。盲目の身でありながら、炊事や掃除を手探りでこなし、冷えた飯と味噌で日々をしのぎ、衣類も最小限に抑えて母の負担を減らそうとします。その不自由さは筆者にとって苦しいものであるが、母の献身を目の当たりにする苦痛に比べれば、むしろ安らぎに近いものでした。
しかし、母は筆者の独居生活を知ってなお深く心配し、慈愛の念に駆られてしまいます。筆者もまた、母と共に暮らしたいという思いを抱きながら、それが自分にとって最大の苦痛であるという現実に苦しみます。母子の情は深いのに、共に暮らすことが苦しみとなる——この矛盾は、筆者にとって「縁の薄さ」として受け止められ、人生の希望すら見失うほどの絶望をもたらします。
この章は、親子の愛情が病によって歪み、互いの幸福を願いながらも苦しみを与え合ってしまうという、極限の感情的葛藤を描いています。筆者の叫びは、単なる身体的障害を超えて、人間関係の根源的な痛みと、愛するがゆえに離れざるを得ない悲しみを、深く、鋭く、そして美しく表現しています。
世間的な失望も、家庭的な失望も、私において強いて堪えようとすれば、なお堪え得られないことはありませんでしたが、ここにただ一つの堪えがたい最大苦痛がありました。たとえどのような勇気を奮っても、どのような忍耐を行っても、打ち勝ち得ない最大苦痛があったのです。外でもない、父の愛と母の慈しみとを一身に兼ね備えられる、ただ一人の老いた母に対する感情的苦痛のそれであったのです。
私の失明に関して、老いた母の失望されたことは一通りではなく、そのお心の中を察し申し上げれば、千万無量のご苦痛で、実にお気の毒でたまらないのです。その上に孫の世話をさせる、衣類の、下駄の、喧嘩の、泣くのと、お世話の焼けることが、後から後から押し寄せてくる、客が来れば、これが応対をなさる。用事があれば外出もなさる、老いた母のお身に、このような煩雑な務めはなかなかの過重です。そして私の失明は、我が家の経済に少なからぬ打撃でした。私は病気にかかる前とて、なお二十代の血気でしたから、なすところの事は一切これ手習いでした、習字でした。だから私の半生の歴史は、全く経済的に不生産でした。ただ祖先の余徳に育てられ、空しく祖先の遺産を食い減らしたのでした。しかし、両眼の明るささえ失わなかったならば、なおこれが回復の希望のあったものを、今はそれすら仕方のない始末になったのです。
老いた母はこのような事情をよく承知しておられて、殊に生来経済には用意周到の人でしたから、一意節約を旨として女中をも使われず、六十に寄る老体を持って精々勤勉に、盲目の子の世話、腕白な孫の世話、日々の炊事、清掃、裁縫、接客、使いの煩わしいことまで、一身に任じて弁ぜられる、私は実にお気の毒でお気の毒で堪らないのです。しかし、母は一心にこの重要な務めを担われて、なおかつ子に心を注がれ、何かと慰めてくださるのです。炎熱焼くような夏においても、寒風肌を裂く冬においても、少しの怠りとてもなさいません。
とりわけ私の一身にかけられる注意は大変なもので、私に膳を勧められては、母はその側に座して離れられず、私が箸を取ろうとすると、すぐにこれを取り与えられ、これが寿司だ、これが汁だ、これが何、これが何と、一つ一つ物を示して授けてくださいます。その時私の心はどんなに苦しいでしょうか、食べ物は目の前に整然として供えてありながら、私は手があってこれを取ることができないとは、なんとも悔しいことです、これにも母を労するのは、なんとも悲しい限りです。私の両の手は何故にあるのでしょうか、あって用のないものならば折れよ、砕けよと思ったことです。母が心を尽くされた料理も、ほとんど無味に終わって、私の喉を通らない、胃も消化作用を停止するようでした。また衣類を取ってはこれを着せ、脱げばまたこれを畳まれる。便所に手を引き、出るのに履物を取ってくださる、ああ何ということでしょうぞ、もったいなくも親です。恩深い母です。それを便所の案内者となし、履物取りの女中となして、これに甘んじなければならないとは。私にして両眼の明るさがあれば、老いられる母に対して、いざ召せと、私より衣を取って着せ申し上げるものを、膳を調えて勧めようものを。また手を引き履物を取って参らそうものを。ああ残念です。無念です。さても苦しい。さても悲しい。こう思うと、私の脈拍は弱り果て、呼吸も絶えそうになるほどに感じてきます。
ここにおいて私は、このような苦しみに接触することが堪え難いのを覚えてきました。
いっそ母と別居したならば、私も幾らかの苦痛から遠ざかるでしょうし、母とてもまた私の厄介なお世話だけが少なくなるでしょうと思って、家族を松山の家に留めて、私一人生まれ故郷の余土村に起居することとしました。四畳半と二畳敷きの田舎家は、盲目である私を収容するには余りあるのです。生来の横着者とて、拭き掃除や、衣類の片付けにさえ慣れていない私です、ましてや飯を炊き茶を入れる台所の雑役においてはなおさらです。それを今盲目の不自由な身となって、一人住まいをして日を送ろうというのですから、拭き掃除も、炊事も、ぜひともどうにかしなければなりません。覚束ないながらも大胆に飯を炊いてみました。
しかし、第一に苦しんだのは、火を燃やす一事でした。燃料はそれぞれ手探りで整えて、マッチをすってこれに投じたまでは良いですが、火がはたして燃え移ったか否かが知れません。且つ、危険がこれに伴うので、非常に苦心しましたが、窮すれば通ずで、火も焚けました。飯もどうやらこうやらできるようになりました。菜もぼつぼつ炊けるようになりました。こうすると可能な限り面倒を避けて、飯は三四日分を一度に炊いておき、菜は味噌や漬物を常態としました。そうですから寒い冬の日も、暖かな菜とては食うことができない、櫃の飯は凍ってパラパラになっている、この飯を茶碗に盛ってお茶をかけると、せっかく煮え沸いたお茶が冷たくなるようなこともありました。
衣類は柱の釘にひっかけて、何日となくぶら下げておきます。これを畳むことは面倒くさいので、衣類を二枚と持つまいと思いました。ただ一枚のものでさえなお面倒くさく思うものを、母は一家のすべてをお手にかけられたのでしたが、どんなに煩わしく思われたでしょう。これを思うといよいよもって衣類は余るほど作るまいと思いました。また少ない衣類を長く着ていると、垢じみて襟や膝が光り出す、こうではまた洗濯の労を母に煩わすようになる、どうしようかと考えた末、襟巻きと前掛けとは、独居中常に離さないことにしました。たとえ客来があっても、決して離しません。これは客に対する無礼を忍んでも、母の煩わしさを避けるために代えられないと思ったからです。ともかくも私のこの独居は、私において不自由は不自由に相違ありませんでしたが、しかし、実際に母のお側にいて、充分な注意と慰めを受ける苦しみに比すれば、この不自由は物の数でもありません。母のお手より授けられる魚肉の佳味よりも、冷や飯と麦味噌とがかえって快く私の喉を通すのでした。
私一身はすなわちこの独居によって、幾らかの苦しみを避けたかのようです。
しかし私がこのような不自由をして、日を送るのを見聞きされる母は、またもやひどく慈愛の念に駆られて、一方ならぬ心配をなされたのです。さてはどうしてこの母を安心させようか、母も既に年をとっておられるのですから、共に起居してこれを慰め、そして母子相愛の家庭に暮らしたいのは、私とても心いっぱいです。それを慈愛深い母と共に起居することが、私において無上の苦しみであるとは、親と生まれ子と生まれた者の、なんとも縁の薄い話です。心中における情はともかくも、事実の上において縁の薄いことです。今は母と同居しなければ、親に安心を与えることができないのです。さて再び母と同居したならば、私はどうなるでしょう。またもや以前のように日々の家庭が苦しみと悲しみに満たされることはないでしょうか。その時私ははたしてこの苦しみと悲しみに堪え得るでしょうか。私は到底悲絶痛絶の運命から脱することができないでしょうか。この上はもはや人生の望みない私と成り果てるのでしょうか、私を私はどうしたらよいでしょうか。あぁ!
