〜インタビュー〜
Interview

一粒米の会 初代会長 森二郎さんへのインタビュー
日時:二〇二四年八月五日(月)午後一~三時
場所:松山市余土公民館
出席者:森二朗氏、戸井田樂氏、井上雅史氏、沼田真里

一粒米の会 今岡弘さんへのインタビュー
日時:二〇二四年一一月二三日
場所:ローズハウス 余戸店

森盲天外生誕160周年記念ロビー展 訪問記
〜企画展示〜
Special
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森盲天外「優填王経」②(新出資料)
森盲天外「優填王経」は、松山市余土公民館に保管されていた未発表原稿のうちの一編である。森恒太郎(盲天外)は伊予松山の出身で、明治~昭和まで活躍した地方政治家であり俳人である。彼は三十代で失明した中途視覚障害者でありながら、政治面・文化面で多くの功績を残した。ただ地元愛媛では著名であるものの、まだ全国的には知名度の低い人物であり、学術的な評価においても分野が限定されている。今回の一連の新出資料により、彼の功績や活動の意義をより多くの人に周知し、森盲天外の再評価の一助となることを願 っている。 -



森盲天外著「農業道徳」を読む第18章~第20章まで(完)
盲天外『農業道徳』は、近代日本における農業思想の中でも、ひときわ独自の光を放つ名著である。 本書は、農業を単なる生産活動としてではなく、自然と人間が相互に徳を育て合う営み として捉え、その精神的基盤を深く掘り下げた希有の書である。盲天外は、牛馬・鳥虫・蚕といった小さな生命に宿る「徳」を見つめ、そこに人間が学ぶべき姿を読み取った。その眼差しは、自然を搾取の対象とするのではなく、共に働き、共に生きる存在として尊ぶ精神 に満ちている。 -



森盲天外著「農業道徳」を読む第15章~第17章まで
盲天外『農業道徳』は、近代日本における農業思想の中でも、ひときわ独自の光を放つ名著である。 本書は、農業を単なる生産活動としてではなく、自然と人間が相互に徳を育て合う営み として捉え、その精神的基盤を深く掘り下げた希有の書である。盲天外は、牛馬・鳥虫・蚕といった小さな生命に宿る「徳」を見つめ、そこに人間が学ぶべき姿を読み取った。その眼差しは、自然を搾取の対象とするのではなく、共に働き、共に生きる存在として尊ぶ精神 に満ちている。 -



森盲天外著「農業道徳」を読む第12章~第14章まで
盲天外『農業道徳』は、近代日本における農業思想の中でも、ひときわ独自の光を放つ名著である。 本書は、農業を単なる生産活動としてではなく、自然と人間が相互に徳を育て合う営み として捉え、その精神的基盤を深く掘り下げた希有の書である。盲天外は、牛馬・鳥虫・蚕といった小さな生命に宿る「徳」を見つめ、そこに人間が学ぶべき姿を読み取った。その眼差しは、自然を搾取の対象とするのではなく、共に働き、共に生きる存在として尊ぶ精神 に満ちている。 -



森盲天外著「農業道徳」を読む第9章~第11章まで
盲天外『農業道徳』は、近代日本における農業思想の中でも、ひときわ独自の光を放つ名著である。 本書は、農業を単なる生産活動としてではなく、自然と人間が相互に徳を育て合う営み として捉え、その精神的基盤を深く掘り下げた希有の書である。盲天外は、牛馬・鳥虫・蚕といった小さな生命に宿る「徳」を見つめ、そこに人間が学ぶべき姿を読み取った。その眼差しは、自然を搾取の対象とするのではなく、共に働き、共に生きる存在として尊ぶ精神 に満ちている。 -



森盲天外著「農業道徳」を読む第6章~第8章まで
盲天外『農業道徳』は、近代日本における農業思想の中でも、ひときわ独自の光を放つ名著である。 本書は、農業を単なる生産活動としてではなく、自然と人間が相互に徳を育て合う営み として捉え、その精神的基盤を深く掘り下げた希有の書である。盲天外は、牛馬・鳥虫・蚕といった小さな生命に宿る「徳」を見つめ、そこに人間が学ぶべき姿を読み取った。その眼差しは、自然を搾取の対象とするのではなく、共に働き、共に生きる存在として尊ぶ精神 に満ちている。 -