第4節 三度の自殺未遂
筆者が視力を失った後、社会的・家庭的・感情的苦痛のすべてに押し潰され、ついに死を決意するまでの精神的な極限状態を描いた章である。ここでは、単なる身体的障害を超えた「生きることそのものの苦しみ」が、筆者の内面を蝕み、死を唯一の救済と見なすに至るまでの過程が、凄絶な筆致で綴られている。
この章は「死と生の境界に立つ人間の魂の震え」を描いたものであり、筆者の内面はまるで舞台の上で独白を続ける登場人物のように、激しく揺れ動く。死を決意しながらも、母への愛情、子への責任、家名への配慮といった「生の残響」が筆者を引き止める。これは、筆者の苦悩は単なる個人の悲劇ではなく、倫理と感情のせめぎ合いとして普遍的な意味を持つ。
また、遺書を書こうとする場面では、盲目の手探りによる筆記が象徴的に描かれ、「言葉にならない思い」が文字の乱れとして表現される。これは、言語の限界と感情の過剰が交錯する瞬間であり、筆者の涙、震え、筆の重さは、肉体と精神の崩壊を象徴し、読者に強烈な印象を与える。
私は初め病気にかかって、非常な恐怖と非常な煩悶とに陥りましたが、病中の苦しみとしては、単に明暗の争いに過ぎませんでした。その争いは暗闇がついに明るさに勝って、物を見ることができない盲人となり終わったのです。したがって予想した恐怖と、煩悶とが事実となって、失明後は世間及び家庭の失望より、老いた母に対する感情的大苦痛が、今は私をして人生をはかなく悲観させるようになりました。毎日毎日物に触れ事に当たっては、苦痛に苦痛を感じるのです。私の神経はいよいよ衰弱に陥って、我と我を見失うようになりました。
気が遠くなり心が散って、そのまま倒れることもありました。家族は驚いて、水よ薬よと騒ぎ立つことも、一度二度と繰り返されました。この時私は思ったことでした。いっそ家族が水薬の介抱をしてくれなかったならば、そのまま安らかな眠りについたのであっただろうと。
そうすれば私はこの苦しみのすべてを免れることができたものを、ああ、また苦痛の手は私を再び蘇生させて、飽くまでも暗闇の中に悶える悲劇を楽しもうとするのです。蘇生すれば勢い病苦と心の苦しみとに悩まねばならないので、これを思えば苦しみは現在私の生命であるよ!思うに私は、生きるために苦を感じるのです。さりとて残忍な苦しみは、容赦なく突いてきて、内からは神経を衰弱させ、外からは肉体を脆弱にして、脈拍を微弱にし、呼吸を圧迫し、ともすれば昏倒し窒息させようとするのです。さては苦しみは再び私を殺そうとするのでしょうか。
死より私を蘇生させた苦しみは、現在の私の生命であって、この生命とする苦しみが一度蘇生させた私を、心身の両面から悲痛な刃を加えて、飽くまでも苦しませた上、さらに極刑に処そうとするのが今の私の現状です。実に恐るべく厭うべき苦しみではありませんか。
私にしてこの恐るべき厭うべき苦しみを脱し離れようとすれば、速やかに苦しみを捨てるより外ありません。苦しみを捨てる道は外にはない、ただ生命を捨てるのです。実にそうです。苦しみは私の現在の生命であるから、これを捨てようとするには、所詮根本の生命を捨てるより外に策はありません。すなわち死です。死は私を苦しみより救い出す現下の唯一手段です。ああ、死するより外ない、死するより外ない。
すでに死を決しました。次に起こる問題は死を遂げるべき方法です。毒を仰ぐのはどうでしょうか?、毒を仰ぐとすればその毒薬はどこに求めてよいでしょうか?、私に歩行の自由があれば、騙しても偽っても、知友の医師について、若しくは所在の薬店について、求め得られないこともないでしょうが、歩行の自由がない身には、それも詮ないことです。それでは男らしく刃によろうか?それは良い、最も良い、盲目であっても刃を握って手の狂うことはないでしょうから、自殺としては一番確実なのです。
しかし、我が家を汚す恐れがあります、祖先以来一回も血に汚したことのない我が家を、私に至って汚したとあっては、それは死に勝る汚辱です。このように考えが纏まってくる、考えれば考えるほど雑然たる妄想が起こってきます。母の悲しみ、子供の嘆き、彼らの永久の恨みはどれほど深いでしょうか。そして亡父に対し、祖先に対し、家名を傷つける嫌いはないでしょうか。
ああ、死ぬべくどうしたらよいでしょうか。世の人も知らず、家族も知らず、このまま消えて無くなりたい。山にしようか。川にしようか。屍は魚の腹の中に葬られたい。骨は狼の餌となりたい。そうすれば世の人も知るまい、家族も知るまいとも思ってみましたが、私の身一人で川に向かい、山に入る自由のない身は、これもまた不可能です。すでに死を決してもなお苦しみが存在することがこのような状態でした。このようでも私は死の心を翻さず、一度ならず二度までも、まさに死を実行しようと企てたのでしたが、なお未練の情が起こって、後より引き止められるようでした。後に残される母は、すでに六十という年齢を超えて、余命とても少ないお身です。私の死後ははたして何人によって、そのお心を慰められることができるでしょうか。
私は私の苦悩を忘れようためにのみ死を決したのではありません、合わせて母の傷心をも減じようとするのですのに、私の死はかえってこの上のご苦労を増させることになりはしないでしょうか。二人の子供は、なお幼くして事理を理解せず、もとより自営の道を知らないのです。彼らの教育はどうなるでしょう。私の亡き後は何人によって、どのように教育されるでしょうか。あるいは兄弟相離ればなれになったり、あるいは路頭に迷うようなことがありはしないか。ああ、このような恩愛に呼び止められてはまた立ち帰り、立ち帰ってはまた死を欲し、いよいよ三度死を決して、最後の死に臨もうとしました。ひそかに硯を取り出し、盲目ながらも、母への心ばかりのお詫びを書き残そうと、手探り書きに簡単な遺文を書きました。心は非常に急いできます。筆は非常に重くなってきます、どうしても字に字が重なって、ほとんど読めなくなったような心持ちがしたので、また書き直し書き直して、読めるか読めないか、ただ四五行の乱れ書きが完成しました。
母様、ご厚恩をも果たさないで、永いお別れをいたします。不孝をお許し下さい。この上生きて、ご苦労を増すに忍びません。人として生まれた甲斐なく、朽ち果てる悔しさ、ご推察をお願いします。子供の身の上は何分に。
とまで書いたのでした。なお子供に対する訓戒も、書こうとは思いましたが、胸が塞がり、身が震えて、とても書くことができませんでした。
私はもはや言葉を発することも嫌になりました。この日は母の勧められる食べ物も、食べることが嫌になりました。何分にも心が塞いで、憂鬱でまた悄然としていたことです。
夜に入って、家族の寝静まるのを待っています。床の中に短刀を懐き、書いた遺文を抱いて、今に死すべく考えています。私は胸が躍り身が震えて、涙は今を限りと、続け様に絶えませんでした。
時は良し。やがて病床を抜け出て、人知れず裏口を出ようとしました。すると咳の声がしました。折悪しく母の目が覚めたのです。第一回目はこれで失敗して遂に死を果たし得ず、空しく寝所に帰って、一人つくづく考えましたが、なお死すべき決心を変えるだけの覚悟はなかったのです。
よし今夜は遂げ得ないにしても、明日もある、明後日もある、二三日の内には必ず決行することができると、何故か私は確実に思い定めたのでした。ああ、私の運命もまたここに極まった、危うきこと風前の灯に異なりません。時しも屋外の樹木はさやさやと風に鳴り、寂しげな鳥は石手川の堤辺に寂しい声を落として行きます。
◆第3章 人生の趣味◆
第1節 復活
復活」は、筆者が絶望の極みにあって死を決意していた状態から、ある瞬間の気づきによって生への意志を取り戻すまでの精神的転換を描いた、深い内容である。
筆者は盲目となり、日々の煩悶と失望に押し潰され、生きる意味を見失っていた。食事すら苦痛となり、死を目前にした心境の中で、ある日、膳から落ちた一粒の米が指先に触れた瞬間、筆者はその米粒の重さと存在の意味に打たれ、無限の光明を感じる。この小さな出来事が、筆者の暗黒の心を照らし、人生の「趣味」——すなわち、生きることの味わいと意味——を初めて悟らせる契機となる。
筆者はそれまで、失望と煩悶を避けるために死を選ぼうとしていたが、この気づきによって、苦しみの中にも趣味があり、不幸の中にも救いがあることを知る。盲目という不幸が、かえって人生の深い意味を教えてくれたと感じるようになり、死への執着は夢のように消え去る。