森盲天外著「農業道徳」を読む第4章~第5章まで
盲天外『農業道徳』は、近代日本における農業思想の中でも、ひときわ独自の光を放つ名著である。 本書は、農業を単なる生産活動としてではなく、自然と人間が相互に徳を育て合う営み として捉え、その精神的基盤を深く掘り下げた希有の書である。盲天外は、牛馬・鳥虫・蚕といった小さな生命に宿る「徳」を見つめ、そこに人間が学ぶべき姿を読み取った。その眼差しは、自然を搾取の対象とするのではなく、共に働き、共に生きる存在として尊ぶ精神 に満ちている。 -



森盲天外著「農業道徳」を読む①序文~第3章まで
盲天外『農業道徳』は、近代日本における農業思想の中でも、ひときわ独自の光を放つ名著である。 本書は、農業を単なる生産活動としてではなく、自然と人間が相互に徳を育て合う営み として捉え、その精神的基盤を深く掘り下げた希有の書である。盲天外は、牛馬・鳥虫・蚕といった小さな生命に宿る「徳」を見つめ、そこに人間が学ぶべき姿を読み取った。その眼差しは、自然を搾取の対象とするのではなく、共に働き、共に生きる存在として尊ぶ精神 に満ちている。 -



森盲天外著「義農作兵衛」を読む
義農作兵衛は、実在した「義民」のひとりであり、その逸話は森盲天外が幼い頃から繰り返し聞かされてきたものでした。 享保の大飢饉のさなか、作兵衛は父と子を相次いで失い、自らも飢えに苦しみながら、枕元に置かれた一袋の麦の種を、最後まで食べずに守り抜きました。 「この種を食べれば、来年の命が絶える」――そう信じ、命よりも農の未来を選んだ彼の行動は、盲天外の心に深く刻まれたのです。 後年、盲天外は失明を経験し、「一粒の米にも重さがある」という悟りに至ります。 それは単なる物理的な重さではなく、命をつなぐ責任、労働の尊さ、そして人間の志の重みを意味していました。 著書『自序』の中で、盲天外は作兵衛の行動を「愚かに見えて、実は最も尊い行い」と讃えています。 利を追い、義を忘れがちな世の中にあって、命を賭して種を守った作兵衛の姿は、忘れられたあたたかな光を、静かに、そして確かに灯し続けているのです。 -



森盲天外著「我が村」を読む④第16~第20章(完)
『我が村』は、盲目の政治家・教育者・俳人として知られる森盲天外が、自らの体験と信念を綴った実体験記録である。伊予・余土村の風土と人々の営みを背景に、幼少期の公民感化、庄屋としての責務、そして村長としての実践を通じて、地方自治の理想と共存共栄の精神が静かに、しかし力強く語られている。 体験物語には、森盲天外自身が身をもって歩んだ道、寒風の中で頭陀袋を携えながら小作人の戸を叩いた日々、盲目の身でありながら村政に尽くした実践の記録が、血肉をもって刻まれているのである。 -



森盲天外著「我が村」を読む③第11~第15章
『我が村』は、盲目の政治家・教育者・俳人として知られる森盲天外が、自らの体験と信念を綴った実体験記録である。伊予・余土村の風土と人々の営みを背景に、幼少期の公民感化、庄屋としての責務、そして村長としての実践を通じて、地方自治の理想と共存共栄の精神が静かに、しかし力強く語られている。 体験物語には、森盲天外自身が身をもって歩んだ道、寒風の中で頭陀袋を携えながら小作人の戸を叩いた日々、盲目の身でありながら村政に尽くした実践の記録が、血肉をもって刻まれているのである。 -



森盲天外著「我が村」を読む②第6~第10章
『我が村』は、盲目の政治家・教育者・俳人として知られる森盲天外が、自らの体験と信念を綴った実体験記録である。伊予・余土村の風土と人々の営みを背景に、幼少期の公民感化、庄屋としての責務、そして村長としての実践を通じて、地方自治の理想と共存共栄の精神が静かに、しかし力強く語られている。 体験物語には、森盲天外自身が身をもって歩んだ道、寒風の中で頭陀袋を携えながら小作人の戸を叩いた日々、盲目の身でありながら村政に尽くした実践の記録が、血肉をもって刻まれているのである。 -