この体験を通じて筆者は、人生の苦しみは決して無意味ではなく、それを通じてこそ人は生きる理由を見出し得ると語る。不幸や薄命の境遇にある人々も、もし人生の趣味を理解すれば、失望は朝露のように消え、曙光を仰ぐことができる。天は決して人を見捨てず、苦しみの中にこそ生の本質が宿るという、力強い希望の宣言で締めくくられている。
この章は、筆者の精神的「復活」を描いたものであり、死と生の境界に立つ人間が、ほんの一瞬の気づきによって世界の意味を根底から覆すことができるという、極めて深い内容を持つ章である。
私は、すでに死を覚悟して、これを遂げようとするにあたり、老いた母の知るところとなって、その機会を失ったとはいえども、なお時機を見て、実行を果たそうと期していました。毎日毎日煩悶に沈んで、暗黒はますます暗黒に閉ざされ、人生の光明とては、さらに一点の認めるところもないのです。生きながらすでに心は死の境地に移っています。それゆえに私は、三度の食事すら嫌になりました。なぜ私たちは、この嫌な食物を食べなければならないのでしょうか、なぜ私たちは、食べるべき義務が存在するのでしょうか、死を決心している私に、食物の必要がどこにあるでしょう。食べずもがなと思っても、どうもこれを廃するわけには行きません。せっかく勧められる母の心を、満足させるためにも、ぜひとも、これを食べなければならないと思うと、膳に向かって、箸を取ってみても、一切食物は快く喉を通じませんでした。
ある日のことでした。私は膳に向かって食べようとする時、一粒の飯が、たまたま箸を離れて膝の上に落ちました。
私はこれを取り求めて、私の指先に粘り付いているのを見ると、凄然として忽ち悟るところがありました。それは僅かに指先に付いている一粒の飯にも、ほとんど計り知れない重さがあることを知ったことです。
私は私の指先に粘り付いている一粒の米によって、私の心身は粉微塵に打ち砕かれたのです。
今の今まで死よ死よと慣れて、心に一片の生の意味すら認めなかった私は、ここにおいて全然「無」となってしまいました。私の、指先の一粒の米は、無限の光明を放って、暗黒の境遇を照らしました。乾坤を打ち破る境地とは、全くこの時であったろうと思います。
実に私の、この時の心境は、これを口にしようとして、言うことができず、筆にしようとして、書くことができません。あの大燈国師が、何気なくこの時の意味を表そうと探せば、一面の雲に閉ざされて、水がさらさらと流れると言った、その心持ちがそのままそれです、この境地に接して、初めてその心境を得るのでしょう。所詮、想像を持って、理論を持って、この心境を得ることはできません。私の、人生の失望は、結局、人生の趣味を理解しないことに因るのです。両眼の明るさを失してより俄かに身の不自由を覚えて、ただ失望と煩悶とに追い回され、さらに生きるべき理由を知らず、一日生命を長くすれば、長くするだけ、失望と煩悶とが、強力を持って追いかけてくるものとのみ偏って信じて、それゆえに死してこの失望と煩悶とを、逃れようと決心したのでした。実に哀れにもまた危険なことでした。
一度人生の趣味を理解すれば、すなわち生きるべき理由を知って、なお一日の生命も長くあれと思わせるに至るのです。膝の上に落ちた一粒の米が、私の指先に無限の光明を放って、暗黒な私の心の裏を照らし破り、ここに初めて人生の趣味があることを知らせてくれました。
ここにおいて、私の旧天地は破滅し終わりました。今まで死のみと覚悟したことも、全く夢と消え果てたのです。人生の失望と煩悶は、かえって非常に趣味あるものとなったのです。厭わしかった人生が、今は愛すべきものとなったのです。これを思えば、不幸の境遇は、かえってある一種の幸福を作り出すのではないでしょうか。私の盲目となったのは、一身の大不幸です、しかし、その不幸により失望し苦悶したればこそ、全く一粒の米のために、救済されたのではないでしょうか。眼があって常に一粒の米に接触していても、決してその境地を得ることができなかったのであると思えば、失明の不幸が、かえって幸福を得させる理由となったのではないでしょうか。人生は複雑なもので、盲目な者もいるでしょう、聾な者もいるでしょう、唖な者もいるでしょう、病弱な者もいるでしょう、その他不治の病にかかる者もいるでしょう、失望と煩悶は、代わる代わるやって来て、苦痛に苦痛を重ねる者も少なくありません。
これを不幸の人、薄命な人と言わなければなりませんが、もしその人にして、よく生きる理由を知り、人生の趣味が多いことを知ることができたならば、かえって失望も、煩悶も、朝露のように消散して、紅々たる曙光を仰ぎ得るでしょう。天は決して、これら不幸薄命の人を捨てません。その境遇はかえって人生の趣味を理解するのに、一層強い力を得させるのです。
不幸も薄命も、決して失望すべきものではありません。
第2節 一粒の米が受ける尊敬
筆者が幼少期から母に教えられてきた「食事の前に米粒に合掌する」という習慣の意味を、盲目となった後に改めて深く問い直す哲学的な考察である。
筆者は、膝に落ちた一粒の米に触れた瞬間、母の教えを思い出し、なぜ人間が植物である米粒に頭を下げるのかという疑問を抱く。人間は万物の霊長であり、進化の頂点にある存在であるはずなのに、なぜ草の実に対して敬意を払うのか。それは人間の卑屈さなのか、あるいは米粒の尊さなのか。筆者はこの問いを通じて、母の教えが単なる迷信や形式ではなく、何か深い意味を孕んでいるはずだと考えるようになる。
その意味を探る中で、筆者は皇室の神嘗祭や新嘗祭に言及し、米が神聖なものとして神に供えられる存在であることを思い出す。米は単なる食料ではなく、自然の恵みであり、神々との交感の媒介でもある。人間が米に頭を下げるのは、米そのものにではなく、それを育んだ天地自然、そしてそれを通じて生を支える大いなる力への感謝と畏敬の表現なのだと、筆者は徐々に悟っていく。
この章は、日常の習慣に潜む宗教的・倫理的な意味を再発見する過程を描いており、文学的には「物の背後にある精神性」を探る内省の記録である。一粒の米に込められた尊敬は、人間の謙虚さと感謝の心を象徴しており、筆者の盲目という境遇が、その意味をより深く照らし出す契機となっている。
物質の背後にある精神の尊厳を問い直す、静かで深い哲学的省察であり、筆者の復活した精神が、日常の中にある神聖を見出していく過程を美しく描いている。
家庭における母の教えは、幼少より今日に至るまで、種々の方面にわたって、なかなか行き届いたものでしたが、中でも、「日に三度食事に向かっては、必ず手を合わせて拝んだ後に食べなさい。ただ一粒の米といえども、これを粗末にしてはなりません。もし粗末にする時は、眼が潰れる、罰が当たる」という一事のみは、とても厳重に教えられ、なおその実行をおろそかにされませんでした。
私はこの教えを受けてから、常に慎んで実行し、決して一回も怠ったことはありません。しかしほとんど無意識にこれを聞きこれを行っているのみで、ただ三食毎に習慣的にこれを行うのを日課としていました。まだ一回も深くその理由を考えたこともなく、また敢えて考えようともしなかったのです。しかるに、私が膝の上に落ちた一粒の飯を拾い得て、そっと指先に付いた時に、ふとこの幼時より家庭において教えられた、「一粒の米を尊敬せよ」ということが思い出されました。それと同時に、一つの疑問が起こりました。
一粒の米に向かって、私たちは合掌し頭を下げなければならないと、母は教えてくださいました。私はこれを実行しています。世の人もおそらくこうするでしょう。一粒の米はこうも尊敬を受けています。最もよく進化した高等動物より、このような尊敬を受けています。万物の主宰者、万物の霊長と言われる私たち人間より、この尊敬を受けています。それでは、一粒の米は、私たち人類よりもなお貴いものでしょうか。人をして合掌し頭を下げさせているではありませんか。
それでは、一粒の米は、どのようなものであるかと深く考えてみると、今食卓に上がっている彼は、一つの植物です、草の実です。実にそれに相違ありません。それでは高等動物中最も進化した私たち人類と彼と、とても同日の論ではありません。植物である彼、どうして私たち人間より、貴いものということができるでしょうか、それに私たち人類をして、食卓に向かい合掌し、頭を下げさせるとは、実に生意気な彼ではないでしょうか。植物である一粒の米に、草の実である一粒の米に、合掌し、頭を下げなければならないとは、私たち人間も実に意気地のないものです。劣っている千万のものです。その合掌し、頭を下げる尊敬は、むしろ私たち人間の恥辱ではないでしょうか。
こう思ってくると、家庭において、どうにも奇怪なことのように感じられます。母はどのような意味を持って、私たちにこうせよと教えられたのでしょうか。もし深い意味がないとすれば、食料として提供される一粒の米に対しても、貴重な頭脳を低くせよ、屈服せよと教えられたのです。実に馬鹿げたことと言わねばなりません。思慮深い母は最愛の我が子に対し、よもやこのような卑屈、このような恥辱のことを教えられるのではないでしょう。その間必ず深い意味が存在するものがなくてはなりません。畏れ多くも、我が皇室におかせられては、年々神嘗祭の祭典を執行せられて、稲を皇祖の神霊に供え奉り、社稷を祭られるのです。また歳々新嘗祭と申す式があって、新米を神饌に供え奉って、その年の豊作を祈られる祭典があります。これによってこれを観れば、あの一粒の米は、ただ私たち臣民より受ける尊敬のみではありません、畏れ多くも我が皇室においても、なお多くの尊敬を受けています。
この一事を思うと、ますます私の疑いが深くなりました。私たちが払うところの尊敬は、ますますもって意味深いものがなくてはなりません。一粒の米に払う尊敬が、意味のないものに終われば、私たちが頭を下げるのは、実に汚らわしい極まる悪い習慣と言わねばなりません。植物である草の実に、私たち人間が合掌し、頭を下げるとは、いかにも情けない意気地なしと言わなければなりません。
しかし尊敬を払って敢えて怪しまないものは、その間に深い意味があるからでしょう。さてもその深い意味は、はたしてどのあたりにあるのでしょうか。一粒の米を尊敬する意味は、はたしてどのような訳でしょうか。
第3節 一粒米の進化(状態変化)
筆者が日常的に行っていた「米粒への合掌」という習慣の意味を、深く哲学的に掘り下げることで、物質と生命、尊敬と進化の関係を再定義する思索の記録です。
筆者は、米が人間に栄養を与えるという理由だけでは、米粒に頭を下げる行為が正当化されないと考えます。米はただ化学的に分解され、肉体の一部となるだけであり、それ自体が生命を与えるわけではない。したがって、単なる食料としての米に対する尊敬は、迷信に過ぎないのではないかという疑問が生じます。
しかし筆者は、米が人間の体内に入り、血液や体液となって生命の一部へと「進化」する過程にこそ、真の尊敬の根拠があると見出します。植物であった米が、わずか数分で人間の一部へと変化する――この驚くべき状態変化は、単なる物質の変化ではなく、存在の階梯を超えた「向上」であり、進化の天則そのものへの畏敬を呼び起こすものだと筆者は悟ります。
この気づきは、かつて書物で読んだ進化論の理法を、実感として深く体験する瞬間でもあり、筆者はそれまで無意識に行っていた合掌の行為が、実は宇宙的な秩序への敬意であったことに目覚めます。米粒への尊敬は、物質そのものではなく、それが辿る進化の道筋、生命と同化する神秘への賛美であり、決して迷信でも卑屈でもないと結論づけるのです。 この章は、日常の一粒の米に宿る宇宙的な意味を見出すことで、筆者の精神が再び世界とつながり直す瞬間を描いており、「物質の霊性」と「存在の尊厳」をめぐる深い哲学的省察として読むことができます
ここに大きな川があります。
これを渡るには橋によるか、船によるかしなければ、安全に彼岸に達することはできません。屋上に登るにもそれで、縄を登るか、梯子を伝うかしなければ、屋上に登ることはできません。すべてある点に進み行くには、そこに到るべき方便がなくてはなりません、手段がなくてはなりません。
あの一粒の米が驚くべき短時間に進化し、私たちの肉体に上り生命と同化し終わるというような神速な向上は、そもそもまた偶然ではありません。あの一粒の米がこのような向上を遂げるために、はたしてどのような手段を取っているでしょうか。よくこれを思い起こさなければなりません。もしこれを思い起こしてくるならば、実に私たちを驚嘆させるべきものがあるのです。思い起こしてください、あの一粒の米が向上の手段を思い起こしてください。農夫の粒々辛苦によって、やっと彼は一粒の米となりました。すでに一粒の米となって、そして彼はどうするでしょう、口があればこう言うでしょう。
「私は今ここに一粒の米と生まれました。もしこのままにしてただ朽ち果てれば、私が天から与えられた天分を無駄にすることになります。一度この世に生まれた以上は、この上の進化向上を遂げなければなりません。こうして天分を全うするわけです。多くの植物は、花を付け、実を結び、これを飛散して繁殖することを本能としていますが、私一粒の米においては、空しく草の実であるに終わることを、満足すべき性質ではありません。この上の向上を遂げねばなりません。一度人の口に入り腸胃に消化されて、万物の霊長であるその人と同化し去る向上を遂げなければなりません。どうして一つの植物である境遇に安んずべきではありません。
向上の目的を果たすためには、どのような困難があろうとも、これを実行しなければなりません。私は天与の衣服を持っています、もみ殻はすなわち寒熱を防ぐべき私の衣服です。さあ、向上のためには、この衣服を脱ぎ捨てましょう。水力、電気、蒸気、あるいは人の足によって運転される臼の中に、潔く私の身を投じましょう。木や鉄の棒は、たちまち頭上より墜落してきて、私を打つでしょう。打たれるのは無上の痛苦です。しかしながら向上するためには、痛みも苦しみも厭うところではありません。
生きながらにして皮膚を剥がれましょう。また進んで石臼に挽かれては粉となりましょう。釜の中に入って身を焼かれ、身を焦がされましょう。なおまた釜中の熱湯に身を投じて、熟するまで煮られましょう。このように危難を恐れず水火を避けずするは私の厭うところではありません。犠牲はもとよりこれ私の役割です。こうして団子となり、菓子となり、飯となり、粥となり、餅となって、人の口に投入し、噛まれ、唾液に混和され、胃腸に消化されて、全く私の身を滅尽し終わりましょう。これこそ私が本懐とするところであって、また向上する手段です。向上するために百難千苦も敢えて厭うところではありません。
進んでこの苦悩を受けようとするのです。もし私がこの手段を実行せずして、ただ一粒の米として、蔵の中に虫の糞となり、あるいは古米となって獣類に食まれるのは、かえって私の意志の遺憾とするところです。だから敢えて向上の手段を実行して、私もまた人間となる光栄を得なければなりません」あの一粒の米に口なく声なけれども、彼は確かにこのように言っています。
日々私たちの眼前において、一粒の米が向上の手段を実行している、その行動が、確かにこうと説明しているのです。
「眼あるものは見よ、耳あるものは聞け」
一粒の米が向上する手段を実行する道理に、無口の言があります。無声の声があります。
すでにあの一粒の米が、向上しようとしてその手段を実行するのを見れば、私たちはそもそもどのように感じるでしょうか。一粒の米が向上の目的を遂げようとするために、その実行するところの手段はどうでしょう。実に煮られ焚かれて、敢えて水火の難を避けません。あるいは挽かれ打たれ、敢えて粉骨砕身の苦を厭いません。いわゆる身を捨てても向上の目的を達しなければやまないのです。その意志の健剛なる、その手段の勇壮なる、見て驚かざるを得ません。私はこの健剛な意志と、勇壮な手段とを見て、今更のように大いに驚いたのです。
今の今まで、ただ死のみと、哀れにも覚悟していた私は、我と我が薄弱な意志と弱い行いの私であるに驚いたのです。一粒の米ですら向上するために、飽くまで奮闘し、猛進して行っているものを、私は人と生まれて、この上の向上を遂げることを知らないでは、私たち人間の責任を忘れているのではないでしょうか。
一粒の米に対して恥ずかしいことではないでしょうか。こう思ってくると忽ち勇気が起こりました。血が湧き肉が躍るほどの興奮を感じました。両眼の明るさを失った位で、失望し、挫折し、悲観に沈むがごときは、いかにも意志の弱いことです。
こんなことで私たち人間の責任を果たし、向上を遂げることはできません。
手が折れても、足が折れても、身を裂き、骨を砕いても、奮闘一番しなければなりません。ここにおいて勇気勃々として未曾有の充実感を感じたのです。
第4節 一粒米の向上手段
筆者が一粒の米の進化と犠牲の過程を擬人化し、その姿に人間の生き方と向上の本質を重ね合わせることで、深い感動と精神的覚醒を得る瞬間を描いた章です。