森盲天外著「我が村」を読む①第1~第5章
『我が村』は、盲目の政治家・教育者・俳人として知られる森盲天外が、自らの体験と信念を綴った実体験記録である。伊予・余土村の風土と人々の営みを背景に、幼少期の公民感化、庄屋としての責務、そして村長としての実践を通じて、地方自治の理想と共存共栄の精神が静かに、しかし力強く語られている。 体験物語には、森盲天外自身が身をもって歩んだ道、寒風の中で頭陀袋を携えながら小作人の戸を叩いた日々、盲目の身でありながら村政に尽くした実践の記録が、血肉をもって刻まれているのである。 -



森盲天外著「貯金道話」を読む④第7講(終)
森盲天外の『貯金道話』は、単なる金銭管理の指南書ではありません。これは、人生の根本にある「蓄える」という行為を、道徳・勤労・精神修養の観点からその思想をわかりやすく講和形式に説いた、明治の叡智が息づく珠玉の一冊です。 盲天外は、視力を失いながらも村長として民を導き、教育者として盲唖学校を設立した人物。その生き様が本書にもにじみ出ています。「貯金」を単なる貨幣の蓄積のみならず、それを人格形成の一環と見なします。すなわち、日々の勤労に感謝し、無駄を慎み、未来への備えを「道」として歩むことこそが、真の豊かさへの道であると語るのです。 本資料が、盲天外の思想に触れ、その深奥を汲み取る一助となりましたならば、編者としてこれに勝る喜びはございません。 -



森盲天外著「貯金道話」を読む③第4講~第5講まで
森盲天外の『貯金道話』は、単なる金銭管理の指南書ではありません。これは、人生の根本にある「蓄える」という行為を、道徳・勤労・精神修養の観点からその思想をわかりやすく講和形式に説いた、明治の叡智が息づく珠玉の一冊です。 盲天外は、視力を失いながらも村長として民を導き、教育者として盲唖学校を設立した人物。その生き様が本書にもにじみ出ています。「貯金」を単なる貨幣の蓄積のみならず、それを人格形成の一環と見なします。すなわち、日々の勤労に感謝し、無駄を慎み、未来への備えを「道」として歩むことこそが、真の豊かさへの道であると語るのです。 本資料が、盲天外の思想に触れ、その深奥を汲み取る一助となりましたならば、編者としてこれに勝る喜びはございません。 -



森盲天外著「貯金道話」を読む②第2講~第3講まで
森盲天外の『貯金道話』は、単なる金銭管理の指南書ではありません。これは、人生の根本にある「蓄える」という行為を、道徳・勤労・精神修養の観点からその思想をわかりやすく講和形式に説いた、明治の叡智が息づく珠玉の一冊です。 盲天外は、視力を失いながらも村長として民を導き、教育者として盲唖学校を設立した人物。その生き様が本書にもにじみ出ています。「貯金」を単なる貨幣の蓄積のみならず、それを人格形成の一環と見なします。すなわち、日々の勤労に感謝し、無駄を慎み、未来への備えを「道」として歩むことこそが、真の豊かさへの道であると語るのです。 本資料が、盲天外の思想に触れ、その深奥を汲み取る一助となりましたならば、編者としてこれに勝る喜びはございません。 -



森盲天外著「貯金道話」を読む①第1講~第2講まで
森盲天外の『貯金道話』は、単なる金銭管理の指南書ではありません。これは、人生の根本にある「蓄える」という行為を、道徳・勤労・精神修養の観点からその思想をわかりやすく講和形式に説いた、明治の叡智が息づく珠玉の一冊です。 盲天外は、視力を失いながらも村長として民を導き、教育者として盲唖学校を設立した人物。その生き様が本書にもにじみ出ています。「貯金」を単なる貨幣の蓄積のみならず、それを人格形成の一環と見なします。すなわち、日々の勤労に感謝し、無駄を慎み、未来への備えを「道」として歩むことこそが、真の豊かさへの道であると語るのです。 本資料が、盲天外の思想に触れ、その深奥を汲み取る一助となりましたならば、編者としてこれに勝る喜びはございません。 -



森盲天外著「一粒米」を読む③第4章~第6章まで(完)
『一粒米』は、失明の境涯に在る著者・森盲天外翁が口述されたものを筆録し、成稿された作品です。 自序に曰く、「書中の一字一字は、ほとんど苦心と困難の結晶にして、滴々の涙痕を残すものなり」とあり、また「前後の文章を繰り返して見ること能わざる悲しみの痕を留む」とも記されております。 本来、斯の如き作品は、原文のまま拝読し、その筆致に滲む痕跡を直に汲み取ることこそ、最も望ましき鑑賞の在り方です。 しかしながら、明治期の文語体は、現代の読者にとって理解の困難を伴う箇所も少なくありません。 本訳におきましては、原文の風韻を損なうことないよう細心の注意を払い、可能な限り削除を避けつつ訳出いたしました。 ただし、語彙の変遷や、仏教・儒教に基づく思想的背景の理解を要する部分につきましては、意訳をもって補いを試みております。 -