筆者は、一粒の米が人間の体内に取り込まれ、生命と同化するまでの過程を「向上の手段」として捉えます。米は、農夫の労苦によって育てられ、脱穀され、精米され、火に焼かれ、水に煮られ、粉にされ、最終的には人間の口に入り、唾液と混ざり、腸胃に消化されて、完全にその姿を失いながらも、人間の一部となる。この過程は、米が自らの存在を犠牲にして、より高次の存在へと進化するための壮絶な道のりであり、筆者はそれを「健剛なる意志」「勇壮なる手段」として讃えます。
この米の姿に触れた筆者は、自らの失明による絶望と死への執着が、いかに意志の弱さに根ざしていたかを痛感します。米ですら、痛みや苦しみを厭わず、向上のために身を捨てる覚悟を持っているのに、人間である自分が、障害を理由に生きることを諦めるのは、あまりにも恥ずべきことではないかと自問します。
この気づきは、筆者にとって精神的な転換点となり、血が湧き肉が躍るような勇気と充実感をもたらします。筆者は、手が折れても、足が砕けても、なお奮闘し、向上を遂げるべきだという強い決意を抱きます。一粒の米の沈黙の中に宿る「無声の声」「無口の言」が、筆者の魂を揺さぶり、人生の意味と人間の責任を再び思い起こさせるのです。
この章は、物質の擬人化を通じて人間の倫理と精神を照射する寓話的構造を持ち、筆者の内面の復活を象徴的に描いています。米という最も身近な存在が、筆者にとって哲学的な師となり、死から生への転換を導く存在となる――それは、日常の中に潜む神聖と、向上への意志の尊厳を讃える、極めて深い宗教的・哲学的省察であると言えるでしょう。
一粒の米に対する尊敬が、もし意味のないものに終わるならば、私たちが合掌し頭を下げることは、迷信となり、汚辱となり終わるのです。それゆえに一粒の米に対する尊敬は、必ず意味がなくてはならないのです。はたしてそうならば、どのような意味が存在するのでしょうか。
人は必ず言うでしょう、一粒の米に対する私たちの尊敬は、別に怪しむに足りないことで、米は私たち日常の食物となって、栄養を与えている、生命を与えている、私たちがこれに対して多大の尊敬を払うのは、当然のことであると。その通り、一粒の米は私たち肉体の栄養となっています。しかし、私たちは本来の生があり命があって、その生命力によって生きている、あえて一粒の米によって私たちの生があるのではありません。一粒の米がどうして私たちの生命を与えたり奪ったりできるでしょうか。
たとえば病魔が人を悩まして、憔悴の極み、ついに死の淵にかかり落ちそうとしている時、一粒の米の億々兆々粒を持ってしても、またどうすることもできないではありませんか。一粒の米はただ私たちに食べられ、腸胃に消化され、彼がもともとこのようになるべくして、化学的道理によって澱粉質、蛋白質、脂肪質となって、私たちの肉体の生理的作用によって、これを血液となし、体液となし、栄養を取るのです。ただこれは自然の道理が、自然の結果となるのみで、彼から私たちに生命を付与するのではありません。当然が当然となってそうなるのです。だから一粒の米が私たちの食欲を満たすという理由をもってこのような一大尊敬を払わせる理由とはなりません。
夏が来れば暑く、冬が来れば寒く、烏は黒く、鷺は白いと同じで、私には私の本来があります。彼には彼の本来があります。私は食すべく彼を作り、彼は栄養を供給すべく実るので、その間少しも怪しむべきものはありません。それでは、単に一粒の米が、私たちの食となり栄養となるといって、私が彼に合掌し頭を下げる理由とすることができないではありませんか。それならばなお、これ以上の意味がなければなりません。もしその意味がないとすれば、私はこれを尊敬することができないのです。
思うに、あの一粒の米が私たちの食卓に上がって、私の口腹に入り腸胃に消化されて、血液となり、体液となるのは、すなわち一粒の米の進化です。一粒の米の向上です。
わずかに数時間、いや数分間以前まで植物であった一粒の米が、その進化向上によって、たちまち私たちの肉体に上り、私たちの栄養となり、生命となるとは、実に驚いたことではありませんか。時間の上から見ても、数時間乃至数分という短時間の進化向上です。またその階級から見ても、植物が人間とまでも進化向上するではありませんか、このように短時間に、最高位の向上を遂げているものであることを思えば、賞賛するところを知らないのです。このように進化し向上すべき性質を有する一粒の米が、一度進化向上してきては、もはや元の一粒の米ではありません。万物の霊長である人とまで向上したのです。彼がもともとの面目と、私がもともとの面目が同化し終わったのです。だから、この短時間において、彼が進化してきて、人類とまで向上するの一事は、私たちもまた敬服の外ないではないでしょうか。
私がかつて進化論を読んだ時、その理法の鮮やかなるのを非常に愉快に感じました。しかし、これは書籍上の理として、会得したのですから、感覚の上の反応は非常に乏しかったのです。
しかるに、今、私の目前において、あの一粒の米がこのように進化して、僅少な時間に最高の向上を遂げているのを感じては、私の感覚を一層深刻にさせたのです。私は日に三度の食を貪りながら、この大的真理が存在することに気づかず無意味に経過していました。慈母の家庭における教訓を受けても、実に無意識でした。ただひたすら合掌し頭を下げるのみであったことを、今更のように恥ずかしく感じたことです。言ってはいけません、一粒の米は植物であると。言ってはいけません、一粒の米は草の実であると。彼が進化し向上してくるならば、すでに植物ではありません、草の実ではありません、すなわち今の私となっているのです。
それならば、これに合掌し頭を下げるのも、一粒の米そのものに払う尊敬ではありません、進化の天則そのものに払う尊敬です。それでは一粒の米に払う尊敬は、これは私たちの迷信ではない、私たちの汚辱ではないことを理解できるではありませんか。言ってはいけません、一粒の米は植物であると。言ってはいけません、一粒の米は草の実であると。彼が進化し向上してくるならば、すでに植物ではありません、草の実ではありません、すなわち今の私となっているのです。
それならば、これに合掌し頭を下げるのも、一粒の米そのものに払う尊敬ではありません、進化の天則そのものに払う尊敬です。それでは一粒の米に払う尊敬は、これは私たちの迷信ではない、私たちの汚辱ではないことを理解できるではありませんか。
第5節 帰納すれば万物皆同じ
筆者が一粒の米の向上の姿に触発され、そこに普遍的な法則を見出し、万物の存在がそれぞれの境遇において進化と向上を遂げようとする姿勢を持っていることに気づく、壮大な自然哲学の展開です。
筆者は、米粒の自己犠牲と進化の手段に感銘を受け、それが特別な例ではなく、実は地球上のあらゆる存在に共通する原理であると帰納します。地球は日夜回転し、季節を巡らせ、万物を育みながら、踏まれ、砕かれ、汚されてもなお、進化と向上を続ける母体である。樹木は切られ、削られ、焼かれながらも、柱や梁となって人間社会に貢献することで向上を遂げる。牛馬は労働に耐え、屠殺されてもなお、その肉や骨が人間の生活に役立つことで、存在の意味を高めていく。
このように、筆者は自然界のあらゆる存在が、苦痛や犠牲を伴いながらも、それぞれの方法で向上を目指していることを見出します。それは単なる生存ではなく、自己の本質を超えて他者に貢献し、より高次の存在へと進もうとする意志の表れであり、筆者はそれを「健剛なる意志」「勇猛なる行動」として讃えます。
この気づきは、筆者自身の過去の愚かさを照らし出し、失明による絶望に沈んでいた自分が、いかに向上の責任を忘れていたかを痛感させます。そして、自然界の奮闘者たちに囲まれながら生きていることを自覚した筆者は、再び立ち上がる勇気を得て、「人間として向上することこそが責任である」と強く決意するに至ります。
自然界の事象を通じて人間の倫理と精神の在り方を照射する壮大な寓話であり、筆者の内面の再生と覚醒を象徴する哲学的な宣言でもあります。万物の向上の姿に自己を重ねることで、筆者は死から生へ、絶望から希望へと歩みを進めるのです。
およそ向上の手段を実行して、驚くべく健気で、驚くべく勇猛に、且つ精励なるものは、独り一粒の米に限るのではありません。帰納してくれば、万物皆そうなのです。人間社会に向かって進化向上しようと、その手段を実行して飽くまで奮闘するものは、万物皆そうなのです。
あえてこれを天上の高きに求めずとも、あえてこれを地下の遠きに求めずとも、日々私たちの眺望の底の身近に実見することができるのです。私たちは常にこの勇猛、この精励なる奮闘者と接触しつつあるのです。私たちが住居するこの地球はどうでしょうか。
日夜回転して瞬時も怠らず、春夏秋冬に従って去り従って来り、花咲き実を結んでは、進化向上の手段を実行しているのです。すなわち地球そのものの責任を果たしているのです。一歩を進めてこれを言えば、地球は人類を養息させています、動物、植物皆これに拠って生じています、水も火も皆これに拠って存在しています、万物皆地に拠って生ずる、それゆえに地は万物を生ずる母と言ってあります。
結局、物を生ずるのは、土地そのものから進化してくるので、草となり、木となって、各々進化しては、したがってまた進化し、その向上すること実に際限ないのです。こうして人間社会の安らぎを得るのです。
だから地球が物を生じているのは、地球そのものの進化向上であるのです。
そしてその向上を果たすには、地球はどうしているでしょう。人を載せ、家を載せて倦むことはないではありませんか。また井戸を穿たれては水を出し、打ち砕かれては金銀を出して絶えないではありませんか。踏まれ、唾を吐きかけられ、尿をかけられても厭わないではありませんか。地球は進化向上するがためには、むしろ踏まれよう、蹴られよう、打ち砕かれよう、尿をかけられよう、唾を吐きかけられよう、こうして進化し向上しようとしているではありませんか。私たちが住居するこの地球はどうでしょうか。
日夜回転して瞬時も怠らず、春夏秋冬に従って去り従って来り、花咲き実を結んでは、進化向上の手段を実行しているのです。すなわち地球そのものの責任を果たしているのです。一歩を進めてこれを言えば、地球は人類を養息させています、動物、植物皆これに拠って生じています、水も火も皆これに拠って存在しています、万物皆地に拠って生ずる、それゆえに地は万物を生ずる母と言ってあります。
結局、物を生ずるのは、土地そのものから進化してくるので、草となり、木となって、各々進化しては、したがってまた進化し、その向上すること実に際限ないのです。こうして人間社会の安らぎを得るのです。
だから地球が物を生じているのは、地球そのものの進化向上であるのです。
そしてその向上を果たすには、地球はどうしているでしょう。人を載せ、家を載せて倦むことはないではありませんか。また井戸を穿たれては水を出し、打ち砕かれては金銀を出して絶えないではありませんか。
踏まれ、唾を吐きかけられ、尿をかけられても厭わないではありませんか。地球は進化向上するがためには、むしろ踏まれよう、蹴られよう、打ち砕かれよう、尿をかけられよう、唾を吐きかけられよう、こうして進化し向上しようとしているではありませんか。あの山林に生い茂っている樹木も、また成長して、そして進化向上を遂げようとしています。
柱となり梁となり、桁となり材となり、または板となり丸太となり、炭となり薪となって、向上しようとしているのではありませんか。その向上してくる手段はと言えば、山林は生きながらに鋸を持って切断されています。
斧を持って伐採されています。その枝を落とされています。なお鉋で削られ、鑿で彫られて後、初めて棟梁の材となり、大きな建物高い楼閣をも形造るのです。このように人間社会に貢献するところが、山林の向上です。その向上の手段が、悉く皆このように切り刻み、断ち裂かれ、あるいは焼かれるのです。
しかし山林はその手段を敢えて実行して、向上の目的を遂げようとしているとは、驚くべき勇猛ではありませんか、精励ではありませんか。牛馬は、たとえ今人に鞭打たれ、叱責され、またあの狭隘な屋内に繋がれても、耕作の労を助けて、努めて倦むことがないのです。牛馬のある者は、不幸にして屠殺され、その皮は剥がれ、その骨は刻まれ、その肉は食べられても、一意に向上し去らんとしています。あの一毛片骨も、なおよく削がれ、砕かれて、向上しようことを期しています。ただにこれら牛馬のみならず、鶏豚より魚介、昆虫、蔬菜、石礫の一切が、皆このように健剛に勇壮に、向上の手段を実行しているではありませんか。
このように帰納すれば、一切の事物が悉くあの一粒の米のそれのように、強力な意志を持って、勇猛な行動を持って、向上の目的を達しようとしているのです。これらの実行者は私を囲繞しています。
私もまたこれに接触しているにもかかわらず、私がこれを覚らないとは愚の至りです。
今日までの私は、実に愚かでした。それゆえに向上しなければならないということが、私たち人間の責任であるということに気付かなかったのです。これに至って初めて、私の目前に向上の手段を実行し、奮闘の勇者があることを知って、私の心を強くしたのみならず、私を興奮させて、ここに顕然として起たしめたのです。
第6節 生命の連続という向上の手段
筆者が「犠牲」という概念を通して、生命の進化と人世の発展を捉え直す壮大な哲学的考察です。ここでは、一粒の米の消失を起点に、自然界と人間社会におけるあらゆる存在が、自己を犠牲にして他者へと連続し、向上していくという普遍的な法則が明らかにされます。
筆者は、米や樹木、動物、そして人間までもが、自らの存在を滅して他者の生命や社会の発展に寄与することを「犠牲」と呼び、それが進化と向上の手段であると説きます。この犠牲には二つの型があるとし、ひとつは自己を滅して他者に変化する「異体の向上」、もうひとつは自己の系統を保ちながら子孫や知識を伝える「同体の向上」として区別されます。
前者は、米が人に食されて生命となるような死滅の犠牲であり、後者は、種が芽吹き、親が子を育て、知識が継承されるような生理的犠牲です。筆者は、日露戦争の戦死者を例に挙げ、彼らの死が国家の未来を築く犠牲であると讃え、死を単なる終わりではなく、新たな生命の始まりとして捉えます。
このように、犠牲は単なる苦痛や損失ではなく、生命の連続と人世の発展を支える神聖な行為であり、進化の法則に従う必然の手段であると筆者は強調します。そして、人間はこの理を理解し、進んで犠牲を担うことで、より高次の向上を遂げるべきだと説きます。日々の労苦も、社会的な奉仕も、すべてがこの犠牲の一環であり、それゆえに人生は「趣味あるもの」として肯定されるのです。
この章は、犠牲という言葉に宿る悲壮と崇高を、自然と人間の営みの中に見出し、生命の連続を讃える壮麗な讃歌であり、筆者の精神的復活を支える思想的支柱となっています。犠牲を通して生まれる新たな生命の波は、筆者自身の再生の象徴でもあり、人生の苦悩を超えて趣味あるものへと昇華する道筋を示しています。
一切の事物が、進化の法則に従って、向上を遂げています。その手段を客観的に見る時は、彼らの一切が、すなわち人間社会に向かって犠牲となっているのです。犠牲が全く向上手段のそれとなっているのです。一粒の米がその身を食べられ、樹木がその身を切られる類は、彼らの向上の手段そのものであって、いわゆる犠牲なのです。
それならば向上の手段を客観的に見て、一切すべて犠牲であると言わなければなりません。実に犠牲なのです。だから犠牲によって初めて進化し向上するのであって、犠牲はすなわち人間社会の連続を意味するのです。
犠牲がなければ、人間社会を連続させることができないのです。すでに犠牲が人間社会を連続するものとすれば、犠牲ほど目出度いものはありません、犠牲ほど価値あるものはありません、犠牲は実に高貴です、神聖です。向上手段を客観的に見て、一切これは犠牲であるとは言いますが、ここに二つの区別があります、これを忘れてはなりません。それは死滅しすなわち未来を意味した犠牲と、生存しすなわち現在を意味した犠牲との二つです。
前者はその身を滅尽する犠牲によって、未来の向上を遂げています。いわゆる生命の向上です。
後者は生存しながら犠牲によって、現世に向上を遂げています。すなわち肉体の向上です。
なお言葉を換えて言えば、死して後向上する犠牲であって、全く心霊的なるものと、生存しながらの犠牲であって、いわゆる子孫が繁栄するがごとき生理的なるものとの二つです。二者共に生命の連続であって、犠牲そのものが、この連続をなさしめているのであって、一つは異体となり、一つは同体となります。
すなわち米が人となるがごとき、異体の向上を遂げる場合もありますが、また人は人を生むがごとく、同体の向上をなすこともあります。この二つの区別を分けて、向上の手段が、すべて犠牲であることを知らなければなりません。そもそも身を殺して仁をなすと言うがごとき、消極的に終わる犠牲は、犠牲中の犠牲です。