森盲天外著「一粒米」を読む②第2章~第3章まで
『一粒米』は、失明の境涯に在る著者・森盲天外翁が口述されたものを筆録し、成稿された作品です。 自序に曰く、「書中の一字一字は、ほとんど苦心と困難の結晶にして、滴々の涙痕を残すものなり」とあり、また「前後の文章を繰り返して見ること能わざる悲しみの痕を留む」とも記されております。 本来、斯の如き作品は、原文のまま拝読し、その筆致に滲む痕跡を直に汲み取ることこそ、最も望ましき鑑賞の在り方です。 しかしながら、明治期の文語体は、現代の読者にとって理解の困難を伴う箇所も少なくありません。 本訳におきましては、原文の風韻を損なうことないよう細心の注意を払い、可能な限り削除を避けつつ訳出いたしました。 ただし、語彙の変遷や、仏教・儒教に基づく思想的背景の理解を要する部分につきましては、意訳をもって補いを試みております。 -



森盲天外著「一粒米」を読む①序文~第1章まで
『一粒米』は、失明の境涯に在る著者・森盲天外翁が口述されたものを筆録し、成稿された作品です。 自序に曰く、「書中の一字一字は、ほとんど苦心と困難の結晶にして、滴々の涙痕を残すものなり」とあり、また「前後の文章を繰り返して見ること能わざる悲しみの痕を留む」とも記されております。 本来、斯の如き作品は、原文のまま拝読し、その筆致に滲む痕跡を直に汲み取ることこそ、最も望ましき鑑賞の在り方です。 しかしながら、明治期の文語体は、現代の読者にとって理解の困難を伴う箇所も少なくありません。 本訳におきましては、原文の風韻を損なうことないよう細心の注意を払い、可能な限り削除を避けつつ訳出いたしました。 ただし、語彙の変遷や、仏教・儒教に基づく思想的背景の理解を要する部分につきましては、意訳をもって補いを試みております。 -



病と障害の文学の先駆者・子規――その方法と趣向
正岡子規の偉業といえば、俳句短歌の革新、文章の革新がまず上がるが、日本近代文学における〈病と障害〉というジャンルにおいてもまた先駆者だった。子規といえば、病床で痛みをまぎらわすためモルヒネを飲みながら創作を続けた姿が思い浮かぶ。子規を論じる際には、創作時期によっては、病で寝たきりだったという身体的状況への理解は避けられない。 -



新出資料・森盲天外の「盲人の読書難」について
森盲天外(本名・森恒太朗、1864~1934)は愛媛県の地方政治家であり、20代で失明した中途視覚障碍者でありながら数々の功績を残した。伊予郡余土村町長在任時に、森が実践した「余土村是」が万国博覧会で一等賞となり全国の模範村になり、のちに道後湯之町長として財政難を改革するなど、政治家としての手腕を発揮した。また、私立愛媛盲唖学校設立、青年福祉事業である私塾「天心園」開設など、福祉や教育にも尽力した人物である。 -



森盲天外「島津家と盲人保護」(新出資料)
森盲天外(本名・森恒太郎、1864~1934)は愛媛県の地方政治家であり、20代で失明した中途視覚障碍者でありながら数々の功績を残した人物である。盲天外の功績の再評価の必要性は、拙稿「新出資料・森盲天外の『盲人の読書難』について」でもすでに指摘した(1)。本稿ではさらに、愛媛県内の資料調査で出会った森盲天外の草稿の一つ「島津家の盲人保護」を紹介する。 -


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森盲天外「優填王経」①(新出資料)
森盲天外(本名・森恒太郎、1864~1934)は愛媛県の地方政治家であり、20代で失明した中途視覚障碍者でありながら数々の功績を残した人物である。盲天外は自伝『一粒米』、評伝『義農作兵衛』をはじめ、俳句雑誌「ばせう影」の発行など文学的な活動も残している。これらの創作活動の再評価の必要性と、障碍当事者文学としての価値については、拙稿『新出資料・森盲天外の「盲人の読書難」について』(1)でも述べた。