一粒の米がその身を煮られ、食べられて、全く形骸を滅尽し、初めて人の栄養となり、生命となるというも、牛豚羊鶏の類がその身を屠られ、その身を裂かれては、人に食べられて栄養となり生命となるも、樹木が切り倒され、断ち裂かれて家屋となり、燃料となるも、その他魚介蔬菜の類が殺され、切られ、食べられて人の栄養となり生命となっているのも、一切向上のために身を殺し、向上のために犠牲となる犠牲で、いわゆる犠牲中の犠牲です。死滅の犠牲です。近くは日露戦争において我が同胞中多くの犠牲があったではありませんか。
軍人は家に父母妻子を残し、身は炎熱の苦、氷雪の難を犯して、奮戦勇闘、肉飛び骨砕くる最後を遂げました。これは一死をもって公に奉ずる犠牲です。これら同胞の犠牲は、消極的死滅に終わるといえど、死滅と思うのはかえって間違いです。犠牲はたちまち新しい生命となって、向上しているのです。食物は食べられて、人の体となり生命となっています、木は家屋となり、また火熱となっています。軍人はその身を捨てて、国家そのものの運命となっています。米が米とならず、牛が牛とならず、木が木とならず、人が人とならずとも、明らかに異体の向上をなして、生命はなお生命の連続をなしているのです。それゆえに犠牲が新しい生命を造って、向上を遂げているのですから、犠牲は生命の連続を意味しているのです。進化律も向上法も、犠牲の手段によって初めて行われています。
人間社会は全くこの犠牲によって、生命は生命の連続をなして、波状線を描いているのです。
一波は一波を生じ、生じてはまた消え、消えてはまた生ず、生すなわち滅、滅すなわち生というがごとく、無窮無限の生命を連続しているのです。今後なお多くの犠牲によって連続されなければなりません。それでは犠牲は人間社会を連続する生命です。消極的死滅の犠牲も、単なる死滅と思ってはなりません。そしてこの種の犠牲はその功も大であれば、また向上も速やかな犠牲です。
次に生理的向上をなそうがための犠牲もまた人間社会に必須の犠牲です。一粒の米がその種となって、生産の増大を致し、子孫の繁栄をなすには、彼が苗代に播種されてより、その結果に至るまで肥料の吸収やら、水旱風雨の難やら、害虫の苦やら様々の犠牲を積んで、ついにはその身その茎を枯らして、米の生産をなすのに犠牲となっています。一切の植物が子孫繁栄のために、その生涯を犠牲にしているのは、皆このごとくです。
動物の類もまた食を求め、棲所を求め、そして子孫繁栄のために労苦を積んでいます。
私たち人間がまた経済、教育、政治、文学、すべて各個の方面に向かって労苦を積み、知識の向上や富の向上を期しています。これら一切の労苦は、皆、進化向上の手段です、すなわちその手段が犠牲なのです。この種の犠牲は、前者のそれと異なって、生理的系統を追って、同体の向上となっているのです。
人が人となり、米が米となり、牛が牛となって、現在の生命を分配し、遺伝して連続しています。これによって人類の繁殖となったり、獣類の増殖となったり、また知識は知識の進歩となって、生産や、教育や、文学や技芸の進歩をなしているのです。それではこの犠牲がなくては、全く人文の発達もないのですから、この犠牲がより多ければ、人間社会がそれだけ多く、発達するものと言わなければなりません。前者と共にこの種の犠牲もまたこれを貴しとしなければなりません。さて進化向上の法則が、人間社会の一切を支配して漏れないものとすれば、その進化向上の手段は、客観的に見れば皆すべて犠牲なのです。その犠牲はすでに述べた二つの区別によって、犠牲であることを知ることができるのです。それでは犠牲は人間社会の発展、人間社会の連続に必要のものであって、進化向上の手段です。
私たち人間はよくこの理を知らなければなりません。この理を知って犠牲がより多いことを努めなければなりません。これを努めるのはすなわち向上の手段を実行するのです。それならば日々の労働も、日々の艱苦も共に厭うに足りません。むしろ愉快です。
ああ犠牲なるかな、犠牲なるかな、人間社会のすべては犠牲でないものはありません。
犠牲が向上の手段であって、さらに新しい生命を造っているものとすれば、人間社会もまた趣味あるものです。
第7節 向上の手段を自観する
筆者が進化や向上の手段を客観的な犠牲としてではなく、内省的に「天真(本来の真の姿)」の発露として捉え直すことで、人生の苦悩を超えて趣味ある生の境地へと至る思想的転換を描いた章です。
筆者は、万物がそれぞれの本質(天真)に従って向上の手段を遂行していることに着目します。米も麦も、猫も犬も、鉄瓶も瓦も、それぞれが自らの役割を果たすことで天真を発揮しており、そこには優劣の差は存在しない。客観的に見れば差異や犠牲に見えるものも、内省的に見ればそれは神聖な自己実現であり、向上の目的と手段が一体となった天真の顕現であると筆者は説きます。
この視点に立てば、犠牲とは苦痛ではなく、自己の本質を発揮する尊い行為であり、人生の一挙一動がすべて意味あるものとして輝き出す。人間がこの理を理解し、内省的に生きるならば、苦も煩いもなく、日々の営みが趣味あるものとなる。逆にこの理を知らず、外面的な価値や比較に囚われれば、人生は失望と愚迷に満ち、人間性を失ってしまうと筆者は警告します。
この章は、万物の存在論的平等と、自己の本質への回帰を通じて、生の意味を再構築する哲学的瞑想であり、筆者の精神的再生の最終段階を象徴しています。向上とは、外的な成果ではなく、内なる天真の発露であるという思想は、東洋的な自然観と霊性の融合であり、人生を「趣あるもの」として肯定する深い美学に通じています。
ここにまた万物向上の手段を内省的に見ると、手段それ自身が、本来の真の姿(天真の面目)を発揮しているのです。向上そのもの、手段そのものも共に区別するところがない天真一体なのです。
元来、天真は、神聖であってまた霊妙なのですから、物と物とに異なりなく、隔てなく、しかも同一の境地です。だから目的と手段と、共に倶に天真の面目を異にするものではありません。
手段そのもの一つ一つが、本来の真の姿(天真の面目)を発揮して、向上の目的そのものと同体なのですから、私たち人間の一挙一動は、常に天真と接触を保っています。そうであるから向上の手段を内省的に見れば、確かに天真を発揮するのです。私たち人間はよくこの発揮に努めるべく、その天真を全うするのが本分です。独立と言い、自尊と言うも、全くこの境地を内省的に見るからです。釈迦が唯我独尊と言ったのも、おそらくこの謂いでしょう。
米と麦と、そのどちらを優り、どちらを劣るとするか。ある人は答えます、麦より米が優ると。しかしこれは米と麦との二物を存在させて、客観的に見るために生ずる差別です。もしこれを内省的に見る時は、二者の間に優劣の存在を認めないのです。
あの二者の天真は元よりこれは一体なれば。米が飯となり餅となって、美味であっても、麦がパンとなり、飴となり、麺類となり、醤油となるに至っては、米の能くしないところではありませんか。これに至ると、米は麦の後塵を拝さざるを得ないのです。結局、麦の天真を発揮すれば、彼が唯我独尊の境地となる理由であって、米もまた自己の天真は唯我独尊の境地であることができるべく、それでは天真と天真と何の異なるところがあるでしょうか。猫と犬と、犬は猫よりも優者です。しかし鼠を捕る一段に至れば、猫は犬よりも優者です。子猫もまたよく鼠を捕るも、大犬は梁上の鼠をどうとも仕難く、空しく子猫に一歩を譲るのです。大犬がどうして子猫に劣るべきでしょう、ただ本能においてこのような差別があるのです。猫と犬と優劣が存在するのは、これを客観的に見るためであって、猫は猫の天真があります。犬は犬の天真があって、その天真において、さらに優劣があることを知らないのです。
鉄瓶は人がよく作り得るも、炉上にあって、よく湯を煮沸するに至っては、独り鉄瓶のよくするところであって、人のよくするところではありません。瓦は人がよく作るも屋上にあって雨雪を凌ぐことは瓦のよくするところであって、人のよくするところではありません。
結局、天真の面目を捉えてくるならば、さらに優劣の存在を認めないのです。
このようにして一切の事物が、向上するところの手段を内省的に見るならば各々その物の天真が発揮しつつあるものです。すでに天真を発揮するものとすれば、天真は優なく劣なく、強なく弱なく、平等に唯我独尊です。私たち人間はよく向上の手段を内省的に見なければなりません、これを内省的に見れば常に天真と接触して、非常に愉快に向上の手段を遂げ得るのではないでしょうか。
これに至れば苦もなく労もなくして、人生の趣味を理解できるでしょう。そして向上の手段は、物事が本来持っている純粋な性質(天真)によって発動するのです。本来の性質・本質(天真)はその内に隠れて潜在能力となっています、その潜在能力が動いて外に発しようとする時、すなわち向上の手段となるのです。この理由から私たち人間の一挙一動は皆、自然のままの姿(天真)であって、本来の真の姿(天真の面目)は内となく外となく、無限の空間を有し、無窮の時間を有しています。
そしてまだ行わずとも、その徳を具えています。まだ施さずとも、その功が大いに成っている深いところのものであって、私たち人間が向上しようとするところの一切の手段は、常にこのようなものなのです。それならば一挙一動も、これをおろそかにすることができません。内省的に見ればすなわち本来の真の姿(天真)そのものだから。向上の手段を客観的に見て犠牲であると言えば、私たち人間に不快な感覚を与えるようですが、もしこれを内省的に見れば天真なのです、神聖なのです。どうしてこれを厭うに足るでしょうか、まして犠牲そのものは、絶対の犠牲であって、比較の犠牲ではない、その犠牲は高潔な犠牲です、神聖な犠牲であることにおいてはなおさらです。
内省的に見れば自然に本来の真の姿(天真の面目)であることを知るのです。本来の真の姿(天真の面目)を知れば、現在もなく将来もなく、たちどころに皆、真となる境地を得るのです。それならば苦もなく煩いもなく、日々愉快に向上の手段を遂行できるのです。
人もしこの趣味を理解できなければ、苦があり煩いがあり、たちまち暗迷となり、愚盲となって、ほとんど人であるの性格を失うのです。したがって失望が次々とやってくるようになるのです。この点において内省的に見なければ、人生の趣味は到底理解できるものではありません。
第8節 一粒米の受ける尊敬を疑わない
筆者がかつて抱いた「米粒に合掌することへの疑念」を、深い内省と哲学的洞察によって打ち破り、尊敬の本質を再発見する精神的転換の記録です。
筆者は、一粒の米が人間の生命となるまでに経る粉骨砕身の過程を「犠牲」と捉え、その尊さに感謝と賛嘆を捧げるべきだと説きます。しかしその犠牲は、人間のためだけではなく、米自身が新たな生命へと向上するための手段であり、自己実現の道でもある。したがって、人間は米の犠牲によって得た生命をさらに向上させることで、米の希望を満たさなければならず、そうでなければその犠牲は空しく、殺生に転じてしまうと筆者は警告します。
さらに筆者は、米の犠牲を内省的に見れば、それは天真(本来の真の姿)の発露であり、食するたびにその天真に触れていることになると述べます。人間もまた天真を発揮すべき存在であり、怠惰や妄念によってそれを失わぬよう、日々慎み、自己を省みるべきだと説きます。米への尊敬は、犠牲への感謝と、天真を失わぬよう努める誓いの象徴なのです。
この気づきによって、筆者は母の教えの深さを理解し、米への尊敬とともに母への感謝を新たにします。そして、かつて死を望んでいた自分が、一粒の米によって新たな生命を得たことを悟り、仏教の「一芥子に天地を入れる」思想を引きながら、極小の中に極大の真理を見出します。
この章は、日常の一粒の米に宇宙的な意味を見出すことで、筆者の精神が再生し、人生の趣味と意味を深く理解するに至る、宗教的・哲学的なクライマックスです。米は単なる食物ではなく、犠牲と天真の象徴であり、筆者の魂を照らす光となったのです。
万物の霊長と自ら許しているところの私たち人間が、あの一粒の米に対して、合掌し頭を下げる尊敬を払うということは、私たち人類の一大恥辱ではないでしょうか。
もし恥辱でないとすれば、どのような意味が存在するのでしょう。私はこれを怪しみかつ疑ったのです。しかし、私はここにたちまち怪疑の妄想を破り、深い意味が存在するところを確知したのでした。あの一粒の米が向上の手段を客観的に見れば、彼は人間社会の犠牲となりつつあるのです、犠牲を積んで向上してきつつあるのです。彼に粉骨砕身の労がなければ、向上することができないのです。
あえてこれをなしてその向上を遂げ、わずかの時間において私たち人間の肉体に上り、血液となり、栄養となり、生命となるまでの向上を遂げています。実に驚くべき功を奏しつつあるのです。これは結局、彼が犠牲を致すところです。だから私はこれに向かってその犠牲の多きを感謝し、賛嘆しなければならないのです。しかし、私たち人間は思念しなければなりません、彼はただ単に私たち人間のために犠牲となるのではないということを。犠牲はさらに新しい生命を造るものであるから、あの一粒の米が犠牲となって、私たち人間の生命となったのは、彼が新しい生命を遂げたのです。決して人のためにしたのではありません、一粒の米彼自身の向上を遂げたのです。
それゆえに彼の新しい生命は、人となってなお向上しようと欲しつつあるものであることを思わなければなりません。そうであるから、彼の犠牲は、人間となったのをもって、なお満足するのではないでしょう。この上に向上を遂げて、人間社会という無窮無限の大円満を、成就しようとしているものであることを思わなければなりません。これをもって私たち人間は彼の犠牲によって新しい生命を造り、すでに私たち人間となっているのですから、私たち人間は彼の犠牲を賛嘆し、感謝すると同時に、私たち人間の向上を遂げて、彼の犠牲の希望を満足させなければなりません。私にしてこの念がなければ、彼の犠牲の精神を空しく終わらせるのです。もしその精神を空しく終わったならば、犠牲も犠牲ではありません、かえって私の殺生となったのです。
よって私たち人間の向上は取りも直さず、犠牲となった一粒の米の新しい生命を向上させて、その希望を満足させるものと言わなければなりません。だから三度食するたびにこれに向かって、合掌し頭を下げては、その犠牲を感謝し、これと同時に私の向上を遂げるべく誓わなければならないのです。君子はその独りを慎むと、それはこれを謂うのか。またあの一粒の米の向上の手段を内省的に見れば、彼がその身を粉にし、その身を焦がして、人の食となっているものは、結局、彼自身の天真を発揮しているのです。だからこれを食い、これを食うたびに、彼の天真に接触しているのです。私がこの天真に向かって合掌し、頭を下げているのですから、どうしてその理由を怪しむ余地があるでしょうか。
そもそも私たち人間は常に天真を発揮することを努めなければなりません。
しかし、しばしば怠慢、邪欲、嫉妬の妄念が代わる代わる起こって、あるいは天真を失却することがないとは保証されないのです。
天真はあえて私を捨てるのではありません、私がかえってこれを失うのです。
ここにおいて常に天真を思って、一瞬もこれを失わないように努めなければなりません。一粒の米が食卓の上に、天真の面目を発揮して、私たち人間に接触するにあたっては、私たち人間はこれに対して、恐れ慎まなければなりません。私もまたこの天真を得て失わないことを恐れ慎まなければなりません。日に三たび我が身を省みると、それはこれを謂うのか。それでは私たち人間が一粒の米に払う尊敬は、そもそも偶然ではないことを知ることができるでしょう。これに至って私はあの家庭における慈母の教訓が、こうも深い意味が存在していたものであったことを知るに及んで、一粒の米に尊敬を払うと同時に、我が老いた母に対して多大の感謝を表さなければならないことです。
私は一粒の米に対する尊敬が、犠牲に払う感謝と、天真を失わない恐れ慎みによるものであることを知って、私の怪疑はたちまち破れて、人生の趣が多いことを悟ったのです。
だから今まで死すべしと思っていた一念も、消え果ててなお永久に生きるべく愉快になりました。私はたちまち一つの新しい生命を得たのです、この新しい生命は、あの一粒の米が与えてくれたのです。そうです、一粒の米そのものの、道理によって得たところの新生命です。一粒の米とはいえども、私において、ただ一粒のそれに止まるのではありません。
仏陀の語に、「一粒の芥子を取って、人よくこれを地上に置けども、一芥子中によく天地を入れるもの少なし」とあります。極大が極小の中に入ってしまうという仏教哲学です。私はただ一粒の米によって旧天地を打ち壊され、さらに新しい天地を道理において得ました。
初めて過去、未来、現在に通ずる生命を得たのです。結局、一粒の米が私の膝の上に落ちて、これを取り得た一瞬の心境であるから、今更これを思って食するたびに、一粒の米に払う尊敬は、なお一層深いものがあるようになりました。ああ一粒の米もまた無限の天地を存して余すところがありません。
参考文献
[1] 『一粒米 付俳句俳論・天心園』愛媛文学叢書刊行会編、青葉図書〈愛媛文学叢書 2〉、1990年6月、復刻増補版。


